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昨晩、アメリカ映画協会主催「オールタイムトップ100」を観た。案内役はモーガン・フリーマン。当然100位から1位へ上がっていくわけだけど、なるほどなるほど、へー、そーなんだあ、なんて思いながら観ていたら、あらら、最後まで通しで観ることになってしまった。

でもこれ、現地米国では2007年の放映みたいで、なぜいまになって日本での放映なのか不思議だね。業界あげてのPRなのかな。

ま、それはそれとして、トップ10は以下の通り。
10位:オズの魔法使い
 9位:めまい
 8位:シンドラーのリスト
 7位:アラビアのロレンス
 6位:風と共に去りぬ
 5位:雨に唄えば
 4位:レイジング・ブル
 3位:ゴッドファーザー
 2位:カサブランカ
 1位:市民ケーン

どうやら市民ケーンは、米国では不動のトップらしい。でも、じつはまだ観たことがない。連休にDVD借りて観てみよう。監督では、スピルバーグ、キューブリック、ヒッチコック、ビリーワイルダー、それとさすがチャップリンの名前が目立ったね。もういっぺん見直してみようかな。

いま検索してみたら、ベスト100全作品リストを作ってる人がいた。
興味のある人はこちらへ。

さて、全体を通じて感じたのは、長く人気を保ってる作品って、総じて音楽がいいね。音楽のチカラは偉大なり。それにしても、今日の記事は、ニュース・バリュー、ゼロだね。2007年の番組の話なんて。

by naomemo | 2010-04-28 08:52


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先日、「井上陽水のLIFE」という四夜連続放映のTV番組を観た。彼は、作詞の領域ではボブ・ディランから、生き方の領域で阿佐田哲也(色川武大)から大きな影響を受けたんだねえ。久しぶりに彼のGOLDEN BESTをiPodに入れて、このところ毎日聴いている。

その彼に「人生が二度あれば」という曲がある。そんなん、人生は一回切りに決まってんじゃん、と、長くそう思ってきたが、でも人は神様じゃない。ありえたかも知れない人生への思いは、年齢とともに大きくなるものなのかも知れない。

ジム・ジャームッシュという映画作家のBroken Flowers(ブロークン・フラワーズ)について書こうとしている。米国での公開は2005年だから、まさにバブル全盛の頃の作品といってよい。新作The Limits Of Control(リミッツ・オブ・コントロール)を観る前にと、久しぶりに見直したのだが、ここには、「ありえたかも知れない人生」についての、ジャームッシュの思いが詰まっているように思えてきた。

主人公のドン・ジョンストン(ジョンソンじゃなく、ジョンストン)は、老いた元ドン・ファン(ドン・ジュアン)という設定である。毎日が日曜日のように、フレッド・ペリーのジャージ上下に革靴というスタイルで、長椅子に座ったり、ゴロリと横になったりして過ごしている。昔コンピュータ・ビジネスで大儲けしたらしく、すでに悠々自適の老後。と言えば聞こえは良いが、何もすることがなく、退屈きわまりない生活を送っている。まるで生気が感じられない。そんなわけで、同居している若い彼女シェリーにも愛想を尽かされる。

ピンク色の郵便物が届く。差出人は判らないが、どうやら20年前に別れた女からの手紙のようだ。彼女には現在19歳になる息子がいるという。ドンと別れたあとに妊娠していることが分かったのだけれど、現実を受け入れて生んだのだという。その息子が、先日、旅に出た。おそらく父親を探す旅ではないかと思う。というものだった。

その手紙を隣人のウィンストン(ジェフリー・ライト)に見せたところ、妙に張り切り、ドンに20年前に付き合っていた女のリストを作れという。そして5人の女の居所を探し出し、ご丁寧に飛行機、レンタカー、宿泊場所まで手配し、ドンに差出人を突き止める旅へと誘導していく。なぜ?ウィンストンは、どうしてそんなお節介を焼くんだろう…。彼にはドンの心模様が手に取るように分かるようなんだけど…。狂言回しのようにも見えるし、ドンの分身のようにも見えるし、はたまた映画作者の分身のようにも思えてくる…。

