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オーストラリア政府が、タバコのパッケージにロゴマークやブランドカラーなどを表示することを禁止した。その決定に対して米国フィリップ・モリス社は法的手続きの準備に入ったという。

そもそも欧米で始まった禁煙の動きは、社会の健康志向という流れを受けて、という理由だけでなく、増大する医療費を抑えたいという政府の財政的な理由が背景にあることはよく知られている。けれど一方でタバコの売上げが低下すると政府の税収が減少するという問題も抱えているはず。

それでもオーストラリア政府がここまで踏み込んだ決定を行なったのは、なにか別の意図がありそうな気がする。なぜなら、パッケージのデザインを規制したからといって、禁煙率が上がるとも思いにくいからだよね。なんとなくちょっと注目したい気分。

ちなみに、上の写真は、そのフィリップ・モリス社のマルボロ・ライツ。僕はタバコを止めて3年ほどになるけど、それまでよく吸っていたやつだ。

by naomemo | 2011-06-28 09:15


今日は11月2日。煙草をやめたのが昨年の11月11日だから、あと9日ほどで丸一年になる。それまでにも何度か禁煙にトライしたんだけど、おおむね2、3ヶ月で喫煙生活に戻ってました。こんどの禁煙は、たぶん、4度目か5度目の正直ということになりますね。でも、もう一年かと思うと、自信になるね。もう、だいじょうぶ、って感じです。

じつは、このブログも、禁煙とおなじ日にスタートしているから、もうすぐ満一才になります。最初、禁煙日誌のようなスタンスで始めたんだけど、なにが幸いしたのか、今から思えば、あ、れ、れ、れ、と、拍子抜けするほど簡単に禁煙ができてしまいました。さーて、どうしたらよいものだろうか…。すこし間が空きました。切り口を絞って映画のブログにしてみようかなとか、映画と落語のブログにしようかなとか、いろいろ考えたのだけれど、ブログって「ウェブ上の日誌」なんだから気軽に行けばいいんじゃないかな、と思うことにしました。

それで、いまのように、アンテナにかかってきたことや気になったことを、気軽に書くようにしています。そのせいで、じつに雑多なブログになってしまったなあと思うし、節操がないねえとか、コンセプトがないよとか言われそうだけど、これくらい肩のチカラを抜かないと、続けられなかったかも知れない。ま、そうはいっても、映画のことだけは、少しリキ入れてはいるんだけどね。

でも、なにごとも続けてみるものだね。いつのまにやら、もうひとつ、写真と一行メッセージだけのブログをやってみようかなとか、映画の話が溜まったら手を入れて映画専用のブログを別に立ち上げようかなとか、いろいろ新しい段階がぼんやり見えて来ました。だから、このブログについては、あえてこのまま雑食主義で行こうと思っています。「純」を目指すのではなく、「雑」のまま続けて行こう、と。できれば、コンスタントに週2、3本、と思ってます。

ところで、昨日、「母なる証明」という韓国映画を観て来ました。韓国映画で映画館に足を運んだのは初めてなんだけど、ずっしりと肚に堪えました。感想はそのうちに。

では、次の一年も、どうぞよろしく。今回は、特定の読者を思い描きながら書きました。

by naomemo | 2009-11-02 08:40

Hiroshi Yamada Art Gallery

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一昨日、三重県桑名市在住の友人から久しぶりにメールが届いた。上京するのかと思ったら、予想とは違って地元で開く個展のお知らせだった。ウェブ上にHiroshi-Yamada-Art-Galleryというサイトも開設、そのURLのお知らせもあった。いずれにしても都合がついたら出かけてみようかと思っている。

ついでのように「まだ禁煙は続いていますか」と書いてあった。ブログにときどき目を通してくれていたのか、いつのまにか「禁煙」の文字が消えたので、喫煙が復活したんじゃないかと思っているのかも知れない。

禁煙を始めた最初の3ヶ月ほどは、たしかに毎日カレンダーにチェックを入れて、何日経過、何日経過と、指折り数えていたものだ。このブログも最初の頃は、「禁煙●●日目…」というタイトルが並んでいる。

でも、日数を数えているうちは、時間の流れは亀の歩み。数えるから、時間の流れがよけいに緩やかに感じられるのかも知れない。それでも一日一日と禁煙の達成感が積み重なっていくことは、心の支えではあったのだ。

それが、いつのまにか数えなくなった。いつのまにか半年が経過していた。いまでもアルコールが入った時などに、ちょっと1本、という気持ちにならない訳ではないが、ちょっと我慢するだけで気持ちは鎮まってくれるので、もう大丈夫。ご安心ください。

