c0112103_7402593.jpg


久しぶりの投稿です。

もうひとつのブログ「はじめての金読本」は毎週更新しているし、Facebookやtwitterは時々やっているんだけど、こちらのブログは長く放置してまった。なんとなく、このブログとの関係が見えにくくなったというか、どうにも距離感がつかみ難くなってしまっているようです。

さて、それはそれとして。ずっと迷ってたんだけど、先日、ついに意を決して買っちゃいました、Kindle PaperWhite。ただいまブレーク・イン=馴らし運転中といったところ。

何を読んでみようかなあ、と、数冊ダウンロードして上で、まず読み始めたのが、漱石の「坊ちゃん」だった。じつに46年ぶりの再読だった。

ざっくりと大筋は覚えていたし、赤シャツの存在や山嵐の存在も覚えていたのだけれど、当時どんな印象を持ちながら読んだのかは記憶にない。たぶん主人公「坊ちゃん」に寄り添って、その目線で物語を追っていたんだろうと思う。

そして老境に差し掛かった今になって読み返した印象はといえば、主人公ってこんなに気が短くてワガママな「おぼっちゃん」だったっけ?ということだ。そう、「坊ちゃん」は、おぼっちゃま君だったのだ。

それだけじゃない。もっと驚いたのは、漱石の「坊ちゃん」といえば、痛快な教養小説として読み継がれてきた物語だし、僕もそう思い込んでいたわけだけれど、じつは用意周到に編まれた「日清戦争当時の軍部批判の書」としても読む事ができる作品だということ。多様な読み方ができるのも、名作の証しと思う。

Kindleを手にしなかったら、おそらく「坊ちゃん」を読み返すことなどなかったと思う。じつに貴重な読書体験だった。Kindle、悪くない。

by naomemo | 2013-06-14 10:48 | 音楽から落語まで

悲しい物語だった

c0112103_21121699.jpg


ゴミ屋敷老人の存在がマスコミを賑わしたことがあった。なんだろう、これは?と、あれこれ思いながらニュースを眺めることがしばしばだった。だから橋本治が、ゴミ屋敷老人を扱った小説を書いたと知って、さっそく入手した。それが三年前のことだ。

ところが年末に名古屋に帰省した矢先、読みかけの本ともどもバッグごと強奪された。パソコンも、着替えの洋服も、なにもかも。そんな経緯もあって、なかなか買い直す気分にもなれず、いたずらに時が過ぎた。

先日文庫化されたことを知って、ようやく買い直す気分になった。ゆるゆる、ゆるゆる、ゆるゆると読み進んだ。結末にいたって、じつに悲しい気持ちになった。

ゴミ屋敷老人の一生を通して、彼の身体を通して、戦後の日本が描かれていると云えばよいだろうか。私自身も生きて来た時代が、たしかにそこにあって、少しザラついた手触りとともに思い出された。このひとの時代感覚は、ちょっと特別だね。傑作だと思う。

それにしても、その昔、東大駒場祭のポスターで「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男 東大 どこへ行く」とやった男が、ここまでの高みと深みを獲得するまでになったのか、という感慨しきり。

by naomemo | 2012-12-06 14:46 | 音楽から落語まで

c0112103_10482233.jpg


鬼平犯科帳9冊目読了。これまでとは少し印象が変わってきた感じ。すべてを書き切らず読者の想像力に委ねるところが出て来たようだ。それに「本門寺暮雪」では鬼平より強い「凄い奴」が登場するし、「クマ」という飼い犬も顔を出すようになり生活感が少しだけ濃くなった感じ。合理性を重んじる物語なのに狐憑きの話も出て来るし、ますます深みが出て来てこれからの展開が楽しみだ。日本の政治家たちも鬼平の爪の垢を煎じて飲んでみたらどうだろう。いい加減そろそろ大人になって貰いたいと思うゆえ。

by naomemo | 2012-06-12 10:53

c0112103_12865.jpg


友人のブクレコにあった「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」を読んだ。著者は内山節(うちやまたかし)。この在野の哲学者のことは知らなかったけれど、タイトルが気になって手に取った。

自然のなかで生きてきた日本人の世界観は、なぜ1960年代に大きく変貌したのか。さまざまな角度から見つめ、考えている書だった。じつに面白かった。そして悲しくもあった。こういうアプローチは好きだな。すっかり内山節のファンになってしまった。