気乗りしないと言いながら、ドンは、ウィンストンのシナリオに乗って、ピンクの花束を抱えて20年前の元カノを一人ずつ順に訪ねる旅に出る。

まず、ローラ(シャロン・ストーン)の娘ロリータの所作にたじろぐことになる。ついでドーラ(フランセス・コンロイ)と夫の関係にさざ波を立てることになり、カルメン(ジェシカ・ラング)の助手になぜか邪険にされ、ペニーの取り巻きには一発お見舞いされる始末。そして、土の下に眠るペペの墓前では涙を流す。なぜこんな旅に出かけて来てしまったのだろうか、自分でも理由がよく判らない。

住まいに戻った後、一人旅をしている青年を自分の息子と思い込んで追いかけるシーンがある。車の中から、ドン(ビル・マーレイ)をじっと見つめる青年が通り過ぎていくシーンがある。どうやらビル・マーレイの実の息子らしいのだけれど、その彼とて息子かも知れないし、息子ではないかも知れない。

結局、差出人は誰なのか。ドンにも、観客にも、分かったのかも知れないし、分からなかったのかも知れない。あるいは手紙の差出人が誰かなんて、最初からどうでもいいことだったのかも知れない。ピンクの手紙と隣人のウィンストンによって、ひょっとしたらありえたかも知れない、もうひとつの人生を探す旅に誘われたのだけれど、ありえたかも知れない人生を見つけることなど最初から出来るはずもなかったのかも知れない。ドンは、ただ、十字路に立ち尽くすほかないのだった。



by naomemo | 2009-10-08 08:33 | シネマパラダイス

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友人の友人に、数年前、筋無力症で1年半ほど入院治療を受けていた女性がいる。伝え聞くところによれば、彼女は、2年ほど前からスペイン語の猛勉強を始めたという。そして、この5月中旬に、バッグパックをひとつ背負い、サンティアゴ巡礼800キロの旅に出たのだという。

昨晩、友人から届いたメールによれば、ゴールまで100キロを切ったとか。このペースなら、今週末には目指すサンティアゴに到着するだろう。筋無力症だった人が、一月で800キロを踏破するなんて、にわかには信じ難いが、強い思いは、岩をも貫くことがあるということか。ちょっと感動です。

スペイン語の特訓を始めたのが、2年ほど前というから、ひょっとしたら日本でも公開されたフランス映画「サンジャックへの道」がキッカケになったのかも知れない(サンジャックとは、サンティアゴのフランス語読み)。僕も、ピレネー越えの風景が美しいと聞いて、当時、銀座まで観に出かけたのだった。

記憶はおぼろだが、この際だから、ざっと思い起こしてみる。ある日、兄(やり手のビジネスマン)、妹(性格のキツイしっかり者の教師)、弟(アル中気味の無一文)の三人が、弁護士に呼び出される。母親が亡くなり、遺言状を託されているのだという。

それなりの遺産があるようなのだが、彼らが相続する上で条件が一つあるという。聞いてみれば、フランスのル・ピュイから、スペインの西の果てにある聖地サンティアゴまで、1500キロにおよぶ巡礼路を、三人一緒に歩くことだという。一人でも欠けたら、遺産はどこかへ寄贈されることになるという。

ブツブツ文句を言うものの、けっきょくは長期休暇を取り、ガイド付き総勢十名ほどの巡礼グループに加わって、珍道中が始まる。それぞれが、それぞれの思いを抱えながらの巡礼である。

毎日、毎日の長駆に、足の皮は剥がれるは、足に痛みは出てくるは、疲労で文句やら愚痴やらは出てくるは、兄弟ゲンカは始まるは、自我はむき出しになるは、幻想を見るようになるは、もう散々である。しかし、いつしか、世間のアカが落ち、意固地も取れ始め、仲の悪かった三人が、お互いを思いやるようになってくる。毎日、毎日、数十キロの道のりを歩き続けるうちに、浄化作用が生まれてくるということなのだろう。巡礼の意味は、ひょっとしたら、この「歩くこと」そのものにあるのかも知れない。

ロードムビーといえば米国の専売特許と思っていたが、フランスにもこういう映画があるんだね。思わぬエンディングもあって楽しめる一編となっている。旅行好きなら、きっと歩いてみたくなるだろうね。

by naomemo | 2009-06-16 07:10 | シネマパラダイス

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頭のなかに、小泉の郵政選挙のことがある。でも、政治のことなんて書きたくないので、昨年日本で公開された映画、コーエン兄弟の傑作スリラー「ノーカントリー」について書こうと思う。