禁煙を続けるコツは、ただひとつ。その1本を、けっして、口に運ばないこと。それだけ。当たり前のことなのだが、それしかないのだと思う。それにしても勝手なものだ。なぜあんなに身体に悪いものを、いつまでも吸い続けてきたんだろうって思っているんだから。

by naomemo | 2009-05-10 18:34


タバコ止めたんだよね、と言ってみる。相手がスモーカーであろうとなかろうと、その言葉に対して、なぜ?って疑問を返してくる人はいない。こんな旨いもん、なぜやめちゃうだい?と突っ込んでくるスモーカーが一人や二人いても、ぜんぜん不思議じゃないと思うんだけど、そうはならない。スモーカーもノンスモーカーも、喫煙=害毒という等式にしっかりバインドされているんだね。いけないね、こういう流れは。

私は、タバコを、止めた。でも、吸いたい人は吸えばよろし、と思っている。ただ、スモーカは臭覚が鈍くなっているから自覚しにくいだろうが、一度体内に取り込まれてから吐き出されるタバコのニオイは、ノンスモーカーにはしんどい。とくに、私のような若葉マークのノンスモーカーにはね。だからスモーカーには、周囲に迷惑のかからない場所で、好きなだけ吸いなはれ、と言いたい。

英国ではパブが全面禁煙になっていると聞く。英国のパブといえば、常温のぬるいビール、スコッチ、タバコ、ダーツが4点セットだと認識していたが、その一角が崩れたということで残念である。それで経営が立ち行かなくなってきたところも多いと聞く。なぜそこまで政府が関与するんだろうか?英国らしくないと思う。そんなことは、個別の店のオーナーが決めればいいことじゃないか?喫煙できる店、出来ない店、両立してる方が健全だし、どっちの店に入るかは客が決めればいい。どうも、高齢化に伴う公的な医療費支出増大を抑制すべく、タバコを犠牲の羊にしてるんじゃないかと勘ぐりたくなる。こういう英国の変質は、なんだか気になるね。

最近、我が家のある神奈川県でも、人が集まる場所を法律で全面禁煙にしようという動きが出て来ている。公共施設を禁煙にすることには、まあ賛成だが、巷のバーにいたるまで全面禁煙にしてどうするんだ?愛煙家が集まるバーがあったって、いいじゃないか。ノンスモーカーは入らなければいいだけのこと。禁煙を続け、タバコを完全に止めようと思っている私ではあるが、法律で個人経営の店まで全面禁煙にすることには断じて反対である。それは筋違いというものである。子供じみた真似はやめてほしいものです。

by naomemo | 2008-12-11 23:30


つ、つ、ついに、禁煙30日目。先月11日から始めたから、今日でちょうどひと月になるのだ。じつに素晴らしい。自分で自分を誉めてあげたい。よし、よし、よく頑張ったぞ。

じつは、これまで何回か禁煙にチャレンジしてきたのだが、たまの1本くらい大丈夫でしょうという緩い気持ちだったことが禍いして、いつのまにか喫煙生活に戻ってしまっていたのだった。しかし、これまで何度も書いているように、そして、これは誰が考えても当たり前のことなのだが、その1本さえ手にしなければ、続けようという意思さえあれば、禁煙は簡単に続けられるのだ。ま、簡単にとは言っても、最初の数週間は、ニコチンパッチの援助があったから無難にこなせたんだけどね。ニコチンパッチがなければ、おそらく到底ここまで来れなかっただろう。

ところで、今日のタイトルだが、最初に使ったのはマラソンランナーの有森裕子さんだった。いや、ひょっとしたら違うかも知れない。言い直そう。初めてこの言葉を耳にしたのは12年前。92年のバルセロナ五輪での銀メダルに続き、96年のアトランタ五輪でも銅メダルを獲得した有森裕子さんが、そのレース直後のインタビューで、はじめて自分で自分を誉めたいと思います、と言い放ったのだ。

えっ?と、一瞬、耳を疑った。その音は三半規管のアチコチにぶつかって、妙な違和感を残した。なんだかヘンな言い方をする人だなあと思った。少し大袈裟な言い方かも知れないが、自分で自分を誉めるなんて発想は、それまでの日本語にはなかったのではなかろうか。それほどのカルチャーショックだった。

