サヨナラおじさんの遺言

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2008年11月11日は、このブログが大海に船出した日です。そして、その10年前の1998年11月11日は、サヨナラおじさん、淀川長治さんが亡くなられた日です。先日、淀川さんのことを書く上で調べものをしていて、あっ、と気づいたのですよ。まったくもって、うかつでした。もちろん偶然です。偶然なんだけど、映画の先生として勝手に私淑している身としては、なにやら縁を感じてしまうのだ。

ということもあって、ご冥福をお祈りしつつ、遅ればせながら未読だった著書生死半半 (幻冬舎文庫)を取り寄せて読みました。サヨナラおじさんが89才でお亡くなりになる3年前に上梓されたものです。ただ、これは、めずらしいことに映画評論ではありません。人生についてのエッセイ集、というか、そうだなあ、公開遺言状のような内容といえばいいでしょうか。

数カ所を抜粋してみましょう。たとえば最初のエッセイ「死を覚悟するとき」は、こんなふうに始まっています。

〈「こんにちは、淀川です。来月の3日に死にます」公演をするとき、よく私はこんな挨拶から始めます。冗談めかしてはいるけれど、実は本気でそう思っているのです。〉

先の太平洋戦争(第二次世界大戦)について言及しているところには、こんな言葉があります。

〈極端にいえば、自分の血筋や家柄を守りたいという気持ちが、人間に戦争を起こさせるのです。自分の家だけを守りたいという気持ちと、自分の国だけを守りたいという気持ちに、大きな違いはありません。自分と自分以外の人のあいだに垣根を作って、向こう側のことはどうでもいいと思っている点では、まったく同じ考え方だといえます。〉

〈たとえば「桃太郎」のようなおとぎ話からして、鬼ヶ島を征服しようとする物語になっている。動物の家来を引き連れて鬼退治に行くというと、まるで正義の味方のように聞こえますが、鬼たちは何も悪いことはしていません。鬼ヶ島の中でふつうに暮らしているだけなのに、勝手に桃太郎たちが戦争を仕掛けてきたわけです。鬼は髪の毛が赤いことになっていますから、たぶん外国人のことなのでしょう。豊臣秀吉の朝鮮出兵から太平洋戦争にいたるまで、どうも日本人には桃太郎的な心が宿っているように思えてしかたありません。〉

若い人たちに向けて、大人たちに向けて、こんな遺言を。

〈自分の人生をすべて捧げても悔いの残らない本当に好きな道を見つけてもらいたい。そして、そんな道を見つけたら、どんな苦労をしてでも真っ直ぐに進んでもらいたい。辛くて、苦しくて、自分がすごく遠回りしているように思えるときもある。でも実はそれが人生を豊かなものにするいちばんの近道です〉

〈若い人だけではありません。前にもお話したように、好きな道を歩き始めるのは、歳をとってからでも決して遅くはないのです。六十歳からでも、七十歳からでも、八十歳からでもいい、諦めずに自分の道を探してもらいたい。〉

そして最後は、こんな言葉で締めくくられています。

〈そのうち何か楽しいことがあるだろう、などと呑気に構えていてはいけません。明日には死んでいるかもしれないのです。人生を楽しむとは、今日この日を楽しむこと。この世に悔いを残さないためには、全力を尽くして今日を生き抜くしかないのです。〉

映画は時代を映す鏡です。だから、昔の映画は良かった、などという繰り言は言わない。いまの映画がいちばんと思って観ている、と。物心ついてから89歳で亡くなるまで、80年という歳月を映画に捧げて生き抜いた人の言葉は、やっぱりすごいや。

by naomemo | 2009-12-03 08:26 | シネマパラダイス

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いろいろ野暮用が重なってたけど、昨日、ようやくマイケルのTHIS IS ITにありつきました。

300席ほどの箱が満席の状態。久しぶりに熱気溢れる場所に来たなって感じだった。映画館って、やっぱり、こうじゃなくっちゃね。でも、こうしてみると、映画ファンより、音楽ファンの方が圧倒的に多いってことなんだね。

