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今朝朝食をとりながらNHKBS1を観てて、「地中海国境」という言葉に思わず耳が立った。聞けば、最近、欧州で強く意識されるようになった防衛安全保障の考え方だという。このボーダーラインが隔てようとしているものは、いうまでもなく欧州と中東地域である。解説をされていたのは秋元千明氏。どこかで観たことがあるなあと思っていたら、元NHKの解説委員。現在は、英国王立防衛安全保障研究所アジア本部所長という要職にある。

ここから先は妄想の類いかも知れないけれどメモして置こうと思う。

なぜ耳が立ったのか。腑に落ちるものがあったからだ。先のイスラーム国によるシャルリエブド襲撃後、欧州要人たちまでデモに参加している光景に異様なものを感じていたが、その深層が垣間見えたような気がしたからだ。知る限りでは海外の報道でもこれまで「表現の自由への冒涜」に対するデモとされていたけれど、(もちろんそういう意味合いもあるのだろうが)、むしろ「イスラーム国によるフランスへの宣戦布告」に対して欧州はスクラムを組んで戦うというデモだったのかも知れないな、と。

そう考えると、スクラムの中にイスラエルのネタニエフ首相が加わっていたことにも合点が行く。いま起きている事態が、テロではなく、欧州VSイスラーム国の戦争という様相を帯びているとなると、間違いなく欧州域内のユダヤ民族が巻き込まれるだろう、という強い危惧が生じたのかも知れない。

そしてその欧州は、一方でロシアとも鋭く対立している。外にある敵の存在で内部がまとまるというのは歴史の教えるところ。そこで感じるのは、これまで欧州の量的緩和に強く反対してきたドイツがここに来て止むなしとした背景には、こうした事情もあったのかも知れないということだ。なにしろギリシャは地中海国境の最前線にある国なのだから、いま離脱させる訳には行かないというコンセンサスが生まれても不思議ではないだろう。

最後にひとつオマケ。下に貼ったリンクはYouTubeに上がっているハイドンの交響曲103番「太鼓連打」である。ロンドン初演時、イントロの太鼓連打に卒倒する観客が大勢出たという。その昔、オスマントルコが欧州に侵攻した際、太鼓を鳴らして来たという怖い言い伝えがあり、それゆえ太鼓の連打で民族の記憶が蘇って卒倒する観客が出たというわけね。真偽のほどは定かではないけれど、音楽にまつわる逸話もあながち捨てたもんじゃない。




イラスト:三井孝弘さん


欧州雑感08:国境が復活する気配
欧州雑感07:弱い国が強い通貨を持つ悲劇
欧州雑感06:スペインが熱い
欧州雑感05:イタドリという外来種
欧州雑感04:二つのグループ
欧州雑感03:内部の宗派対立
欧州雑感02:統合か愛国か
欧州雑感01:地中海国境という言葉

by naomemo | 2015-01-29 11:43 | いまを読むノート

仕事帰りの角打ち


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昨晩は仕事帰りに「麹町いづみや」で仕事仲間と角打ち。いま通ぶって、「角打ち」(かくうち)などと書いたけれど、これはつまり酒屋での立ち飲みのこと。覚えたての言葉なので嬉しくて使ってます。

この店、享保元年より300年続く酒屋なので、おそらく都内に数ある酒屋のなかでも図抜けた老舗と云って良いでしょう。思うに江戸のいたるところに同様の店はあって、庶民が仕事帰りに一杯ひっかけていたに違いありません。庶民御用達という意味では、ロンドンのパブと同じような存在ですね。

ときおり仕事仲間と「麹町いづみや」に立ち寄るようになって一年ほどになるけれど、最近になって女子の姿が目立つようになってきたなという印象。どういうことかな?その魅力は?と、いろいろ想像してみると。

なにはともあれ料金設定がリーズナブル。入店してから90分という時間制限がある。ダラダラ飲むようなことにはならない。立ち飲みなので酔う加減が分かりやすい。なぜか仲間との会話がほどよく弾む。仕事場に近い。この店特有のルールがある。まだほかに理由はあるのかも知れないけれど、ざっくり思いつく理由としてはこんなところか。

ちなみに、この「麹町いづみや」のツマミは乾きものだけ。けれど、四ッ谷麹町界隈には、「麹町いづみや」「相模屋平助酒店」以外に、角打ちの店があと二軒(「鈴傳」と「サカグチ」)あって、そこいらは角打ちとは思えないくらい肴も揃っているとか。ちかぢか覗いてみようと思っている。

by naomemo | 2015-01-27 13:31 | ノン・カテゴリー

身代金から見えること


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今回のイスラム国による日本人二人の身代金2億ドル要求について、中東の専門家の発言を追っていて見えて来たことをメモしておこうと思う。