にもかかわらず、有森裕子さんから発せられたこの言葉は、多くのひとに受け入れられ、すばやく吸収消化された、ようだ。その証拠にその年の流行語大賞に輝いてもいる。それだけのインパクトがあったということだし、それはなにより有森裕子さんの努力と活躍がベースにあった。でも、ほんとはどうなんだろう。いつまでも訝しく思う自分がいた。それほどすばやく吸収されるような類いの言葉だったんだろうか、それは。

by naomemo | 2008-12-10 22:30


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一昨日、昨日と、ひさびさに「タ、タ、タバコ、吸いたい」という気分に襲われた。なにかキッカケがあったのかなあ…、思い当たることと言えば、金曜日に観た映画(「その土曜日、7時58分」)くらいである。表現にチカラがあった分だけ、暗澹たる物語が堪えてしまった。それでストーンと落ちた休日の2日間、ジムやテニスコートでたっぷり汗を流して、なんとかやり過ごし、ようやく浮上してきた感じ。

本来なら今はまだニコパッチを貼っているはずの時期だから、「お、おぬし、き、きたなあ」と感じたら、無理せずに貼れば楽になるのは分かっていたのだが、ここはあえて我慢してみたのだ。休日だったから、なおさらだね。でも、終わりよければ、すべてよし。禁煙、じつに21日目に突入したのであった。とにかく1本吸うだけで中毒症状が復活してしまうらしいので、このまま行くのだ。

そんなこともあってか、昨日あたりから志ん朝の落語が聞きたくなり、音源をiPodに移す。まずは「百川(ももかわ)」。田舎出の百兵衛さんと江戸の魚河岸の兄さんたちとの掛け合い、というか擦れ違いは、なんど聞いても笑っちゃうねえ。

今朝は電車の中で「今戸の狐」。この噺、いろいろなバージョンがあるらしいが、他にどんなのがあるんだろう。志ん朝バージョンでは、マクラでさんざん符丁のことが紹介された上で噺が展開する。どうってこともない噺のようではあるが、きっと志ん朝好みなんだろうな。とにかくカタチがきれい。前座が主人公というのも珍しい。

ところで、この噺のなかに、狐の彩色の内職を手伝いたいと頼んで来る、近所で働き者と評判の女性が登場する。コツ(千住)出身の女郎上がりだという。今戸の狐って、江戸時代の庶民の間で招き猫のような縁起物として人気があったのかもな。

by naomemo | 2008-12-01 13:30 | 音楽から落語まで


お昼に、近くの天婦羅屋に入った。ここ新宿御苑あたりでは、大盛り天丼で知られた店だ(名前は伏せておく)。

ノレンをくぐって、あれれ、と思った。若夫婦だけ?以前はオヤジさんらしき人が切り盛りしていたような記憶があるのだが…。棚の器もわずかで、ずいぶん淋しい感じ。なにがあったのかね、あまりに久しぶりなので皆目検討がつきません。

でも、あの大盛り天丼は健在でした。なにせ、ご飯の上にたっぷり天婦羅が乗っかって、そうだなあ、七輪の上でハマグリがパカッと口を開けたときのように蓋が45度ばかり開いた状態で出て来るんだよね。おー、すっげー、なのだ。そして、味もなかなかよろしいのだ。

以前なら、ひょえー、こんなに食べられへんがなー、って感じだったのだが、タバコをやめて食欲が暴発している今の私には、お茶の子さいさいなのであった。もう少し食べられるって感じ。恐るべし、禁煙効果。

ここでひとつ思い出した。数年前、薬害で肝臓をやられ、黄疸が出て緊急入院したことがある。その際、ビルルビン(肝臓がダメージを受けて出てくる酵素で黄疸症状のもととなるもの)がたっぷり出て、末梢神経がやられた。手の内側も、足の裏側も、きれいに一皮むけた。臭覚もやられた。味蕾のある舌の表面も焼け野原となり、味覚が完全に失われた。ショックだった。味覚外来の先生も、味覚がゼロになった患者を診るのは初めての経験だったようで、味覚がどこまで恢復するか、どれくらいの期間で恢復するか見当がつかないと言われ、目の前が真っ白になった。

味覚が戻るまでに半年ほどかかったが、それまでのあいだ、腹は減ってもイザ食物を口に運ぶと味がまったく感じられないため食欲がガクンと減退するという、じつに味気ない経験をした。大げさじゃなく、生きる意欲まで失いそうだった。味覚ってのは、食欲とじつに密接な関係を持っているんだなあと、そのとき初めて実感したのだった。いまはちょうどその反対。味覚が鋭敏になっているから食欲が暴発するのは当然のことなのかも知れない。

