ダビデの星型ワッペン

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これまで欧州系の映画を観ている時に、おそらく何度も目にしていたに違いない。けれど、あまり気に留めてこなかったことがある。それが何かといえば、ダビデの星型ワッペンの存在。

先日観たフランス映画「サラの鍵」に、少女サラが収容所を脱走する際ワッペンを胸元から引き千切るシーンがあり、思わず息を飲んだのだった。

第二次大戦当時、欧州のユダヤ人たちは、外出の際、ダビデの星を模したワッペンを胸に付けることを強制されていたのだった。一目でユダヤ人と区別できるように、刻印を押されていたようなものだ。

もうひとつ改めて感じたこと。当時のユダヤ人排斥は、ナチだけが行ったことのように思われているけれど、実態はそうではなく、間違いなく欧州の総意だったのだろうと思われることだ。

国が内向きになると、土地を持たず、国境という発想を持たない民族は、排斥の憂き目に会う。これは歴史の教えるところだ。数年前からフランス国内で始まっているというロマ(ジプシー)の排斥も同様の文脈だろう。

とすると欧州に相当数いると思われるトルコ人はこれからどうなるんだろう。EU加盟を前提に安価な労働力として受け入れられてきたけれど、肝心のEU加盟は進んでいない。なんとなく気になるね。

経済原理だけで移民推進を唱えてる人がいるけれど、こうした状況を見ていると、それがいいこととは俄かには思いにくい。




by naomemo | 2012-02-23 15:15 | シネマパラダイス

哀しい映画だった


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昨年の311以来、長く休んでいた映画館通いに、ようやく本格復帰できたかなという感じ。きっと長い休みの反動なんだろうね、いまはのところ週一回のペースで足を運んでいる。そのうちに落ち着いて、以前にように月2本程度のペースに戻るだろうけれど。

さて、イニャリトウ監督、バルデム主演の「ビューティフル」の後、「サラの鍵」、「大鹿村騒動記」と立て続けに観た。どちらが面白かったかといえば、圧倒的に「大鹿村騒動記」だったんだけど、今日のところは「サラの鍵」についてのメモを少しだけ。

この作品、第二次大戦時のフランス政府によるユダヤ狩り、という史実をベースにしたドラマ。ナチじゃなく、フランス政府によるユダヤ狩り。じつに心の痛むストーリー。だけど、正直、映画としては設定に少し無理があるなあと思いつつ、最後まで観た。

それにしても、ちかごろユダヤ問題をテーマにした作品が増えて来た。

ひょっとしたら、欧州に、反ユダヤ感情が静かに頭をもたげつつあるのかも知れない。そして、そうした徴候を敏感に察知している映画人たちが、その成行きに危惧を抱いているのかも知れない。そんな気持ちが離れなかった。

by naomemo | 2012-02-17 17:46 | シネマパラダイス

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およそ十ヶ月ぶりに足を踏み入れた映画館は、場末の二番館。場末なんて書くと叱られるかも知れないけれど、三軒茶屋に昔からある三軒茶屋中央劇場は、建物の外観といい、設備の古さといい、銀幕を覆う古びた深紅の緞帳といい、緞帳の色にマッチした深紅の客席といい、まさに「場末の映画館」を絵に描いたような劇場なんである。場末と言って悪ければ、昔の映画館である。

でも、この場末感を味わいたくて、ここに来た。観たかったけれど見逃していた作品、"Biutiful"(ビューティフル)がかかっていたし。題名が"Beautiful"と綴られず、"Biutiful"となっていることには、もちろんそれなりの意味があるけれど、それは観た人には伝わるから、ここでは触れない。二言三言で伝わるようなことじゃないし。

イニャリトウ監督を知ったのは、ショーン・ペン主演の「21グラム」によってだった。けれど「観たい映画監督の一人」になったのは、「バベル」という作品を通じてだった。ただ、ガエル・ガルシア・ベルナルの出世作ともなった「アモーレス・ペロス」から前作「バベル」に至るまで、なんとなくリクツっぽさが拭えないところがあった。アタマで作ってる感じが否めなかった。それが、この「ビューティフル」では一掃されていた。