いやいや、そんなことはどうでもいい。THIS IS ITのどこが素晴らしいって、そこに素のマイケルがいるってことだよね。マイケルといえば、ここ数年は彼の奇行ぶりばかり報道されてきたけれど、ここにはコンサートに全精力を傾けるポップ・スター、マイケルがいる。そして、マイケルとの共演を夢見て世界中から集まったスタッフがいる。通常はけっして人目に触れることがない、リハーサル時の素のマイケルが観られるのだ。これは奇跡ですよ。観なくて、どうする、って感じ。

ダンサー、コーラス、演奏家たちに向けて出す、微妙なテンポやニュアンスの指示。照明へ要望。ステージで合体する映像のチェック。完全主義者と言われるが、選び抜いたスタッフを信じてパワーを注入していく姿は神々しくさえありました。ほんとカッコよかった。もう、ずーっと、観ていたかったなー。

日頃マイケルを好んで聴いているわけではない連れも、感動し、最後は冥福を祈っておりました。コンサート、実現させてあげたかったなー。もう観ることができないから、なおさら気持ちがつのる。ちなみに当の配給会社に長年勤務する友人は、こんなメールを書いて寄越した。「こんなに興奮した公開は、もしかしたら最初で最後かもしれません」だって。



by naomemo | 2009-11-24 09:05 | シネマパラダイス

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先週の土曜日、これまた港北マイカルで、待望だったジャームッシュの新作、THE LIMITS OF CONTROL(リミッツ・オブ・コントロール)を観てきた。夕方一回だけの上映なので、ひょっとして満席になるのだろうかと思ってたら、200席はあろうかという箱で観客はわずかに10名足らず。なんてこった。

本来ならここでレビューに移っていくところなんですが、この作品はちょっと難物です。もう少し反芻しようと思います。つなぎとして、今日は、映画の見方を一変させてくれた一冊の本を紹介しておきます。社会に出たての頃に読んだもので、対談の名手と呼ばれていた小説家吉行淳之介さんの対談集です。いまはもう手元にないので、タイトルはうろ覚えなんだけど、たしか「吉行淳之介の恐怖対談」、当時、新潮文庫から出ていたと思います。間違ってたら、ごめんなさい。そのなかに、映画評論家の淀川長治さんとの対談がありました。それが、もう、なんとも凄かったんです。

淀川長治さんは、生前、長いこと日曜洋画劇場を担当されていました。いつもそのエンディングで、「さよなら、さよなら、さよーなら」と、小首をかしげながら手を振っていた映像がいまでも浮かんできます。どんな作品でも、どこかしらいいところを探し当ててレビューされていたのですが、正直なところ、もう少しピリリとしたこと言ってほしいなあ、なんだかいい加減じゃないの、なんて思っていたところがありました。そこにどれほどの意味があるのか、じつはよく分っていなかったんです。幼かった。

でも、その対談を読んで、一変しました。淀川長治さんのイメージが根底から覆りました。なになに、このおじさん、映画をそんなふうに観てんの!!!もう、ガーンってやつです。題材に使ってたのは、アランドロン主演の「太陽がいっぱい」。対談の最中に、あれは世界初のホモセクシャルの映画だって発言があったんですよ。ホスト役の吉行淳之介さんも、似顔絵担当としてその場に居合わせていたらしいイラストレーターの和田誠さんも、編集者も口あんぐり状態になってる感じが行間から漂ってきました。

誰も頷く気配がないのを見て、(その場に居合わせたかのように書いちゃいますが)、淀川さん、やおら説明を始めたんです。ひとつひとつシーンの意味を解きほぐしていくんです。えっ、ウソでしょ、それ…。ほんと、おそるべし。あー、でも、でも、残念ながら、ここから先は書けません。忘れた訳じゃありませんよ。もう、何度も繰り返し読んだんだから、忘れる訳ありません。興味がある向きは、ぜひ原本に当たってくださいな。たぶん、映画の見方が大きく変わると思いますよ。というか、映画がもっともっと愉しくなりますよ。