夜、U氏、M氏と四ッ谷三丁目で待ち合わせ、荒木町の「くろ田」にお邪魔した。ご夫婦二人で営んでいらっしゃる小料理屋である。「これがホントにホントの最後だよ」と出された四方竹の煮物、旨かったあ。

by naomemo | 2008-11-21 18:14


今日もパッチを貼らずに自宅を出る。通勤電車に乗って、いつものように新聞を四つ折りにして読んでいる。3つ目の駅から乗り込んできた男(サラリーマン風)が目の前に立った途端、ガツーンとタバコの臭いが鼻孔に侵入してきた。何食わぬ顔して(るつもり)、咄嗟に背を向け、臭いを避ける。ふ、ふ、ふ、タバコを遠ざけて9日目にして、臭覚が戻りつつあることを実感した瞬間である。 

昼、久しぶりに蕎麦屋でラーメンと小カレーを食う。むぅー、満腹感がやって来ない。9日目にして食欲が旺盛になって来たということか。明日から少し抑え目にするか、朝晩、最寄駅まで20分歩くか。

3時頃になっても、タバコが欲しいー、というほどの離脱症状は来ない。が、なんとなく気分がざわついてきたので、右上腕にパッチをペッタリ貼る。しばらくすると落ち着き始める。この分なら、来週から10グラムのパッチに切替えても大丈夫かもな。

昨晩から文春新書「私家版・ユダヤ文化論」(内田樹著)を読みはじめる。じつにややこしい文体だけど、第1章の次の記述には、なんだか納得だな。

「けれども、『ユダヤ人』というシニフィアンを発見したことによって、ヨーロッパはヨーロッパとして組織化されたのである。ヨーロッパがユダヤ人を生み出したのではなく、むしろユダヤ人というシニフィアンを得たことでヨーロッパは今のような世界になったのである。私はそういうふうに考えている。」

イエスはユダヤ人なのに(ん?違うか?)、キリスト教圏のヨーロッパ人たちは、なぜユダヤ人を虐げてきたのだろうか。ぼくにはどうしても分からなかったのだ。ひょっとして、この疑問に答えてくれる書物かも知れない、という期待を持ちつつ読んでいる。

by naomemo | 2008-11-19 17:53


今朝は、起き抜けにパッチを貼らず、自宅を出る。まだ早いかな、結果を早く求め過ぎるても良くないかな、と思いつつ、どこまでパッチなしで行けるかトライしてみるのだ。もうダメって思ったら、すぐパッチを貼ればいいから気楽なもんだ。

水とお茶を代わる代わる飲んだり、キャンディを含んだりして、気持ちを紛らわしつつ仕事。臭うはずのないタバコのニオイ。もちろんそんなはずはない。事務所内は数年前から禁煙になっていて、誰も吸っていないのだ。それなのに臭うのは、錯覚に違いない。離脱症状の一種なんだろうか。臭覚って、カラダの状態や気持ちに影響されるものなのか。

それにしても昼に喫茶店で飲んだ水、いやに薬品臭かったな。少し味覚が鋭敏になってきたのか。そうそう、臭いといえば、尿や便のニオイが少しアッサリ(?)してきたような…。錯覚かも知れないが。

夕方になって、アタマが真綿で締め付けられるような感触。明らかな離脱症状なので、無理して我慢せず、パッチを貼ることにした。今日のトライは、朝から15時半までが限界であったか。ま、ゆっくり最長不倒距離を伸ばしていけば良いのだな。

by naomemo | 2008-11-17 16:30


土曜日は朝9時半頃にジム入り。マシンをひと通り軽めにやった後、ピラティス、パワーヨガ、ステップでしっかり汗を流す。このメニューにして1年半だけど、いまだにキツイ。でも、終わった後は、すっきり気持ちいい。

ジムで集中してる時にはまったく感じないのだが、帰ってからしばらくして急に吸いたくなった。急いでパッチを貼って、離脱症状をやり過ごす。なんとなく咳が減って、呼吸も少し楽になってきたような気がする。食欲が旺盛になったという感じはないけどね。

日曜日は久しぶりにどこにも出かけず、なんとなく読書の気分にもなれず、TV画面の前で、ゴロゴロ、カウチ。朝食後から夜までパッチを貼って過ごす。ただ、寝床について眠ってから、タバコをぷかぷか吸っている夢を見る。睡眠中にふわふわ離脱症状が出てるってことなのかな。あまり気持ちいいもんじゃないね。

完全断煙、継続中。

by naomemo | 2008-11-16 23:00