ところで、この本のタイトルを見て最初に浮かんだのは、古今亭志ん朝の言葉だった。生前、落語のどんなところが好きかと聞かれ、こう答えている。「狐や狸が出て来るところ」と。

この志ん朝のエピソードは以前紹介したことがあったけれど、内山節の本を読んだ今になって振り返ってみると、こういう意味だったんだなと思い直した。「狐や狸にだまされる話が出て来るところ」と。

by naomemo | 2012-05-17 11:18

薄暮のような香りがする

c0112103_1410593.jpg


先日、新宿紀伊国屋に予約しておいたアティーク・ラヒーミー「灰と土」を引き取りに行ったついでに店内をぶらぶらしてたら、二冊の本が目に止まった。ヤスミナ・カドラの「テロル」山田太一の「空也上人がいた」。すぐにも読み始めるつもりだったけど、図書館から借りていた山歩き本に時間を取られて手がつかず。でも、ようやく「空也上人がいた」に手が伸びて一読した。どうも狐につままれたような気分だったので、ゆっくり読み直した。それでもまだ霧が晴れ切らずモヤモヤしてるんだけど、ここでちょっとメモを。

おもな登場人物は、男二名、女一名、そして三毛猫が一匹、空也上人の木彫立像が一体。

中津草介27才、独身。物語の語り手。大学の経済学部を卒業するも折悪しく就職難に遭遇。けっきょくヘルパー2級の資格を取得して特養(特別養護老人ホーム)に介護人として勤務。2年4ヶ月ほど過ぎた頃、介護していた老婆を死なせたことを悔いて辞職するも、ケア・マネジャー重光雅美の計らいで、身寄りのない老人・吉崎征次郎の介護につく。

重松雅美46才、独身。市の保険公社に所属するケア・マネージャー。申請があった高齢者に、どの程度の支援や介護が必要かを判断したり、施設に割り振ったりする専門員。中津草介が辞職したことを知って、一人暮らしの岩崎老人に介護人として推薦する。老人は過去に二度、女性ヘルパーを追い出しているのだが、中津草介のことは気に入って介護を任せる。

吉崎征次郎81才、妻に先立たれ、身寄りなし。持ち家に独り住まい。これまでに二度、重光が紹介した女性ヘルパーを気に入らず追い出しているが、それは重光にひそかに心を寄せていたたことに原因があるらしい。中堅証券会社勤務していた四十代半ばに、自分の不注意で見知らぬ他人の親子を死に追いやった経験を持つ。それが老いた今でも刺となって残っている。

三毛猫、年齢不詳。雄か雌かも不明。吉崎老人宅の周辺を縄張りにしているようだ。物語に直接関与してくるわけではないが、この三毛猫が登場する場面が三度あり、いずれの場面もそこで空気の流れ変わるように感じる。異界と俗界の境界に住む守り神にも見えるけど、さて、どうなんだろう。

空也上人の木彫立像。京都は東山、そのむかし現世と冥界の境といわた六道の辻ちかくにある六波羅蜜寺に所蔵されている。物語のなかで、中津青年が吉崎の指図で訪ね、吉崎も50代で訪ねている。この立像は、下から見上げると目が厳しい光を放つものらしい。

物語の展開については書かないけれど、読み解くキーワードは、生命、嫉妬、老い、闇、そして異界、かなと感じている。どれも山田太一ワールドではお馴染みなんだけど。そして、若い男、中年の女、老いた男が醸し出す不思議な三角関係を通じて、老いてなお生きることの意味が浮き彫りにされる作品、ということになるだろうか。

ちなみに、僕は以前から山田太一のファンで、その理由のひとつは、彼は男巫(おかんなぎ)ではなかろうかと感じるところがあるからだ。この最新作も、そうした印象が強い。時代が彼の身体を媒介にして物語を伝えたがってるような。ちなみに山田太一は現在77歳だというから、この作品に登場する吉崎老人に近い年齢である。

肯定でもなく、否定でもなく、薄暮のなかを寄り添って歩くように読んだ。

by naomemo | 2011-05-25 09:12 | 音楽から落語まで

c0112103_1037342.jpg


鬼平犯科帳の面白さには、さまざまな側面がある。ひとことでは言い切れないから、新潮文庫版を一冊読み終えるごとに、感想を綴っている。というか、読み終えるたびに、片っ端から忘れていくので、半ば、じぶん用のメモとして書いているところがある。意図的に小出しにしてるわけじゃないよ。