まずひとつは、イスラーム国の政体を支えているのは旧イラク・フセイン政権下のテクノクラートであるらしいということ。米国ブッシュ政権がイスラーム国の生みの親でもあるという見方が、ここで再び確認されたことになる。

もうひとつは、原油安がイスラーム国の収入減につながり、結果、身代金ビジネスにドライブが掛かっているらしいということ。もしそうだとすれば、原油安が思わぬ結果をもたらしていることになる。

原油安について、マーケットでは今年後半には底打ちして持ち直すのではないかという見方があるが、ここに「イスラム国への制裁」というワードを持ち込むと、原油安は意外に長期化するのかも知れないという見方も浮かんで来る。

ロシアなど資源国の行方が気になるけれど、それはさておき資源を巡る戦争の質が変わりつつあるのかなという印象も受ける。すなわち原油を奪い合う戦争から、原油マーケットを使った戦争へ。これも米国のシェール革命の負の副産物なのかも知れない。

by naomemo | 2015-01-23 10:46 | いまを読むノート

電気自動車はエコか?


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先日ニッサンのリーフに試乗する機会があった。じつに静かで乗り心地が良かった。それだけではない。加速性能に驚いた。凄いな、と。でもね、前々から気になってることがあるんだよね。ここにメモとして残しておこうと思う。

電気自動車は、一般にエコカーの雄と捉えられている。電池性能がいま一歩なので、まだ普及しにくいだけ、という認識で、たしかにそうだろうと思う。課題である電池性能にも飛躍的な向上が期待されていることから、近い将来、航続距離も大幅に伸びるのだろうと予想されている。CO2を出さないし、音も静かだし、そこまでは文句なしとしておこう。

けれど、だからといってエコカーと云いきれるかどうか、実はそこのところが疑問なのである。こんなことを云ってると、天の邪鬼と思われそうだけど、いやいやそうでもありませんよ。電気自動車が必要とする電気はどうやって作られるのか、という点が気になっているのです。

仮に電気自動車が普及すれば、電力需要が格段に高まることになるだろう。では、その電気はどこから持って来るのだろう。太陽光発電が飛躍的に増加すれば別だけど、現在の政府の姿勢を見るかぎり、おそらく原発に依存することになるのではないか、という懸念があるんです。だから、いまの段階で、電気自動車を手放しにエコカーとは呼べないと思うんだよね。電気自動車は、太陽光発電などとセットで伸びて、はじめてエコカーと云えるのではあるまいか。


画像出典:
http://www.japanfs.org/ja/news/archives/news_id030207.html

by naomemo | 2015-01-21 12:10 | ノン・カテゴリー

スイス中銀の反乱?


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ケガ人が多数でているスイスフランの件。突然のストッパー外しについて、中銀インナーサークルは事前に知っていたと考えるのが順当だけど、もしもホントに知らされてなかったとしたら、スイス中銀側にインナーサークルへの不満が溜まっていたことになる。人間社会のことなので、不満や歪みはいつか必ず解消される。

これまで歪みのエネルギーはスイス中銀によって人為的に抑えられていたわけだから、ストッパーが外されれば津波になるのは必定。口約束を100%信じてはいけないってことだね。いずれにしても、しばらく逃避通貨リストからスイスフランが外れるのかな?その結果、円高圧力がかかりやすくなるのかな?などと感じたりもする。

こんなことをtwitterで呟いているうち、先進国の中銀が行っている、あるいは行おうとしている人為的なインフレ創造による債務圧縮というのも、まだ目には見えないけど、大きな歪みを溜め込んでいる可能性はきわめて高いと思うに至った。その巨大な歪みもいつか必ず解消されるのだとしたら、その時の津波は今回のフイスフランのストッパー外しどころの騒ぎじゃないだろう。

画像出典:
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-LLULQY0UQVI901.html

by naomemo | 2015-01-17 17:56 | いまを読むノート

ユーロ売りの流れ


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ギリシャのユーロ離脱懸念からユーロが売られている。その反対に安全通貨とされるスイスフランが買われている。米国債、円も買われている。さらにドル金利引上げ時期がやや遠のきつつあるとの予想も出てきて、ドル円は年初120円から115円の水準へ。

ドル円のことはさておき、ユーロ売りの背景として、ギリシャ懸念が取り上げられている。けれど、移民排斥ムーブメントに対する懸念も大きいのではないかと思う。シャルリエブド襲撃事件後の各国要人たちのデモ画像などを見て、異様な感覚を抱かない方がむしろ不思議だと私は思う。

