c0112103_9301548.jpg
オーストラリア政府が、タバコのパッケージにロゴマークやブランドカラーなどを表示することを禁止した。その決定に対して米国フィリップ・モリス社は法的手続きの準備に入ったという。

そもそも欧米で始まった禁煙の動きは、社会の健康志向という流れを受けて、という理由だけでなく、増大する医療費を抑えたいという政府の財政的な理由が背景にあることはよく知られている。けれど一方でタバコの売上げが低下すると政府の税収が減少するという問題も抱えているはず。

それでもオーストラリア政府がここまで踏み込んだ決定を行なったのは、なにか別の意図がありそうな気がする。なぜなら、パッケージのデザインを規制したからといって、禁煙率が上がるとも思いにくいからだよね。なんとなくちょっと注目したい気分。

ちなみに、上の写真は、そのフィリップ・モリス社のマルボロ・ライツ。僕はタバコを止めて3年ほどになるけど、それまでよく吸っていたやつだ。

by naomemo | 2011-06-28 09:15

メモ:建築家山本理顕

もうずいぶん前、手帳を見ると5月15日のこと。TV番組で、プライベートな閉鎖空間を廃して、開放的な住まいの空間、顔の見えるコミュニティーづくりを進めている建築家が紹介されていた。とても気になったのでメモ。山本理顕。
by naomemo | 2011-06-22 20:00

c0112103_1436916.jpg


松たか子が主演する映画「告白」を見た。ほとんど崩壊している教室(これは実態に近い)。いたいけない一人娘を亡くした女性教師。母の愛情に飢えた成績優秀な少年。父親の存在感がうすい家庭の過保護な母と息子。若くて能天気な熱血男性教師。

松たか子が演じる女性教師は娘の死因が事故ではなく生徒による犯行であることを突き止め、決然と復讐を決意する。自ら手を下すことなく、用意周到に、言葉で人心を操りながら、犯行に及んだ少年たちを自滅に導いて行く。その復讐の物語が、主要な登場人物の告白という形式で描かれていく。

現代ではもちろん禁止されているが、仇討ちは、江戸時代まで、少なくとも武士階級においては、一定のルールに従って行なうのであれば法的に許される行為としてあった。あるいはそのように無念や憤懣を晴らす捌け口を設けることで社会の安定を図っていたのかも知れない。あるいはそれが多少なり犯罪の抑止につながっていたかも知れない。仇討ちは、悪なのか、それとも、正義なのか。悪と正義はコインの裏表なのか。

それにしても「告白」は恐ろしく、そして哀しい物語だった。




by naomemo | 2011-06-17 09:15 | シネマパラダイス

c0112103_952349.jpg


ずいぶん時間がかかったけど、「1秒24コマの美」(古賀重樹 著)を読み終えた。日本映画がピッカピッカに輝いていた時代の三人の監督、黒澤明、小津安二郎、溝口健二それぞれの作品と人間の核心に迫る力作エッセイである。一本一本の作品を眼を皿のようにして(たぶん)何度も凝視し、関係資料をつぶさに渉猟し、さまざまな人物に親しく取材した上で、丁寧にまとめられた本だった。久しぶりに、往年の名画にたっぷり浸ってみたくなったよ。

(目次)

1黒澤の夢
(1)ゴッホの鴉を飛ばせ
(2)セザンヌになりたい
(3)鉄斎のように
(4)フィルムに描く

2小津好み
(1)背後の名画
(2)煙突、原っぱ、洗濯物
(3)モダンボーイの梁山泊
(4)相似形が壊れるとき

3溝口神話
(1)完全主義者の闘い
(2)不屈のアバンギャルド
(3)生身の女
(4)世界映画へ

以下は、自分用の抜き書きメモ。

(黒澤明)
◎風、そして雨。黒澤映画の名シーンはその多くが荒天だ。西部劇の神様ジョン・フォードは愛弟子アキラに言った。「君は本当に雨が好きだね」。
◎「埃、風、雨、炎…黒澤作品のいずれをとっても自然の基本的要素がそこに登場する」シドニー・ルメット
◎一瞬の風は運命を変える。風をはらむ旗は黒澤映画のシンボルだ。
◎黒澤の画コンテはまず第一義的にスタッフに意志を伝えるツールであった。