いうまでもないことだが世界はとても複雑怪奇であり、だからこそイニャリトウはその複雑さを描くために、さまざまな手法を試してきたように見えるのだけれど、今回の作品は、その器用さを捨て去って取り組んだように見えた。映画のなかの物語は、太く真っすぐに伸びる一本の道だった。じつにシンプル、そして深かった。いや、じつは複雑な問題を扱っているんだけれど、太い幹があって、こんもりとした枝葉がある、そんな体裁になっているからストンと腑に落ちる。

舞台はスペイン、バルセロナの裏町。そこで呻くように生きる一人の男を、二人の幼子の将来を案じながら生きる父親を、別れた薬物依存の妻をどうにか受け入れようとする夫を十全に演じているのが、ハビエル・バルデムである。世界がじつに息苦しい状況にあるということが、バルデムという俳優の身体を通じてズッシリと伝わって来た。ノーカントリーのバルデムも凄みがあったけれど、ここでのバルデムの存在感は並みじゃないね。

もう一回観たいなあと、そう思いながら、この作品を観るには、結果的に最高の環境だった三軒茶屋劇場を後にしたのでした。この映画を観るのに、シネコンという環境は似合わないでしょう。




by naomemo | 2012-02-03 12:16 | シネマパラダイス

映画と落語に飢えている


昨年3月の震災以来、長い間、映画館から足が遠のいていた。でも、ようやく映画が観たい!という気分がふつふつと湧いて来た。かれこれ十ヶ月も空けちまったよ。

そして無性に落語が聞きたくなってきた。いつのまにか真打ちに昇進した菊六も聞きたいけど、これまでなぜか縁がなかった林家彦六を集中的に聞いてみたい気分。なんていうのかな、あの、背筋がスッと伸びた、独特の語り口がいいんだよね。そういえば、彦六って、志ん朝の先生だったかな。志ん朝の方から押し掛けたんだと思うけど。

しばらく聞き倒してから感想を書きます。

by naomemo | 2012-01-31 15:22 | 音楽から落語まで

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神楽坂2丁目にギンレイ・ホールという映画館がある。1974年の開館というから、かれこれ37ー8歳ということになる。歴史ある映画館だけど、ここはいわゆるロードショウ館じゃなく、名画座つまり二番館である。

支配人は潮見さんという女性。ロードショウ公開を終えた作品のなかから、彼女のお眼鏡にかなった作品が二本、二週間にわたって上映されるローテーションだから、一年間で都合54作品にのぼる。ここまでは、どこの名画座でもやっていることだけど、他との違いは、ギンレイ・シネマクラブに加入して年会費10,000円プラス消費税を支払うと、一年間、無制限に通って観ることができるという点である。

映画業界にいる友人によれば、それができるのはギンレイだけだね、という。業界内の詳しいことは分からないが、おそらくその潮見支配人の力量に負うところが大きいのだろう。

そのシネマクラブにそろそろ入ろうかと思っている。半蔵門から歩いて30分かからないしね。ちなみに、過去の上映作品一覧を以下のリンク先で閲覧できる。映画作品の好みはいろいろあるけど、けっこう面白いリストですよ。

過去の上映作品一覧


by naomemo | 2011-12-06 10:27

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「つみきのいえ」という短編アニメーション作品が気になっていた。ようやく昨日ゆっくり観ることができた。

わずかづつ海面が上昇して、ゆっくり水没していく街がある。そのうちの一軒に住む一人暮らし老人がこの物語の主人公。彼は、海面がフロアに浸水するまで上昇するたび、今の住まいの上にレンガを積み上げて新たな住まいを作って暮らしている。面白いなあ思いながら観ていると、住まいの引っ越しで家財道具を運び出している最中に、うっかり床下へパイプを落としてしまう。

おそらく大切なパイプなのだが、仕方ないねと諦めかける。そこへ小舟の物売りが折よくやって来る。物売りから新しいパイプを買おうと物色しているうちに、ふと潜水服に目が止まる。老人は心変わりしてパイプではなく潜水服を買う。そしてそれを着込んで床の扉を開けて海の中の階下へ潜っていってパイプを拾う。

良かった良かったと思って観ているうちに、老人にはその住まいでの生活が思い出されて陶然となる。老人は、やがて、その床下へ、さらにまた床下へとダイブしていく。床下へダイブするたび、当時の生活が去来して陶然となる。そして、いつしか、最初の住まいが緑ゆたかな平原にあった頃、いまは亡き妻との出会いのシーンが映し出される。