スクリーンの前で、2時間あまり、胃袋を鷲づかみにされながら見入っていたことを、いまでも身体が覚えている。原題は“no country for old men”。これは、イエーツの詩の一節だという。「老人に住む土地なし」というくらいの意味だろうか。

猟に出かけたモスが、銃撃戦の痕を発見する。そこで麻薬絡みの大金が入ったバッグを拾う。一人、息のあった男のことが気にかかり、その夜、モスは現場に戻る。それが運の尽き。ギャングたちに見つかり、なんとかその場は逃げ延びるものの、置き去りにした車から身元がばれる。そこから、冷酷かつ残忍な殺し屋シガーに、執拗に、最後まで、追われることになる。筋立てとしては、じつにシンプルなスリラーである。

ただ、この作品に登場する殺し屋シガーは、ちょっと特別な存在である。圧倒的な存在感を放っている。たとえば、出会った相手に、いきなり「call it, friend-o(表か裏か、どっちだい?)」と言ってコイントスをするシーンが、再三出てくる。答えを迫られる方にしてみれば、見知らぬ男のそんな質問に答える義務などあろうはずない。しかし、しばらくするうち会話がまったく成立しない相手であることに気づく。そして、表か裏かを提示しないと何が起きるか分からないことに、否応なく気づかされる。ハビエル・バルデム演じる殺し屋には、それほど有無を言わさぬ凄みがあるのだ。

映画を見終わったあと、胃のあたりを撫でながら思ったものだ。表か裏かと問うことは、第3、第4の選択肢をあらかじめ封印するための方法なんだろう、と。その他の選択肢もあるに違いないのだが、いかにも正反対のものを並べられて言い立てられると、イエスかノーのどちらかになってしまうのかも知れない。人間にはそういう心理的な弱さがあるのかも知れない。殺し屋シガーは、そこを突いているから、よけい怖いのだろう。

ノーカントリー以来、賛成か反対かの二元論は、じつに暴力的なんだと思うようになった。それにしても、稀にみる傑作だと思う。

原作:コーマック・マッカーシー、脚本・監督:コーエン兄弟、ベル保安官:トミー・リー・ジョーンズ、追う殺し屋シガー:ハビエル・バルデム、逃げる男モス:ジョス・ブローリン、モス夫人:ケリー・マクドナルド





by naomemo | 2009-06-03 07:00 | シネマパラダイス

願いは荒野を駆けめぐる

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昨日、四ッ谷荒木町の小料理屋「くろ田」で、旧友たちと落ち合ってご飯を食べた。じつに愉しいひとときだった。ほろ酔い加減になったころ、友人の一人が久しぶりに海外の山を歩きにいく、と言い出した。

もちろん、Going solo、単独行だという。海外の山を一人で歩くなんて聞いていたら、なんだかこちらまで漂白の思いが募ってきた。でも、なかなかそうも行かない。ま、じつは、それで時折、映画館に足を運んだりして、スクリーンの向こう側の「見知らぬ土地へ」旅をしているのだ。

昨年観た内モンゴルを舞台にした映画の話を切り出したら、その彼がぜひ観てみたいという。酔っていたせいか、タイトルが出てこなかったので、ここに紹介しておこうと思う。

タイトルは「トゥヤーの結婚」。内モンゴルの荒野で、寝たきりの夫と小さな子供を抱え、羊の放牧をし、畑を耕し、毎日数十キロ先の井戸へ水を汲みに通うトゥヤー。信じ難いほどの重労働だが愚痴ひとつこぼすこともない。でも、この過酷な環境で家族を養い続けることは、すでに限界に近づきつつあった。

家族を守るために、どうしたらいいのか。トゥヤーは、我々の常識からは想像もつかない、思いもよらぬ方策を考え出す。そして、そのささやかな願いは、荒れ果てた広大な草原を駆けめぐる。いとおしく、せつなく、不思議な温もりのある一本。ランドスケープの圧倒的な力、映像の美しさは、筆舌に尽くし難い。

by naomemo | 2009-05-30 18:54 | シネマパラダイス


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スラムドッグ$ミリオネアの余韻でというわけでもないのだが、インドつながりで「その名にちなんで」をまた観たくなった。

