古今亭の真打ちお披露目


先週土曜日は早朝ゴルフ練習場で2時間ばかりアプローチの集中練習。帰宅後そそくさと朝食を摂って、劉先生の太極拳教室へ。一年半かけて一通り覚えた四十八式を、いま一度、身体の使い方からひとつひとつ細かく復習している段階。太極拳、やればやるほど奥が深いなあと感じてるところ。汗びっしょり。

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そのあと、急いでシャワーを浴び、半蔵門の国立演芸場へ。ただいま、古今亭一門の真打ちお披露目興行の真っ最中なのだ。珍しいことだと思うが、一門から二人同時に真打ちが出た。朝太と菊六が、それぞれ志ん陽、文菊となったのだ。しかも菊六は28人抜きで真打ちに抜擢されている。当方は、以前から菊六の高座に通っていたこともあり、うれしい限り。

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今回、真打昇進披露口上で口火を切ったのは、三遊亭圓歌だった。古今亭一門のお披露目になぜ圓歌が登場しているんだろうと思ったら、つい最近、菊六の師匠であると同時に一門の惣領でもあった圓菊が、興行中に亡くなったためだとか。知りませんでした。

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その圓歌が口上で、文菊は運がいい、と言った。なんだろう?28人抜きのことか?と思ったら、そうではなく、興行の始まる前に師匠が亡くなってたら、興行そのものが中止になってたんだから、こいつは運がいい、と。なるほど、そういうもんだろうと思った。また、古今亭一門は、志ん朝が亡くなってから良いことがなかったから、久しぶりに陽が差して良かったと思うとも言ってた。その通りだね。亡き志ん朝ファンとしては、これを機会に、年に一度でいいから一門会でもやったらいいのにと思ったりしている。やってくれないかな。

by naomemo | 2012-11-05 12:49 | 音楽から落語まで

柳家三三の高座へ

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先週末、久しぶりに高座へ足を運んだ。古くからの友人に誘われて、初めての虎ノ門J亭落語会、柳家三三の独演会だった。三三は「さんざ」と読むのだけれど、「さんざん」とも読めるところが面白い。小三治の弟子で、若手の注目株らしく開演後は140〜150席ばかりの会場はほぼ満席だった。

前座のあと、本人、登場。ふむふむ、なかなか男っぷりもいい。声もしっかり通るし、まくらもなかなか洒落てる。なにより背筋がピシッと伸びた話しっぷりに好感が持てる。どんな演し物なんだろうと思ってたら、一席目は「ろくろっ首」だった。うーむ、これは、噺そのものにリアリティが欠けるだけに、観客を惹き付けるには、かなりチカラがいると思いながら聞いた。

次に、ゲストとして登場したのが、柳家喜多八という三三の兄弟子。演し物は「明烏」。「明烏」は志ん朝のCDで何度も聞いてるので、つい比較しながら聞いてしまったのだけれど、この人、かなり強弱を付けた、碎けた話しっぷり。それはそれで面白いし悪くはないんだけど、いかんせん、ちと滑舌が悪くて聞き取りにくい。そこが難点だった。

そして三席目に、ふたたび柳家三三が登場。演し物は「花見の仇討ち」。話しっぷりは堂に入ったもの。でも、ちと物足りなかったなあ。噺そのものに色気がないことも手伝ってか、感動とか笑いにつながって行かない。噺の世界へスーッと入って行って、いつのまにか江戸時代の上野にいる、という具合にはならなかった。

落語の楽しみ方にはいろいろある。だから一概には言えないのだが、噺を聞きながら、いつのまにか時空をポンと超えられることを楽しみにしている客には、正直、いまの柳家三三では、ちと物足りない。古今亭志ん朝、立川志の輔あたりと比較してしまうので辛口になってしまうもかもと思っていたら、隣で聞いていた友人も、いまいち物足りなかった様子。