どうやら床下へのダイブとは記憶の底へのダイブそのものなのだった。あるいはたんなる夢なのかも知れないのだけれど、やがて、一人暮らしの老人には、記憶の底にこそ、ゆたかな生活があるのかも知れないなあと思い当たり、じんわり染みてくるのだった。

加藤久仁生(監督)と平田研也(脚本)のコンビが生み出した、なかなか素敵なアニメーションだった。



by naomemo | 2011-07-19 08:24 | シネマパラダイス

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これはトルコ系ドイツ人の映画じゃなく、トルコ映画である。監督はセミフ・カプランオール。昨年のベルリン国際映画祭コンペティション部門でポランスキー監督「ゴーストライター」を抑えて金熊賞を受賞。ということで前から気になっていたので、ちょいと銀座まで足を延ばして観てきた。311以後、映画館から遠ざかっていたので、久しぶりにウキウキ。

しかし、この「蜂蜜」はウキウキするような作品じゃなく、稀にみる静謐な神話的な作品だった。ここは緑ゆたかな山岳地帯にある集落。聞こえてくる音といえば鳥の啼き声、羽ばたき音、虫の音、川の水のせせらぎ、森の木々を渡る風、つましい暮しのなかの音、ときおり交わされる父と子のひそやかな会話、登場人物たちの会話…。ここの暮らしに音楽などというものはない。音楽が現れるのは祭の場面くらいのものだ。

主人公ユヌスは、日本流にいえば小学生の低学年だろうか。おそらくは自閉症で、他人との距離を測ることができず、会話をすることもままならず、うまく友人関係を築くこともできない。こうした例にもれず傍目には唐突な行動を取ることがしばしば。ただ、唯一、父親には心を開いて、ちゃんと言葉を発するし、意思疎通もできる。父親がささやく。息子がささやき返す。二人の間だけに聴こえる声で。まるでテレパシーのように。

息子と母親の関係が濃密なら分かりやすいのだけれど、息子と父親の関係がこれほど親密なのは珍しい。母親が鬼母というわけではないのだから。おそらくこの特殊性はこの監督ならではのものかも知れないし、ひょっとしたらこの世界の扉を開く鍵でもあるかも知れない。

それにしても執拗に少年が通う小学校の授業風景が映し出される。まるで少年の自閉症を露わにするのが目的でもあるかのように。教室の中の少年と、父親の側にいる少年との対比。

ある日、突然、あちこちの木の上に仕掛けた巣箱から蜂が消える。(環境の悪化で蜜蜂が突然消失することはよく知られているが、この神話の中ではなにか別の意味があるように感じる。それが何なのかはよく判らないけれど。)それで、あたらしく巣箱を仕掛けて蜂を採取するために、あらたな場所を探すべく白い驢馬を連れて深い森のなかに入って行った。

数日で帰ってくると思っていたが、しかし待ど暮らせど父親は戻らない。気丈な母親の元気がなくなっていくのを心配そうに見守る息子。このあたりから、この小さな男の子に変化の兆しが現れて来る。そのうちにどうやら転落事故かなにかで亡くなったという村人の話。それを聞いて息子は、飼っている鷹の飛翔に案内されるかのように、一人で森へ分け入って行く。暗い森の奥で、大木の根元に抱かれるように眠る息子。そこでこの映画は終わる。なんだか黙示録のような映画だった。この作品は三部作の最後を飾るものらしい。先立つ二作を観なくては、ちょっと分かりにくいのかもね。




by naomemo | 2011-07-14 13:08 | シネマパラダイス

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松たか子が主演する映画「告白」を見た。ほとんど崩壊している教室(これは実態に近い)。いたいけない一人娘を亡くした女性教師。母の愛情に飢えた成績優秀な少年。父親の存在感がうすい家庭の過保護な母と息子。若くて能天気な熱血男性教師。

松たか子が演じる女性教師は娘の死因が事故ではなく生徒による犯行であることを突き止め、決然と復讐を決意する。自ら手を下すことなく、用意周到に、言葉で人心を操りながら、犯行に及んだ少年たちを自滅に導いて行く。その復讐の物語が、主要な登場人物の告白という形式で描かれていく。