この映画は、インド西ベンガル州の州都カルカッタ出身の夫婦30年にわたる歴史と、ニューヨークで生まれ育っていく息子の名前をめぐる物語とが、美しい絨毯のように織り込まれた作品だ。原作は未読なので分からないが、物語の軸はタイトルが示す通り、「息子の名前」の方にあるのだろう。でも観終わった印象では、インド移民の夫婦というか家族の物語という色彩が強い。

夫(父)の名はアシュケ。カルカッタに生まれ、ニューヨークに留学し、その地で職につく。教鞭を執っている姿は出て来ないが、どうやら工学系の教授になって成功したようだ。どちらかといえば不器用な男のように見えるが、強い責任感と温かい愛情の持ち主で、勤勉な愛妻家というイメージ。

妻(母)の名はアシマ。カルカッタに生まれ、カルカッタで育つ。伝統音楽の歌手になることを夢みていたようだが、親のすすめる見合いで若くしてアシュケに嫁ぎ、ニューヨークへ。そこで一男一女をもうける。のちのちは東海岸のベンガル人社会が心の支えになっていくのだが、移住当初はずいぶん心細い思いをしたに違いない。

アシマは、夫婦二人の間柄をゆっくり深めようと努めてきただろう。アシュケの愛情に応えることで、心細さを埋めてきたものに違いない。その努力はおおむね実ったといえるだろう。しかし息子と娘については少し事情が異なる。ベンガル人としてベンガル流に育てても、彼らはニューヨークで生まれニューヨークで育っているのだから、世代間のギャップ以上のものを心のどこかに抱えていたとしても不思議ではない。だから物語の最後で、故郷のカルカッタに帰りたいと言い出し、歌をもう一度始めたいと言い出したとしても、驚くにはあたらない。なにしろ彼女はまだ40代半ばだったのだ。

さてさて、肝心の長男の名前だが、ゴーゴリ(映画では「ゴゴール」と聞こえるのだけどね…)。ニューヨークの病院で誕生したのだが、母(アシマ)の実家から来る手筈の名前が遅れたせいで、アシュケとアシマが自分達で名前をつけることになった。ロシアの文豪ニコライ・ゴーゴリにちなんだものだが、それにはアシュケが敬愛する作家の名前という以上の意味がある。そのいわれは物語が進展するにしたがって、ゆっくり姿を現す。さらに、「名づけ」には、「祝福」と同時に「魔除け」の意味があるらしいことも見えて来る。これはベンガル人に限ったことでもないかも知れないな。そういえば、アシマが夫の名前を呼ぶシーンはなかったよなあ。ゴーゴリの彼女に、アシマ、アシュケと名前を呼ばれた時のアシマの表情にも、なにやら複雑な感情が浮かんでいたな。

ところでゴーゴリは、成人になって「その名」を捨て、母方の祖父母から貰ったニキール(本来はその名になるはずだった)を名乗るようになる。しかし、その名は変えても、祝福と魔除けの祈りが込められた「その名」ゴーゴリが、彼の心から消え去ることはないだろう。

アシュケ役はイルファン・カーン。この人、ほんと渋い味を醸し出す。アシマ役はタブー。素敵な女優だ。ゴーゴリー役はカル・ペン。監督ミーラー・ナイール、脚本スーニー・ターラーブルワーラー、音楽ニティン・ソーニー。そして原作は、ジュンパ・ラヒリ。



by naomemo | 2009-04-27 07:05 | シネマパラダイス


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主人公ジャマールが、クイズ・ミリオネアに出場、最後の一問まで来たところから物語は始まる。最後の問題は、時間切れで翌日に持ち越し。ところが、その奇跡を面白く思わない人物の密告で、ジャマールは警察に連行され、厳しい尋問を受けることになる。スラム出身の野良犬に、難解なクイズを勝ち抜けるだけの知識があろうはずはない、どこかにインチキがあるに違いないという嫌疑が係っているのだ。