ここまで読み継いできて、気になっていたことのひとつが、犯科帳に収められた話は、「鬼平チーム vs 盗賊チーム」の戦いというか知恵比べという側面もあるなあということです。盗賊チームも、なかなかやるんだよね。

読了した五冊目の物語は
深川・千鳥橋
乞食坊主
女賊
おしゃべり源八
兇賊
山吹屋お勝
鈍牛

さて、中東本を読んでみたくなったので、今週は鬼平犯科帳はお預け。昨日から読んでいるのは、酒井啓子「<中東>の考え方」 (講談社現代新書)。中東ってほんと分かりにくいところがあるけど、ページを繰っていくごとに、一枚、一枚、「分かりにくさ」の薄皮が剥がれて行くような快感があるね。

by naomemo | 2011-02-09 09:20

鬼平、京都へ行く

c0112103_6311519.jpg


今回も鬼平犯科帳メモ。鬼平は、この三冊目で、火付け盗賊改方をいちど解任される。その機会を利用して父親の墓参りに京都に向かう。若い頃、京都奉行職に任じられた父に従って鬼平も2年ほど京都にいて、ずいぶんと遊んだらしい。その地で父が亡くなり、埋葬されているということなのだ。

京都に向かう道中でも鬼平は盗賊との関わりをもつ。盗賊の弟子にもなっている。もちろん京都の地でも盗賊と関わりをもつ。鬼平に平穏は訪れない。それほどに犯罪が多いということでもある。京都から奈良に向かう道中では、十数人の腕の立つ浪人に命を狙われて囲まれる場面もある。あやうし、鬼平。

この三冊目に入っている物語は
麻布ねずみ坂
盗法秘伝
艶婦の毒
兇剣
駿州・宇津谷峠
むかしの男

特有の表現が目につくようになってきた。

たとえば、『麻布ねずみ坂』には、こんな表現がある。
「駕篭わきに侍が一人、小者二人がつきそって来たところを見ると、身分のある武家へ治療におもむいたにちがいない。」

『兇剣』にも、こんな表現もある。
「『おう、猫鳥の伝五郎さんではねえか?』と、低く声をかけた。昨日、若い女を追いかけていたあの男の名は、伝五郎というらしい。」

「ちがいない」とか「いうらしい」とか、これ、なんだろうね。作者、池波正太郎は、自分自身のアタマのなかで映像として展開する物語を観ながら、それを言葉に置き換えていくという作業を行っているのかな。言葉で場面を作っていくという書き方じゃなく、まず最初にシーンのイメージがあって、それを肉付けしていくという順序で書いているような気がする。幼い頃から絵を描くことが好きだったという作者の体質から来るものかもしれないね。見たことがないので確証はないけれど、池波正太郎の生原稿は比較的きれいなんじゃないだろうか。

それにしても、『鬼平』を読んでると、男としての立ち居振る舞いが気になって来るんだよねえ。おい、きちんとしろよ、お前、ってねえ。困るよ。

by naomemo | 2011-02-01 06:44

c0112103_9122093.jpg


鬼平犯科帳は、文庫本にして全部で二十四冊になる大長編である。冊数だけ見ると、ちょっと敬遠したくなる分量。でも、この作品、一編ずつ独立しつつ全体の物語は続いていくという「短編連作」というスタイルを採っているので、どの一編から入っても楽しめる。

一冊目から順番に読み継いでいってもいいし、テレビドラマを思い出しながらお気に入りの話から読み始めてもいいし、最後の二十四冊目の最後の一編から読み始めるというヘソ曲がりがいてもいい。入り方は人それぞれで、それでも十分に楽しめるという懐の深さが、鬼平にはある。ただ、私は一冊目から、つまり池波正太郎が書いた順番に読んでいる。ときどき以前の物語がエピソードとして紹介されることもあるので、それが順当だとは思う。

一昨日読み終えた二冊目の物語は、この七編。
蛇の眼
谷中・いろは茶屋
女掏摸お富
妖盗葵小僧
密偵
お雪の乳房
埋蔵金千両

ほとんどの場合、物語に登場する人物の生い立ちがエピソードとして語られる場面が用意されている。しかも、「犯科帳」という名前でありながら、勧善懲悪にはなっていない。黒かならずしも黒ならず。白からずしも白ならず。そんな人間社会に対する作者の認識が心地いいんだよね。