さっき、アマゾンで調べてみたら、いまは講談社文芸文庫から出ている「やわらかい話ー吉行淳之介対談集」の中に収まっているようです。本の画像と一緒にアマゾンへのリンクを貼っておきますね。では、さよなら、さよなら、さよーなら。

by naomemo | 2009-11-13 08:45 | シネマパラダイス

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中年の女性がひとり、遠くから枯れ野を歩いてくる。笑っているようにも見えるし、深い闇のような悲しみを抱えているように見える。やがてゆっくり身体を揺らして踊り始める。いつしかタンゴ音楽が流れ始めている。これ、友人に薦められて先週末に観た韓国映画「母なる証明」(原題:MOTHER)の冒頭シーンである。なんだか奇妙な幕開けでしょ。

ある日、すこし頭のよわい一人息子が少女殺しの容疑者として逮捕される。息子がまだ幼い頃に夫を亡くした彼女は、女手ひとつで息子を育ててきた。そんな彼女にとって息子は溺愛の対象だったに違いない。息子にかぎって、そんな残忍なことをするはずはない、濡れ衣に決まってるじゃないの。怠惰な警察も弁護士も、頼りにはならない。ひょっとしたら、真犯人探しの障害にさえなりかねない。母は、息子の友人のチカラを借りて、真犯人探しに奔走することになる。なんだか分かるよね、こういうの。

やがて、殺された少女の素顔があらわになり、息子の幼い頃の記憶がよみがえり、ある目撃者との出会いがありと、物語は思わぬ展開を見せることになるのだけれど、この映画は、サスペンスの手法を踏襲しつつも、かならずしも「犯人探し」そのものが眼目ではない。これは、犯人探し=真実の追求がついには悲劇につながっていくという物語なのだ。しかもその悲劇は、母なるものが宿命的に持つ二面性=慈愛と自己中心性が、みずから引き寄せたものであるという滑稽さも併せ持っているのだ。

観終わった後、自らの出生の秘密を探し求めるギリシャの若き王の物語が浮かび、この「真実」を追い求める母の姿に重なってきた。血の呪縛が、「真実」を性急に追い求める行為そのものが、ついに悲劇を招いてしまうところまで、じつによく似ている。

原案、脚本、監督、ポン・ジュノ。この人、おそらく確信犯だと思う。母親役に、韓国の母と呼ばれているキム・ヘジャ。なんだか吉行和子さんに似てるんだよなあ、このひと。声質までそっくりなんだから。息子トジュン役にウォンピン。韓国の四天王の一人らしいけど、私はトジュンの悪友役のチン・グが気に入りました。それにしても、ずっしりと堪えました。エンドロールが終わるまで、しばらく席から立ち上がれませんでした。

読み返したわけじゃないし、勝手な思い込みかも知れないのだけれど、さきほど紹介したギリシャの若き王の物語とは、上に掲載したソポクレスの「オイディプス王」(岩波文庫)。興味がある向きは、映画の後にでも読んでみてください。「母の呪縛」の物語として読み直したら、面白いかも知れない。



by naomemo | 2009-11-06 08:02 | シネマパラダイス

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しばらく前に、モーツァルトのレクエイムを紹介したばかりなので、ちょっと気が引けるんだけど、今回の「今週の一枚」はフォーレのレクイエムです。

いやなに、レクエイムが三度の飯より好きとかいうんじゃありませんよ。じつは昨晩、録りためてある映画でも一本と思い、怖ーい、怖ーいゾンビ映画ということで評判だったダニー・ボイル監督の「28日後…」を観ていたら、なんと、お終いの方で流れ始めたのがフォーレのレクイエムだったんですよ。