ま、当たり外れ、出来不出来があるのが高座というもんです。

by naomemo | 2012-02-20 14:56 | 音楽から落語まで

映画と落語に飢えている


昨年3月の震災以来、長い間、映画館から足が遠のいていた。でも、ようやく映画が観たい!という気分がふつふつと湧いて来た。かれこれ十ヶ月も空けちまったよ。

そして無性に落語が聞きたくなってきた。いつのまにか真打ちに昇進した菊六も聞きたいけど、これまでなぜか縁がなかった林家彦六を集中的に聞いてみたい気分。なんていうのかな、あの、背筋がスッと伸びた、独特の語り口がいいんだよね。そういえば、彦六って、志ん朝の先生だったかな。志ん朝の方から押し掛けたんだと思うけど。

しばらく聞き倒してから感想を書きます。

by naomemo | 2012-01-31 15:22 | 音楽から落語まで


昨日、テニス仲間と一緒に、前から行ってみようと思っていた丹沢の大山に出かけてきた。行きは追分から下社までケーブルカーを使い、下社からは、西側のかごや道をてくてく登って、表参道分岐を経て大山山頂へ。そこでゆっくり弁当を食べて、お詣り。下山は山頂から東側の不動尻分岐を経て雷ノ峰尾根を通って見晴台へ、そして二重滝を経て下社まで戻るというルート。下社からはふたたびケーブルカーを使って追分へ、というパターンである。

男女混成10名で休み休み歩いているから、じつにのんびりとしたペース。それでも、翌朝、つまり今朝はふくらはぎが張って筋肉痛に。筋肉をほぐすべく、お昼にゆっくり1時間ほど走ったみたけれど、まだ痛みは抜けてない。ま、心地いい痛みなんだけどね。それに山の空気をしっかり呼吸してリフレッシュしたしね。

山中で撮った写真をいくつかメモ代わりに残しておこう。こちらは登りのケーブルカーの車中からの一枚。不動前の駅で下りのケーブルカーを撮ったもの。
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下社の横にあった小さな鳥居。天満宮と書かれてるのが見えるね。
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丹沢山系。遠くの方に雲間から富士山が見えたり隠れたり。山歩きにはもってこいの上天気だった。
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山頂奥の院の、これは右側の狛犬かな?大天狗、小天狗って彫ってあるね。
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下山途中の見晴台に案内標識。こちらのルートは、山頂から下社まで3.65kmなんだ。途中休憩を入れているとはいえ、この倍くらい歩いたような気分だったんだけどね。
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見晴台近くにクマ出没注意の看板があった。雷ノ峰尾根には、数カ所に渡って路の両サイドに長く網のフェンスが張ってあったけど、そういうことなのか?
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こちらは、二重滝近くにあった、クマ看板。大山にはクマが出るんだな、と。そういえば、クマよけの鈴を付けて歩いてた人がいたっけ。
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そしてこちらは、二重滝のところにあった社前に鎮座する龍。大きな口を開けて、何が言いたい?
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二重滝の名前の由来は、上の方で二本に分かれてるから、そう名付けられたってことみたいだね。
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ところで、こうして写真を一枚一枚確認していて、あっ!と気づいたことがある。落語の演目に、「大山詣り」というのがある。僕は志ん朝で何度も聞いているんだけど、この噺、毎年、宿の宴会で酔っ払って喧嘩を売っては、同行の長屋の連中に迷惑をかける男が主人公。そして、その男の名前は「熊」と言うんですよ。噺のなかでは、熊公とか熊さんとか呼ばれているけれどね。

落語に熊さんはよく出て来るけど、「大山詣り」に登場する熊さんは、ちょっと違うかもって思い始めている。何が言いたいかというと、江戸時代の大山では熊がよく出没して、参詣客に被害に与えていたのかも知れないねえということなんだよね。熊被害の話は江戸市中でよく知られていて、大山詣りでは熊に気をつけなくちゃならんぞ、などと言われていたのかも知れない。そんな風に想像してみると、こちらの熊さんは山の神の化身かも知れないと思えてくるから不思議だ。ただ、神といっても荒ぶる神に違いないんだけどさ、もちろん。