現代ではもちろん禁止されているが、仇討ちは、江戸時代まで、少なくとも武士階級においては、一定のルールに従って行なうのであれば法的に許される行為としてあった。あるいはそのように無念や憤懣を晴らす捌け口を設けることで社会の安定を図っていたのかも知れない。あるいはそれが多少なり犯罪の抑止につながっていたかも知れない。仇討ちは、悪なのか、それとも、正義なのか。悪と正義はコインの裏表なのか。

それにしても「告白」は恐ろしく、そして哀しい物語だった。




by naomemo | 2011-06-17 09:15 | シネマパラダイス

花粉が…

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水温む候というのか、三寒四温というのか、温かくなったり寒さが戻ったりしているうちに、花粉が飛び始めました。昨日から頭がギューッと締められているような感じ。春はうれしい、だけど花粉はこわい。

先日の日曜日、久しぶりにマイカル・シネマへ出かけて「毎日かあさん」を観てきた。作品そのものは、あまり期待していなかったけど、チケットを貰っていたので、いや、ウソです、あ、いや、それは事実なんだけど、正直に告白するとキョンキョンの隠れファンなので、観に行ったのでした。

なかなか面白かったよ。キョンキョン、やっぱりチャーミングでした。まったく文句なし。堪能しました、作品も。そうそう、親子連れがいっぱいで、ちょっとビックリでした。かなり夫婦の厳しい場面もあるんだけど、でも、みんな集中して観ていたみたい。物語にチカラがあるってことだね。




by naomemo | 2011-03-03 09:49 | シネマパラダイス

巨大な鍋料理

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おそらく時代を反映しているのだろうけれど、欧米の映画には移民がよく登場するようになったような気がする。つい最近では、クリント・イーストウッド監督の「グラントリノ」、ケン・ローチ監督の「この自由なる世界で」が印象に残っている。数え上げたら相当数にのぼるかも知れないけれど、おそらくは移民を受け入れる側の視点から描かれたものが多いんじゃないだろうか。

でも、先日、渋谷シネマライズで観たファティフ・アキン脚本・監督の8作目「ソウルキッチン」は、主人公ギリシャ系ドイツ人の視点から描かれた作品だった。前々作の「そして、私たちは愛に帰る」は監督本人とおなじトルコ系ドイツ人の視点から描かれていた。欧州には中東を初め、さまざまな地域からの移民が増加し、それがエネルギーにもなっている一方、さまざまな軋轢から排斥運動も生んでいるようだけれど、ファティフ・アキンの作品を観ていると、そうした歴史が成熟に向かうプロセスにあるのかなとも思えてきたりする。

さて、肝心の「ソウルキッチン」なんだけど、ドイツは北西部に位置する港湾都市ハンブルグにあるレストラン「ソウルキッチン」を舞台にし、多民族の素材をどっさり入れて煮込んだ鍋料理のような作品だった。

多民族都市ハンブルグの縮図としてソウルキッチンがあり、そこに、さまざまな顔立ちの人物たち(おそらく移民達)が出入りする。主人公ジノス・カザンザキス(ジャンクフード・キッチンのオーナー)、その兄貴イリアス・カザンザキス(仮釈放中の身で大のカードゲーム好き)、職人気質の天才料理人ジェイン・ワイズ(ジノスに雇われる天才料理人だが天使というか触媒のような存在に見えるな)、ジノスの恋人ナディーン(富豪の娘でジャーナリスト志望)、ウエイトレスのルチア(絵描き志望の大酒飲み)、地上げ屋(?)の友人、魅惑的な理学療法士のアンナ、税務署の堅物係官などなど。みなそれぞれの立場で、失敗にもめげることなく、じつにけなげに生きていて、そこがなんともうれしくなる。

キッチンに流れる音楽も、ジャズあり、ロックあり、ソウルあり、ワールドあり。人も音楽も、あらゆるものがごった煮で、めまいがするほどのカオスがここにはある。甘みもあり、苦みもあり、酸っぱみもあり、哀しみもあり、懐かしさもあり、底抜けの笑いもあり、でも漂う香りはじつにモダンという、奇妙な味が味わえる。好きな作品だ。




by naomemo | 2011-02-14 09:10 | シネマパラダイス