あとで久しぶりに手持ちのCDを聞き直してみて、やっぱりいいなあと思ったので、忘れないうちに「今週の一枚」の仲間に入れてあげようと。指揮ミッシェル・コルボ、演奏ベルン交響楽団、昔から名盤の誉れ高いアルバムです。

ちなみに、モーツァルトのレクエイムにもヴェルディのレクイエムにも、「怒りの日」ってものがある。なかなかに激しい場面があったりもするんだけど、フォーレのレクイエムに「怒りの日」はない。フォーレは、人生の最後に「怒り」はふさわしくないと考えていたらしいんですね。

そのおかげもあってか、とても静かな曲です。なんていうか、寒い冬の晩に、純白の雪が、しずかに降り積もっていくような、そんな感じの曲です。秋から冬の季節が似合う一枚でしょうか。

それにしても、レイジ(憤怒)・ウィルスが跋扈する映画に、憤怒がないレクイエムを使うなんて、監督が考えたのか、音楽担当が考えたのか知らないけれど、じつに粋な選択だね。拍手です。

by naomemo | 2009-10-30 07:53 | 音楽から落語まで

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昨日に引き続いて、ハリウッドつながりで一本。ちょっと前になるんだけど、恵比寿ガーデンシネマで「キャデラック・レコード」を観た。主演はエイドリアン・ブロディ。彼の出演作品を観るのは5作目になる。「戦場のピアニスト」「ヴィレッジ」「ジャケット」「ダージリン急行」、そして「キャデラック・レコード」。なんとなく気になる俳優なんだよね。

さて、エイドリアン・ブロディ扮するレナード・チェスは、実在の人物で、ポーランドからのユダヤ系移民である。チェスの出自に言及されるのは冒頭のワンシーンだけなのだが、おそらく相当な差別の中で成長したのだろうと思わせる。そしてそのことが、後年、音楽ビジネスに邁進する原動力になったように見える。少なくとも、この映画ではそのように暗示されている。

少し寄り道をする。そのレナード・チェス役だが、当初はアイルランド系アメリカ人のマット・ディロンが当てられていたようだ。しかし、理由は定かではないが、降板して、エイドリアン・ブロディに白羽の矢が立ったという。ちょっと出来過ぎの感もあるが、彼自身、ポーランド系ユダヤ人の血を引いていることと無縁ではないだろう。なにしろハリウッドはユダヤ移民が作った街なんだから。いずれにしても、「戦場のピアニスト」といい、今回の「キャデラック・レコード」といい、ポーランド系ユダヤ人といえばエイドリアン・ブロディと相場が決まったかのようだ。

肝心の映画の内容をひとことで言えば、シカゴ・ブルース全盛を作った伝説のレーベル「チェス・レコード」の誕生から衰退までを描いた作品である。タイトルが「キャデラック・レコード」となっているのは、ヒットが出ると、その歌手に豪華なキャデラックが与えられたから。つまり、この映画は、キャデラックという米国を象徴する自動車が光り輝いていた頃の物語でもあるのだ。

チェス・レコードは、チェス兄弟(映画ではレナード・チェスひとりに集約されているが)が、1950年に立ち上げたレーベルである。アフリカ系の黒人たちと契約して、以後20年間にわたってレーベルを発展させた。被差別民族という共通点があったためか、チェス兄弟には黒人への差別意識はきわめて薄かったようだ。というより、まずビジネスありきにとって、差別意識など邪魔ものだったに違いない。

このことはジャズの名門レーベルであるブルーノートの創立者アルフレッド・ライオンがドイツからの移民で、やはり人種差別感情から遠かったことに似ている。ま、そもそも米国は移民の国だったんだけどさ。

かたや、まず商売ありきのレナード・チェスとフィル・チェス兄弟のチェス・レコード。かたや、アメリカ文化とジャズへの憧れが根底にあるアルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフによるブルー・ノート。双方ともレコード史では重要な役割を果たしたが、紆余曲折を経て最終的に残っているのはブルー・ノートの方だ。いまでも往年のジャズの定番として存在しているんだけど、でも、映画になったのは、チェスの方でした。