最後は最寄り駅に戻って、みんなで中華料理を食べて、気持ちよく酔っぱらって解散したのでした。荒ぶる熊になったものはいなかった。めでたし、めでたし。大勢で山を歩くのも、楽しいね。これから時々やろうかな。

by naomemo | 2010-11-07 19:15 | 音楽から落語まで

映画から落語の話まで

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花の名前に疎いのだけど、この花、ハナニラというらしい。今朝、野草辞典を見ていたら、ハナニラには白い花が多いようなのだが、これは薄紫で美しい。つい先日、連れ合いが多摩川で撮ったもの。

さて、一昨日、久しぶりに映画業界の友人とご飯を食べながら、くつろいだ時間を過ごした。やっぱり映画作品の話が中心になったんだけど、外からは伺い知れない業界事情もいろいろ聞けた。差し障りのないところでいえば、最近、洋画DVDがまったく売れなくなったんだとか。激減だという。その影響もあってツタヤの店舗展開も縮小傾向にあるという。景気が悪いってこともあるだろうし、BS、CS、ネット配信に押されてるってこともあるんだろうね。そういえば、我が家の最寄りのツタヤも、先月、撤退したのだった。

それで、ツタヤはいまTポイントカードに軸足を移しつつあるんだとか。最近あちこちで、Tポイントカードはお持ちですか?と訊ねられるシーンが増えてきて、なんだろうねえ、これは、と思っていたんだけど、そういう背景があったんだね。おぼろげながら、ようやく少し見えてきた感じ。経営母体のCCCは、ツタヤ事業に集中していた経営資源の分散を図ってるんだね。Tポイントカード事業の拡大にこれまで以上にチカラを入れようってことか。ま、ツタヤ事業そのものも店舗からネット配信へ軸足を移しつつあるのかも知れないけれど。

一方、洋画配給市場では、これからは地方の掘り起こしが一つのテーマになってきたという。これまでのようにDVDで稼げた時代は終わったので、これから映画は地方でヒットしないと、やりくり出来ないんだとか。そして、その地方のマーケットでは、とにかく分かりやすさが重要になると。これまでの都会のコアの映画ファンに伝えるようなコミュニケーションのやり方では通用しない。ここでは詳しくは書けないけれど、地方のマーケットを掘り起こす手法が磨かれれば、これは意外に都会に持ってきても通用することになるのかも知れない。分かりやすさ、伝わりやすさは、高齢化社会ではとくに重要になるのかも。ヒントはあちこちに転がってるもんだね。

そういえば、落語家の古今亭志ん朝は、弟子達に向かって、こんなニュアンスのことをよく言っていたという。「お客さんは、行きたがってるんだよ。だから行かせてやんなくちゃいけなんだよ。それをクサイとかダサイとか言ってやらないお前たちの方が、クサイんだよ」。うーん、深いわ、やっぱり。行きたいから寄席に足を運んでるんだよね、客は。ここ一番で、水戸黄門が印籠を出すみたいに、笑わせてくれたり、泣かせてくれたりしてほしいんだよね、客としては。分かりやすい決まり事なんてものも、けっこう大事なことなんだね。

ということで、これにて今日はお仕舞いです。では、よい週末を。このお休みは温かそうだし、桜もちらほら咲きそう。お彼岸なので、我が家も鶴見のお寺へお線香あげに行きます。

by naomemo | 2010-03-19 09:00 | ノン・カテゴリー

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今日は夕方から築地のパレットクラブへ。楽しみにしていた古今亭菊六の高座へ足を運んだのだった。ここでの菊六落語会は、年に四回の開催。すでに十一回目を数えるが、わたしは昨年一月の第七回から参加している。

今回は、「長屋の花見」と「井戸の茶碗」の二席。花見ではたっぷり笑わせくれたし、茶碗ではしっとりした気分にさせてくれた。この組み合わせ、なかなか良かったね。どちらも堪能させてもらった。

彼の落語は、その間の良さもさることながら、口調と表情と仕草で人物をしっかり描き分ける独自の芸風。とくにその表情づくりについては、類を見ない。誰も太刀打ちできないんじゃないかな。

そしてもうひとつ。小気味のいいテンポでポンポンポーンと噺を運びながら、視線をサッと移すだけで場面をパッと転換してみせる技は、まるで名人の手品を見せられているようだ。志ん朝のレベルに一歩一歩近づきつつあるね。