警部ととももに、録画された番組を再生しながら、一問、一問、正解が得られた理由やら背景やらがジャマールの口から語られていく。つまり観客は、一回、一回、過去へ回帰していく時間旅行に立会うようなものだ。語られる過去には、飢えあり、貧困あり、誘拐あり、売春あり、麻薬あり、暴力あり、宗教問題あり。それでもじつに逞しく成長していく子供たちの姿。そのなかでスポットが当たるのは、もちろん主人公のジャマール、そして兄のサリーム、ジャマールが一途に恋心を抱き続けるラティカ。長じたラティカ、じつに魅力的だなあ。

それにしても、映像に映るインドのムンバイは、とてつもないエネルギーの坩堝だ。画面から熱風が吹出している。その坩堝のなかで、ジャマールたちは、つねに何らかの選択を迫られている。そして、そのつど何かを選択してきた挙げ句に、現在はある。それはまるで、クイズ・ミリオネアと同じ構造のように見えてくる。しかし、まあ、こんな感想はどうでもいいか。この映画には、旺盛な生命力とスピード感が横溢している。冒険アドベンチャーと、一途な恋物語と、奇跡的なドリームが混然一体となった作品なのだ。ダニー・ボイルたちは、いつどこで、これほど見事な大衆性を獲得したのだろうか。どきどき、わくわく、あっという間の2時間だった。

以下はメモ。原作はヴィカス・スワラップ。この人、現役の外交官だとか。朝日新聞グローブ「著者の窓辺」に登場している。脚本はサイモン・ボーフォイ、監督はダニーボイル、音楽はA.R.ラーマン。(出演)ジャマール役:デブ・パテル、兄サリーム役:マドゥル・ミッタル、恋人ラティカ役:フリーダ・ピント、警部:イルファン・カーン。ところで、警部役のイルファン・カーンって、「その名にちなんで(The namesake)」にも父親役で出ていたが、じつに味わいのある俳優だな。これからが楽しみの注目株。



by naomemo | 2009-04-20 07:00 | シネマパラダイス

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渋谷文化村ルシネマが毎週火曜日サービスデーになってることを知って、さっそく昨晩、仕事を放り出して行ってきた。目当ては、同時上映の「ダウト」ではなく、「ホルテンさんのはじめての冒険」の方である。なんとなく気になっていたのだ。

ベテラン運転士ホルテンさん、アパートで一人暮らし。お弁当と飲み物を用意し、小鳥のかごに覆いをかけて仕事場に向かうシーンから始まる。電車に乗り込んで、やおらパイプに火を付けて出発。しばらくして暗いトンネルを抜けると、そこは一面の雪景色。まるでホルテンさんが運転するベンガル急行に乗り込んでいたかのように、トンネルから抜けた後に飛び込んできた雪景色がじつに眩い。

なんだか川端康成の小説の出だしのようだなあと思う。そしてトンネルに入ったり抜けたりの繰り返しが、なにやら不思議な世界の始まりを暗示するシーンのように印象的。しっかりと脳裏に刻み込まれた。

ホルテンさんは、晴れがましい席を好むタイプではなく、淡々と40年間、電車の運転士として実直に働いてきた人だ。ところが、67才の誕生日で定年を迎える前夜から、奇妙な出来事に次々と遭遇する。送別会の二次会が開かれているアパートに入れなかったり、いつも愛用しているパイプを紛失したり、靴を失って赤いハイヒールを履く羽目になったり…。そしてある老人との出会いをきっかけに、自分を縛っていたものと初めて本気で向き合うことになる。新しい人生を歩むには、やはり何か大きなきっかけが必要ということなんだろうな。やがて、ホルテンさんが独身を通してきた理由も見えてくる。

それにしても、この「ホルテンさん」という映画は不思議な感覚に充ち満ちている。現実と非現実のトワイライトゾーンのような世界とでもいえば良いだろうか。北欧世界の時間と、極東の日本世界の時間とでは、こんなにも違うものなんだねえ。監督、脚本のベント・ハーメルという人、少し気に入りました。そして北欧の映画を、これからも観て行こうと思う。



by naomemo | 2009-04-08 07:00 | シネマパラダイス


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禁煙もついに36日目に突入。咳も減ったし、咳払いもほとんど出なくなった。よくぞここまでアルコールの場でも我慢してきたものだと思う。何度も自分を誉めてあげようと思う。