ずいぶん脱線してしまったが、この映画、ブルース・シンガーたちが放つ熱いオーラと、経営者レナード・チェスが放つ冷たいオーラの対比が際立っていて面白かった。エイドリアン・ブロディの虚空を見つめているような眼が、なんともいえないね。

レナード・チェスにエイドリアン・ブロディ。チェス・レコードの初期を支えたブルースの帝王マディ・ウォータースにジェフリー・ライト、この人ブロークン・フラワーズでもいい味を出していたっけ。エタ・ジェイムスにビヨンセ・ノワルズ。チャック・ベリーにモス・デフ。そしてチェス・レコードの後期を支えたハウリン・ウルフにイーモン・ウォーカー、この役者、救命救急室ERにも何回か出演していたらしいけど、もの凄いド迫力。そのうちに大役をしとめるかも知れないな。脚本、監督にダーネル・マティン。どういう人だか知らない。そして製作総指揮にビヨンセが名を連ねている。



by naomemo | 2009-10-29 08:27 | シネマパラダイス


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米国を代表する映画産業の街として知られるハリウッドが、不況の波に飲み込まれているようだ。

今朝の朝日新聞によれば、ハリウッド映画の制作費の平均は一本あたり約64億円にのぼるとか(ロサンゼルス経済開発公社調べ)。米国で長く続いたバブル経済を背景に、近年とくに出演料や制作費が高騰していたことが大きな要因のようだ。

その莫大なコストを回収するための帰結として、とにもかくにも大勢の観客に受ける作品が良い作品とされ、マーケティングで映画が制作される傾向が強くなった。冗談じゃないよね。当然のことながら、作家性や作品の質は二の次となり、質の低下が顕著になった。

そこに100年の一度の不況の波が押し寄せ、二つのニーズが出会った。ひとつは巨額のマネーが動く映画産業を誘致したいという全米各州のニーズ。もうひとつは割高なハリウッドを離れて制作コストの削減に動きたいという映画会社のニーズ。全米各州が補助金の提供したり税優遇制度の設置したりして誘致にしのぎを削っているという。

たとえば車産業衰退に直面するミシガン州では、産業の多様化が急務ということもあって、ゼネラル・モーターズ所有のビルが映画スタジオに変身中とか。同州のとある高校では新設したキャンパスをテレビ番組の収録に提供しているとか。なんだかヘンな話だけど、そうなんだね。

ちなみに同じ英語圏である英国ではどうか。いくつかの情報から勘案するに、制作費の平均は一本あたり10億円程度だろうと思われる。ハリウッドの1/6である。ところが、作品の質については英国作品の質の方が圧倒的に高い。好みもあるので判断が難しいところだが、少なくとも僕はそう思っている。昨今のハリウッド映画は、あまりにも幼稚なものが多いのだ。大金を投下することが、かえって首を締める結果になっているね。お金さえかければいいってもんじゃない。これも強欲のツケに違いないね。

by naomemo | 2009-10-28 12:45 | シネマパラダイス

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今朝の日経新聞に、『「ちょい古」映画 劇場で安く』と題した記事があった。文脈から、名画座が人気になっているように読める。もしその通りなら、一映画ファンとしてもうれしいことだけど、いささかマユツバだなあという感じがしないでもない。

たとえば僕の場合は、基本的に単館やシネコンで新作を観ているのだけれど、かなりズボラな映画ファンゆえ見逃すこともしばしば。というわけで、ときどき名画座のお世話になっている。でも、これまで行列が出来ている場面に出会ったことはない。

記事に取り上げられている飯田橋のギンレイは、都内の名画座の中では人気館だろうけれど、行列が出来た背景に定額の年間パスポート(シネマクラブ)があることは明瞭で、そこに今回たまたまスラムドッグ・ミリオネアという超人気作品が重なったということなのだろう。