一緒に楽しんだ友人は、先代の桂文楽の落語をこよなく愛しているのだが、「文楽の再来だね」なんて言っていた。菊六さん、素晴らしい落語を、ごちそうさまでした。

さて、明日は久しぶりのゴルフ。ちと寒そうなのが気になるけど、遠足を前にした子供の気分なのだ。そろそろ寝なくちゃ。では、おやすみなさい。

画像出典:
http://www.rakugo-kyokai.or.jp/Performers/Details/e5b0b222-71f5-4cb4-954f-35a8570470f6

by naomemo | 2010-03-06 23:22 | 音楽から落語まで

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食わず嫌いがあってもいいんじゃないか。これまでそう思ってたんだけど、ちょいと気分が変わってきた。先日、談志の「芝浜」をはじめて聴いた。といって、彼のダミ声が好きになったからでも、あの傍若無人な振る舞いが好ましく思えて来たからでもない。晩年の志ん朝をして、「二人会をやるとしたら談志兄さんかな」などと言わしめていた男の噺を一度も聴かないってのも、志ん朝ファンとしてどうなのかなと思うようになったからである。

談志の「芝浜」には、録音がふたつある(いや、もっとあるかも知れないけれど)。今回、若い頃の録音と、年齢を重ねてからの録音、その両方を聴いてみた。正直、驚いた。両者の間には、おそらく20年から30年の隔たりはあろうかと思われるけれど、それにしても年齢を経て、これほどまで変わるものなのかと。飽くことなくリアリティを追い求めてきた成果なんだろうな。

噺家によって細部は異なるけれど、ストーリーの冒頭はおおむねこんなところか。もともと腕のいい魚屋の亭主が、寒い冬の訪れとともに、いつのまにか酒びたりになって仕事をさぼるようになる。時節は、旧暦の年の瀬。いまでいえば2月初旬から中旬ゆえ、一年でいちばん寒い時期だ。魚河岸へ仕入れに出かける時間帯は、日の出前の4時頃かな、5時頃かな。どちらにしても、まことに寒かったろう。そこで、ついつい魚河岸の食堂で酒の力を借りる。最初は一杯で済んだところが、次第に2杯、3杯となり、日に日にだらしなくなる。あげくに仕事をさぼるようになるという寸法。

聴いている方は、頭の片隅でそんな急に仕事をさぼるようになるものかなと訝しい気分もあるんだけれど、ここのところを無類の酒好きだった志ん朝は、自分のことを引き合いに出しながら、あくまでもお酒のせいにして、深入りし過ぎることなく、さりげなく運んで行く。人生、魔がさすことってあるんだよ、という程度にね。こちらも、うん、分かったと。

ところが、談志は、そこのところを曖昧にしない。ずっと気になっていたようで、伝え聞くところによれば、ある年の真冬の高座では、扉をすべて開け放って演じたことがあるらしい。演じる方も寒い。もちろん聴く方も寒いよ。酒に行くのもムリないやね、と。やることが徹底している。そして今回聴いた後年の録音では、魚屋の亭主をもともと酒びたりの乱暴者として描いている。つまり、けして「魔がさす」みたいな解釈には至らない。とにかく、とことんリアリティを追求しているのだ。すべてに因果があるという立ち位置とでも言おうか。彼自身の中にある「どーしよーもない」部分を大きく引き延ばして投影しているような感じにも思えてくる。その迫力が凄い。そこのところが、談志ファンには堪らないんだろうねえ、きっと。

でも、談志を聴いたおかげで、なんだか、あらためて志ん朝が好きになってしまったんだよね。談志が考えているように、古典落語をいまの時代に演じて生命を吹き込むためには、たしかにリアリティの出し方に工夫がいるのだろう。けれど、こちらは、なにも、リアリティだけを求めて落語を聴いてるわけじゃないんだもん。ありそうでなさそう、なさそでありそうな、虚々実々を味わうところ、奥行きの深さみたいなものも、落語を聴く楽しみでもあるんだから。ま、でも、談志の解釈はたしかに一聴に値するし、志ん朝と聴き比べると面白いことは間違いない。