(小津安二郎)
◎「絵」はすべて監督の頭の中にあった。撮影はそれを再現し、フィルムに焼き付ける作業だった。
◎相似形の構図や動作の反復。名画のように美しく調和のとれた画面に、小津安二郎は存在の不安を潜ませた。
◎小津映画の特徴にカメラを低い位置に据えるローアングルがあるが、これは国芳(歌川国芳)の風景画によく見られる。北斎や広重の多くの浮世絵が俯瞰の位置をとっているのに対し、国芳の視線がぐっと低い。
◎「なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」「芸術は自分に従う」の言葉の通り、小津は自分が気に入らないもの、美しいとは思わないものは画面から徹底的に排除した。例えば終戦直後の作品でも焼け跡の風景はほとんどでてこない。若者たちはいつも身ぎれいな格好をしている。廊下はぴかぴかに磨き上げられ、部屋にチリ一つ落ちていない。
◎日中戦争で37年に招集され、上海に出征。以後、南京、徐州、漢口、南昌など中国戦線を転戦し39年7月にようやく帰還。この間の痛烈な体験が根底にあるのかも知れない。
◎小津安二郎は、構図を浮世絵から多くを学んでいるようだ。

(溝口健二)
◎山田五十鈴は溝口が「女の生活をじつによく知っていらっしゃる」ことに驚いた。「気どり澄ました瞬間や、働いているときの状態ではなく、家庭のなかでの女の自堕落さとか、女のエゴイズム、不潔さ、そういったものをまことに正確に観察しておられる。」
◎溝口健二は女を描き続けた、卑しい男たちにもてあそばれながら、したたかに生き抜く女を。運命に抗いながら、転落する女を。リアリストの辛辣な眼は、気高さも醜悪さも含め、生身の女をまるごととらえようとした。
◎ゴダールが描く女性も、溝口が描く女性も「高貴な精神をもっているのに、男の支配を受け、娼婦であらざるを得ない立場に追いやられる」という。
◎「女性たちは娼婦のように逃げてしまう、手につかめない、離れていく存在をして描かれる。そして女性がそういう態度をとる原因は男性にある」とジャン・ドゥーシェは言う。「これらはすべて売春行為を扱っている。なぜか。それが映画の本質だからだ。」
◎その上でドゥーシェは面白い指摘をする。溝口の映画では「ある映像、あるショットが美しいものになるやいなや、不幸なことが起こる」というのだ。

by naomemo | 2011-06-09 09:18 | シネマパラダイス

ドル離れの衝撃


唐突だけど、気になっているのでメモ。「ドル離れ」という言葉を目にするようになったのは、2001年頃からだったように記憶している。欧州にユーロが誕生し、米国でITバブルが崩壊し、米国の中東政策のツケが911テロの形で突き付けられたことで、ドルが売られるトレンドに入ったねという程度の認識だった。

けれど、その後の米国は、イラク攻撃に踏み切って深く足元を取られ、巨大な金融不動産バブルが破綻し、リーマン・ショックまで引き起こした。さらに、日米の関係がギクシャクとし、中東が民主化の動きで液状化し、中国が昇竜のごとく存在感を増し、という流れを見ていると、21世紀に入って起きている国際政治経済状況は、どれもこれも「ドル離れの衝撃」を映しているというように見えなくもない。

第二次大戦後はドルが基軸通貨の時代だった。そのドル一極の体制が変わろうとしているわけだから、次の体制が見えて来るまで、これからまだ相当の長期間にわたって混乱・混沌が続いて不思議じゃないなと思うようになった。ドルとは、たんに米国の通貨というだけでなく、通貨の中心=基軸通貨ゆえ、その価値が揺らげば、すべての通貨の価値が揺らいで当然かも知れない。ドル離れの問題は、想像以上に影響が大きい。

by naomemo | 2011-06-01 09:12