年間パスポートの仕組みを導入しているのは、都内ではギンレイだけじゃないかな。これまでのところ他館が追随する気配はない。おそらくギンレイは作品のチョイスと集客に自信があり、2週間の買い切りにしているのだろう。一方、他の上映館は、そこまで踏み込めない事情があり、歩合制に甘んじているのだろう。

ま、でも、この記事がきっかけになって、名画座に一般の目が向くのは良いことだね。記者も大の映画ファンで、昨今の映画館の不振を憂えて、あえて記事にしたと思いたい。それなら賛成、ケチをつける筋合いのものではないです。

ちなみに都内には、12館の名画座がある。

銀座シネパトス
シネマヴェーラ渋谷
新文芸座
目黒シネマ
早稲田松竹
浅草中央
浅草名画座
浅草新劇場
ギンレイホール
新橋文化
三軒茶屋シネマ
三軒茶屋中央

それぞれ特徴があって面白い。僕がときどきチェックしているのは、目黒シネマ、早稲田松竹、ギンレイ、新橋文化、三軒茶屋中央の5館だけだけど。

最後に、以前にも紹介したけど、名画座の上映情報を紹介しているサイトがある。興味のある向きは、こちらの「魅惑の名画座」へどうぞ。

by naomemo | 2009-10-20 08:40 | シネマパラダイス


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先日、「井上陽水のLIFE」という四夜連続放映のTV番組を観た。彼は、作詞の領域ではボブ・ディランから、生き方の領域で阿佐田哲也(色川武大)から大きな影響を受けたんだねえ。久しぶりに彼のGOLDEN BESTをiPodに入れて、このところ毎日聴いている。

その彼に「人生が二度あれば」という曲がある。そんなん、人生は一回切りに決まってんじゃん、と、長くそう思ってきたが、でも人は神様じゃない。ありえたかも知れない人生への思いは、年齢とともに大きくなるものなのかも知れない。

ジム・ジャームッシュという映画作家のBroken Flowers(ブロークン・フラワーズ)について書こうとしている。米国での公開は2005年だから、まさにバブル全盛の頃の作品といってよい。新作The Limits Of Control(リミッツ・オブ・コントロール)を観る前にと、久しぶりに見直したのだが、ここには、「ありえたかも知れない人生」についての、ジャームッシュの思いが詰まっているように思えてきた。

主人公のドン・ジョンストン(ジョンソンじゃなく、ジョンストン)は、老いた元ドン・ファン(ドン・ジュアン)という設定である。毎日が日曜日のように、フレッド・ペリーのジャージ上下に革靴というスタイルで、長椅子に座ったり、ゴロリと横になったりして過ごしている。昔コンピュータ・ビジネスで大儲けしたらしく、すでに悠々自適の老後。と言えば聞こえは良いが、何もすることがなく、退屈きわまりない生活を送っている。まるで生気が感じられない。そんなわけで、同居している若い彼女シェリーにも愛想を尽かされる。

ピンク色の郵便物が届く。差出人は判らないが、どうやら20年前に別れた女からの手紙のようだ。彼女には現在19歳になる息子がいるという。ドンと別れたあとに妊娠していることが分かったのだけれど、現実を受け入れて生んだのだという。その息子が、先日、旅に出た。おそらく父親を探す旅ではないかと思う。というものだった。

その手紙を隣人のウィンストン(ジェフリー・ライト)に見せたところ、妙に張り切り、ドンに20年前に付き合っていた女のリストを作れという。そして5人の女の居所を探し出し、ご丁寧に飛行機、レンタカー、宿泊場所まで手配し、ドンに差出人を突き止める旅へと誘導していく。なぜ?ウィンストンは、どうしてそんなお節介を焼くんだろう…。彼にはドンの心模様が手に取るように分かるようなんだけど…。狂言回しのようにも見えるし、ドンの分身のようにも見えるし、はたまた映画作者の分身のようにも思えてくる…。