なお、「芝浜」の噺は、その後こんな感じに展開していく。

酒に溺れて日に日にだらしなくなっていく亭主に堪え難くなった妻が、ある年の瀬の早朝、揺り起こして芝の魚河岸へなんとか送り出す。ところが一刻も早く起き出したせいで、まだ魚河岸は開いていない。仕方なく浜へ出かけて煙管を吹かしているうち、ようやく夜が白み始める。酔い覚ましに海水で顔を洗っている時に、大量のお金が入った皮の財布(革袋)を拾うことになる。

大金を手に顛末を話す亭主と、それに調子を合わせる妻。しかし何を思ったのか、妻は、亭主をなだめてお酒を飲ませて床につかせてしまうのだ。やがて目を覚ました亭主、意気揚々と風呂屋へ行き、帰りに横町の連中を引き連れて帰り大盤振る舞い。

翌朝、妻は、やはり亭主を揺り起こす。目覚めた亭主、大金があるから働かないと言い出す始末。当然だろう。でもテキもさるもの、大金ってなんのこと?財布ってなんのこと?と突っぱねる。財布は悪い夢、大盤振る舞いは現実だ、と。さすがに困り果てた亭主、改心し、酒をきっぱりと断ち、腕のいい働き者の魚屋に戻る。いつしか具合の悪い借金はすべて返済し、蓄えまで出来た3年後の大晦日。畳替えをして、夫が風呂から戻るのを待って、妻は意を決して当時の顛末を話し始める…。ほろりとさせてくれる、江戸の人情噺です。

by naomemo | 2010-02-24 08:19 | 音楽から落語まで

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今年の旧正月は2月14日とか。新月のこの日を境に月が満ちて行くわけだ。けれど、旧暦では立春の日を元日とみなすから、その前日にあたる今日2月3日は大晦日ということになる。いまでもこの日に神棚のお札を交換するところがあるという。ま、こちらが本来なのかも知れないけどね。

旧暦の大晦日は節分にあたり、昔から「豆まき」なんてことをする。一年のお終いに、まるで煤払いのようにオニはそと、フクはうち、などといいながら、歳の数だけ豆を食べる。我が家にも数日前から豆が用意されている。でも最近では「太まき」がブームのようで。節分の日に「福を巻き込んだ」太まきを、その年に決められた縁起のいい方角(恵方)を向いて、無言で一本丸かじりすると、福があるんだとか。関西っぽい風習だよね。ちなみに今年の恵方は西南西だという。

今晩は、豆まきを楽しむか、太まきを丸かじりするか。

ついでに、この季節にふさわしい落語をひとつ。「芝浜」という歌舞伎にもなっている定番のネタがある。この噺、年の瀬の出来事と、それから3年が経過した大晦日の出来事が対比されて描かれていることから、年末に高座にかかることが多い。でもね、そもそもこの噺の舞台は江戸時代、大晦日とはいっても旧暦のこと。つまり、一年でいちばん寒い今頃の時節の噺なんだよね。こんなことを頭に入れて聴くのと聴かないのとでは、ちょっと印象が違うかもね。

by naomemo | 2010-02-03 08:20 | 音楽から落語まで

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昨晩放映の「坂の上の雲」(第二回)に、正岡子規、夏目漱石、秋山真之ら同級生が「娘義太夫」目当てに、寄席へ繰り出すシーンがありました。そこで高座に上がっていた前座の噺家は、真之らに「下手くそ」だの「引っ込め」だのと野次をとばされ、さんざんな目に遭っていましたね。その前座役ですが、昨年から贔屓にしている古今亭菊六が演じておりました。高座でオタオタする演技も、なかなか良かったなあ。

古今亭菊六は、この10月に「NHK新人演芸大賞」の落語部門で大賞を受賞している縁もあって、今回の前座役で登場となったのでしょう。ついでに、今日は、菊六のことを少し紹介しておきましょうか。

1979年(昭和54年)2月東京生まれ、現在30歳ですね。平成13年に学習院大学を卒業、14年に古今亭円菊に入門。15年正月二之席に前座となっています。前座名は「菊六」。18年5月下席より二ツ目昇進。そして今年10月に、NHK新人演芸大賞受賞で、二ツ目の頂点に立ちました。何度か高座に足を運んでますが、堂々とした話っぷりで、とてもとても30歳とは思えませんよ。