画像出典:
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM12H6Y_S5A110C1FF8000/

by naomemo | 2015-01-16 14:53 | いまを読むノート

平川門から北桔橋門へ


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事務所のある一番町から内神田まで、てくてく徒歩で25分ほど。そこで小半時ほど打合せをして、帰りもてくてく。途中、ふと思い立って平川門から御所に入り少し散策して、北桔橋門から出た。ここはほんと気持ちのいい場所だ。写真は平川門、そして北桔橋門から見た景色。
by naomemo | 2015-01-14 17:00 | ノン・カテゴリー

戒厳令下のフランス


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今回のシャルリエブド襲撃とその後のフランスの反応を見ていて、少し歴史を紐解く必要があると感じている。

欧州は「法の下の平等」「人種の壁の超越」を旗印にアフリカ系、イスラム系の移民を受け入れて来た。ただ建前はどうであれ、多くは「安価な労働力」が欲しいという経済界の要請を受けたものだったのかも知れない。その反対には「豊かになりたい」という移民側の要請もあっただろう。そこまでは相互のニーズがマッチしていたと言えそうだ。

しかしその幸運な流れはリーマンショックという金融恐慌によって一変した。欧州域内の景気が急激に悪化し失業率が急上昇。その憤懣の矛先が自分たちに向かうのを怖れる政権側は、当然のごとく移民への締め付け強化に動く。市民レベルでも移民排斥の機運が高まっていく。

後付けでしかないが、考えてみれば、もともと市民たちが快く移民を受け入れて来たかどうか定かではない。忌まわしい過去(ユダヤ狩り)を打ち消したいという深層心理の働きがなかったとは言い切れないだろう。下世話な話だが、日本で言うところの3K的な仕事を忌避したい機運もあったかも知れない。

シャルリエブド襲撃はこうした大きな流れの中で起きた事件だろうと思う。

移民は単なる「経済的な労働力」とは片付けられない。特有の言語があり、文化があり、慣習があり、宗教がある。その違いも余裕があるうちは受け入れられても、失業で背に腹は代えられなくなれば、受け入れ続けることは難しくなるだろう。時の政権にとっても、対応を間違えれば死活問題となる。今回フランス国内で兵士が1万人も動員されたのは、表向きシャルリエブド襲撃の共犯探しとなっているが、移民(とくにイスラム系、ユダヤ系)に対する市民の暴発的行為の抑制の役割が大きいのではないかと感じている。

自由化から規制強化へ。これは時代の流れなのだ。

画像出典:
http://www.afpbb.com/articles/-/3036303

by naomemo | 2015-01-13 11:21 | いまを読むノート

移民狩りが増幅する気配


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以前からフランスではラマやイスラムに対する差別が表面化し、国外への排斥の動きが高まりを見せていたが、今回のシャルリエブド襲撃事件をきっかけにフランス国内ばかりか欧州域内全域で移民狩りが猛威を振るうことになるかも知れない。

海外報道を追っていると、リスキーシフトが起きつつあると感じる。

同国内のユダヤ系が恐怖におののき出国を望んでいるとも言う。第二次大戦時のナチによるユダヤ狩りはよく知られているけれど、じつは当時フランス国内でも強烈なユダヤ狩りが行われていたのだった。その痛ましい記憶が彼らの脳裏に生々しく蘇っているのだろう。

1929年に始まった世界恐慌のあと、景気が悪化し、失業者が溢れ、やがてユダヤ狩りにつながったが、2007年に起きた世界金融恐慌後の現在も、同じような状況にあるのかも知れない。

デモの先頭でオランドとメルケルが抱き合っている光景、そのちかくにイスラエルのネタニエフがいる光景などを見ると、背筋に冷たいものを感じる。

by naomemo | 2015-01-12 11:19 | いまを読むノート

誰のための自由なのか


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テレビ画面に、JE SUIS CHARLIE=私もシャルリ、と書かれたプラカード群の映像が登場するたびに、血が滾るのではなく、反対に脱力感に襲われる。

表現の自由が暴力によって犯されたことへの抗議は分かる。しかしそもそもシャルリエブドの表現が、なにを目指したものなのかが分からない。

彼らの表現が、意識的か無意識的か知らないが、相手の苛立ちを呼び寄せ、怒りの感情を増幅させ、反撃を唆したことは間違いない。その彼らの表現は自由の名に値するものなのだろうか。

デモの映像がたくさん流れることで、おそらくオランド大統領によるイスラム圏への攻撃はより容易になるだろう。国内のアラブ排斥運動も高まるだろう。

自由とか平等という言葉の近くには、ときに硬直した正義の姿が隠れていたりするものだ。濫用される「表現の自由」に、安易に与することなど出来ない。

by naomemo | 2015-01-10 07:31 | いまを読むノート