気乗りしないと言いながら、ドンは、ウィンストンのシナリオに乗って、ピンクの花束を抱えて20年前の元カノを一人ずつ順に訪ねる旅に出る。

まず、ローラ(シャロン・ストーン)の娘ロリータの所作にたじろぐことになる。ついでドーラ(フランセス・コンロイ)と夫の関係にさざ波を立てることになり、カルメン(ジェシカ・ラング)の助手になぜか邪険にされ、ペニーの取り巻きには一発お見舞いされる始末。そして、土の下に眠るペペの墓前では涙を流す。なぜこんな旅に出かけて来てしまったのだろうか、自分でも理由がよく判らない。

住まいに戻った後、一人旅をしている青年を自分の息子と思い込んで追いかけるシーンがある。車の中から、ドン(ビル・マーレイ)をじっと見つめる青年が通り過ぎていくシーンがある。どうやらビル・マーレイの実の息子らしいのだけれど、その彼とて息子かも知れないし、息子ではないかも知れない。

結局、差出人は誰なのか。ドンにも、観客にも、分かったのかも知れないし、分からなかったのかも知れない。あるいは手紙の差出人が誰かなんて、最初からどうでもいいことだったのかも知れない。ピンクの手紙と隣人のウィンストンによって、ひょっとしたらありえたかも知れない、もうひとつの人生を探す旅に誘われたのだけれど、ありえたかも知れない人生を見つけることなど最初から出来るはずもなかったのかも知れない。ドンは、ただ、十字路に立ち尽くすほかないのだった。



by naomemo | 2009-10-08 08:33 | シネマパラダイス

シャネルもの、2本。

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9月の忙しい時期に5連休だなんて、仕事に差し障りが出るじゃないか。てなことをブツブツ言いいながらも、最初から分かっていることなので、やり繰りもつつがなく連休に突入。5日間ゆっくりしました。

その間に観た映画は4本。観た順番で云えば、「ココ・アヴァン・シャネル」「めがね」(これはWOWOW放映を録画してあったもの)、もう一本のシャネルもの「ココ・シャネル」、そして「キャデラック・レコード」。一日に映画館を二軒ハシゴしたのは初めて(渋谷でココ・シャネルを観て、恵比寿に移動してキャデラック・レコードを観た)。映画ファンにはハシゴをする人は多いようだけど、私は印象がボケるのが普段はイヤでやらない。

今日は、シャネルものについての感想を。

「ココ・アヴァン・シャネル」(オドレイ・トトゥ主演)は、連休初日19日の夕方、いろいろ用事をこなしてからマイカル港北へ出かけて観た。出遅れたかなあと心配していたのだが、まったくもって閑散としていたので驚いた。考えてみれば港北ニュータウン周辺は若いファミリーが多く、シャネルものは不釣り合いだったのかもね。

世間では「ココ・シャネル」(シャーリー・マクレーン主演)が好評みたい。実際22日の渋谷ルシネマはサービスデーだったこともあるだろうが、朝一の回だったにもかかわらず満員御礼。「完全満席」なんていうアナウンスが流れていたな。上映が終わって出ようとしたら、エレベーターホールにまでチケットを求める人が溢れていたのでビックリ。

でも、評判や興行成績は別にして、シャネルという人物がどのように出来上がったのか、シャネルがなぜ革新的なスタイルを提示できたのか、シャネルがなぜいまだにヨーロッパで一流ブランドとして遇されていないのかを知るには、オドレイ・トトゥ主演版の方が断然面白いかも。個人的には、こちらに一票だね。シャーリー・マクレーン主演版は、良くも悪くもハリウッド的な作りなんだよね。作り手の体温が感じられない。

それにしても、オドレイ版は、よくシャネルが全面協力したなあと思う。かなり際どいところまで描いてるからね。それだけ懐が深いブランドとも言えるのかもね。



by naomemo | 2009-09-24 07:45 | シネマパラダイス