さて、昨日のアジア杯の日韓戦はじつに燃えた。苦しいほど楽しんだ。前半は日本、後半は韓国。ザックジャパンは確実に進化しているけど、後半は手も足も出なくなった。なんだったんだろう。そして延長戦。早々に1点ゲットしたのはいいが、わずか1点であまりにも守り過ぎだろう。挙げ句、同点に。最後は川島の神業的なセーブで勝てたから良かったものの。ま、そんなスリルが代表戦の面白さでもあるけど。それにしても、長友、いい。素晴らしい。

by naomemo | 2011-01-26 09:19

鬼平ファンの末席に

c0112103_9134574.jpg


以前から、そろそろ読もうかなあと思っていたシリーズのひとつに、池波正太郎の「鬼平犯科帳」がある。そろそろと口にして文春文庫の一冊目を買って本棚に突っ込んでから、どれくらになるだろうか。奥付を見ると手元の文庫本は2007年1月15日・新装版・第16刷となっているから、2、3年は寝かせてたことになるかな。ワインじゃないんだから寝かせたって味わい深くなるわけないけど、きっと自分にとって読み始めた今が飲み頃ってことなんでしょう。

動き出すキッカケになったのは、昨年秋にケーブルTVの時代劇チャンネルで二代目中村吉右衛門が演ずる鬼平犯科帳を数本まとめて見たこと。吉右衛門、なんともかっこいい。そしてエンディングに流れるテーマ曲「インスピレーション」が入ったジプシー・キングスのアルバムをアマゾンで買ってときどき聴いていたことくらい、かな。昨年暮れにシリーズ二冊目を買い置きし、ようやく先週から一冊目を読み始めた。

まだまだとても感想など書く段階じゃないんだけど、面白い。ほんと面白い。ただ、これまで一冊=八編読んだかぎりでは、TVドラマと違って原作では必ずしも鬼平が主人公とは言い難い雰囲気。たしかにシリーズ全体の主人公は鬼平なんだろうけど…。そう、一編、一編に登場する独特な異名を持つ盗人こそが、各編の主人公といっても差し支えなさそう。だからこそ盗人たちの生い立ちがときどき語られもするし、それがまたほどよいスパイスとなって物語に深みを与えていたりもするわけだ。じつにお洒落で、古き佳きフランス映画をたっぷり観ることで培われた感覚なのかも知れない。

読み始めて一週間足らずだけれど、通勤電車に乗って文庫本を開くたび、盗人たちが跋扈し鬼平たちが活躍する江戸時代にたちまちワープできる。まるでタイムトンネルだよね、これは。これから一日一編くらいのゆっくりペースで愉しもうと思う。ただ、ひとつ難点がある。ときどき乗換駅で乗り過ごしそうになるんだよなあ。今朝など、ふっと入り込んで手袋を電車の中に忘れてきてしまった。ただいま捜索中で、まだ出て来てない。困ったね。

ま、それは余談だけど、世には熱烈な鬼平ファンがわんさといるので、とても大きな顔などできない。初心者らしく、静かにその末席に連ならせていただこうと思っています。

これまでに読んだ話は一冊目に入ってる八編。
唖の十蔵
本所・桜屋敷
血頭の丹兵衛
浅草・御厩河岸
老盗の夢
暗剣白梅香
座頭と猿
むかしの女

by naomemo | 2011-01-19 22:37

c0112103_904463.jpg

宗教学者の視点というのも、なかなか刺激的なものだ。

この島田裕巳著「金融恐慌とユダヤ・キリスト教」はずいぶん前に読み終えたんだけど、ずっとバッグのサイドポケットに入れっぱなしにして、犬の耳のように角を折り畳んだページを時折パラパラと眺めていた。まだしばらくパラパラしているかも知れないけれど。

印象に残ったところは数々あるけれど、もっとも強く残っているのは、「市場原理主義」と「宗教原理主義」の根っこは同じ、というところだった。つまりは、「神の見えざる手」が世界の調和を図ってくれるというユダヤ・キリスト教的な信条が、果てのない「規制緩和」=「自由化」を生み出し、その結果、強欲な金融資本主義が生まれたという解釈。これ、けっこう説得力がありました。

もうひとつ言えば、「市場原理主義の破綻」と「金の復活」はコインの裏表に違いないと思っているので、その意味でも参考になった一冊でした。

by naomemo | 2010-09-01 08:26