さて、一昨日から「強欲資本主義 ウォール街の自爆」(文春新書)を読み始めたのだが、なにやらモヤモヤするものがあった。強欲資本主義って何かに似てるなあ…、なんだろうなあ…。あー、そうか、ナイルパーチか、と思い当たった。「ダーウィンの悪夢」というドキュメンタリーフィルムの記憶が泡立っていたのだった。

舞台はアフリカ中東部にあるヴィクトリア湖とその周辺。この湖は、琵琶湖の100倍の広さを有しているそうだが、その昔、「ダーウィンの箱庭」と呼ばれたほど、多様性の宝庫であったらしい。

ところが半世紀ほど前に、ちょっとした悪戯なのか実験なのか食用目的なのか知らないけれど、そのヴィクトリア湖に全長2メートルを越すナイルパーチという肉食魚が放たれた。平和な湖に、悪食の異分子が放り込まれたわけだ。ナイルパーチは繁殖力が強く、つぎつぎと他の魚たちを喰い散らかしていった。その結果、生命循環の糸が断たれ、いまや多様性が瀕死の状態となっているという。いうまでもなく湖の環境汚染も歯止めなく進んでいる。つまり「ダーウィンの知らない悪夢」が展開しているというわけだ。

このナイルパーチは、スズキに似た白身の魚で、EUや日本での需要が多いらしい。巨額の資本が湖畔に投下され、周辺の人口密度は急激に膨張し、空港が作られ、魚の加工工場は繁盛する。空港周辺には、パイロット目当ての売春婦も登場する。フィルム映像で観る彼女たちの汚れた姿は、じつに痛々しい。

文明というか経済の発展プロセスをすっとばして、いきなり工場が出来て、さまざまな仕事がそこここに発生する。加工工場から出る廃棄物(魚の頭や骨や尾など)で、土地も汚されていく。それでも昔よりマシという現地の人々の言葉は印象的だ。

ちなみに、ファミレスなどでメニューに「白身のムニエル」などと表示されている白身の魚は、このナイルパーチだという説もある。ひょっとすると、コンビニのお弁当などに使われている白身には、この類いが混じっていないとも限らない。映像で観るかぎり、加工工場の処理現場や周辺は、お世辞にもけっして衛生的とは言い難いのだが…。

悪食の肉食魚ナイルパーチと金融資本主義の強欲ウィルス。偶然なんだけど、じつによく似ていると思うね。

by naomemo | 2008-12-16 07:30


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今晩は連れ合いと恵比寿ガーデンシネマでシドニー・ルメットの新作を観る。その前にパパスで、フレッシュトマト、バジリコのスパで腹ごしらえ。これが意外に旨かった。

さて、ルメットの「その土曜日、7時58分」(邦題)は、緊迫感のある現代的な作品だった。最近流行の過去と現在を往復する時間の使い方を少しひねってあるところも面白かった。 

父親と長男が背負う確執。光と影を互いに持つ兄と弟という宿命的な関係。この永遠のテーマを横糸に、悲劇的なストーリーが展開していく。その悲劇は、偶然の出来事から生み出されたものなのだろうが、必然として捉えられているようにも思えてくる。力作だと思う。が、正直、気が滅入ってしまった。ブラックなんてもんじゃなく、力作であるがため、余計、堪えた。911以降のアメリカ映画には、「救い」のようなものがまったくない暗澹たる結末が多くなったなあ。

ちなみに原題は、"BEFORE THE DEVIL KNOWS YOU'RE DEAD."アイルランドの慣用句から取られたものだという。"May you be in heaven half an hour before the devil knows you're dead."=お前が死んだことに悪魔が気づかぬうちに、なんとか天国に着けますように。けっこう日常的に使われる慣用句のようにも思えるが、映画を見終わった後では、あたかも「父親の贖罪」の言葉のように響いてくる。

脚本ケリー・マスターソン。監督シドニー・ルメット。ルメットは84歳だという。いやはや凄いエネルギーだね。役者も粒揃いだった。兄アンディ役をフィリップ・シーモア・ホフマン、弟ハンク役をイーサン・ホーク、アンディの妻ジーナ役をマリサ・トメイ、兄弟の父チャールズ役をアルバート・フィニー、母ナネット役をローズマリー・ハリス。



by naomemo | 2008-11-28 23:45