ところで、師匠の古今亭円菊はあまり一般には知られていないようですが、古今亭志ん生の「最後の弟子」です。二ツ目名を「今松」といい、病で倒れて身体の自由が利かなくなった志ん生を背中におぶって寄席に通ったことで知られています。志ん生は、「いままつ、いままつ」と言って可愛がったようです。「背中の志ん生」という著作もあります。苦労人で遅咲きの落語家ですが、いまでは古今亭の総領的な存在といってよいでしょう。

その円菊の末弟子が、菊六なのですね。つまり、菊六は、あの志ん生の孫弟子ってことです。噺もうまいし、集中力も素晴らしいし、声もいいし、様子もいい。そのうちにチケット入手もままならなくなるだろうから、今のうちにセッセと高座に足を運ぼうと思っています。

さて、上の写真は、今朝iPoneで撮影した千駄ヶ谷駅前のイチョウ並木。いつのまにやら冬支度が始まっていました。

by naomemo | 2009-12-07 09:15 | 音楽から落語まで

金と千両みかん

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古典落語に「千両みかん」という演目があります。暑い夏、大店の若旦那が急に患い、明日をも知れぬ重病になるのだけれど、医者の見立てによれば、気の病だという。なにを思い煩っているのかと父親の旦那がいくら尋ねても、ラチがあかない…。

そこで、気心の知れた番頭さんが呼ばれ、若旦那から患いの種を聞き出すことに。ここまでは、ほとんど「崇徳院」と同じような展開なんだけど、ここから先がちと異なる。恋慕う相手というのは、どこそこのお嬢さんじゃなくて、先の暮れに紀州で巡りあった、ハリがあって、ツヤツヤしてて、瑞々しくて、香りのいい「みかん」だというのだ。番頭さん、思わず吹き出しながら、後先を考えず、手に入れてきましょうと安請け合いをしてしまう。

いまでこそ品種改良やら特殊な栽培方法で作られたみかんはあるのだろうけれど、この演目は江戸中期に出来上がったもの。しかも時節は夏の土用と来ている。みかんなど、容易に手に入るものでもない。けれど、そこは落語のお噺、あちこち脚を棒にして探しまわってみると、ある問屋の蔵の奥に、1個だけ腐らずに残っている。値段を聞けば、千両だという。まさか。でも、大店の旦那は、息子の命が助かるなら、千両など安いものよ、と。

みかんを、ひとふさずつ、おいしそうに食べる若旦那を眺めながら、番頭さんは考え込んでしまう。将来「のれんわけ」される時にいただける支度金は、はて、さて、三十両だろうか、五十両だろうか。ところがいま目の前にある「みかん」は、ひとふさが百両。番頭さん、何を勘違いしたか、欲に目がくらんだか、「父さんと母さんに」と若旦那が残したふたふさを、ガバと掴んで逃げ出してしまう。

ほんと、バカバカしいお噺なんだけれど、でも笑ってばかりもいられません。これ、いま、実際に世界の金市場で起きつつあることに似ているんですね。桁違いのマネーを運用しているファンドや欧米の富裕層は、いわば大店の旦那です。大量に増発されて価値がどんどん薄まっている通貨の現状を前にして、彼らは、全世界の地上在庫がプール3杯半ほどしかない金の現在の価格をどう見ているでしょうか。

だって、みかん一個が千両ですよ。それを安い物だという旦那がいるんです。これはもちろん落語なんだけれど、おなじ人間の考えること、実際にあっても不思議じゃありません。その結果、下手をすると、数年後、金には、信じられないような高値がつく可能性だってないとは言えません。もちろんバブルの果てのことに違いないだろうけど、その時になって冷静じゃいられなくなるのは果たしてこの番頭さんだけと言い切れるだろうか。

画像出典:
http://www.mikanfarm.com/hinnsyu/kuradasi/kuradasi.html

by naomemo | 2009-11-26 08:33 | 音楽から落語まで