震源地は北アフリカのチュニジアという小国だった。そのさざ波は、あろうことか地中海の豊富な海水を飲み込んで、大津波となってエジプトに波及。ムバラク政権をなぎ倒したのち、北アフリカと中東全域に波及している。ここは大丈夫だろうと見られていたリビアも飲み込まれつつある。ここまで、わずか一ヶ月ちょっと。あっというまの出来事である。民衆の憤懣のエネルギーが噴火すると、政権なんてものは一夜にして崩壊するものなんだねえ。

NHKBSの海外ニュースに釘付けである。今朝、カダフィー大佐の次男が高飛車な物言いで国民に向かってデモ制圧宣言をしている映像を見たが、それについて中東カタールの放送局アルジャジーラは、彼は政府のどんな要職にもついていない、ただただカダフィの次男というだけの男であると伝えていた。これまでいかにリビアという国が私物化されているかを物語っている。民衆の怒りが爆発するのは時間の問題だったんだね。

今回の民主化要求デモは、食料品などの物価高騰、失業率の高止まりなどが直接的な引き金とされているけれど、これまで中東と密接な関係にあった欧米先進国、なかでも米国の地盤沈下と無関係ではないだろうね。北アフリカ中東各国の政権は、親米であろうと反米であろうと、米国一極の世界とつながっていたわけだから。その大黒柱が腐りかけたところで噴出したってことだね。

北アフリカと中東は、世界有数の資源地帯ゆえ、これまで欧米に蹂躙されてきた側面もあるけれど、しかし彼らとて欧米を利用してきた側面もあるようで。体制が崩壊したのち、ふたたびまとまるのに、さて、どれだけの年月がかかるのだろう。といいつつ、ただただ見続けるほかありませんが。

なんてことを言いつつ、今晩は、帰りに渋谷に立ち寄って、中国映画「再会の食卓」を観る予定。監督は、以前しっかりと感動をくれた「トゥヤーの結婚」のワン・チュアンアンなのだ。期待値、大。じつに楽しみ。

by naomemo | 2011-02-22 09:15


先日、ツタヤの経営母体であるカルチュア・コンビニエンス・クラブの創業者がツタヤの発行済株式を全株取得して東証1部の上場廃止を目指す、という記事が目に止まった。昨日は、出版界に新風を巻き起こして成長を続けてきた幻冬社が同様の宣言をしたというニュース。若干ニュアンスに違いがあるとはいえ、どちらも経営の自由度を高め、事業を機動的に展開していきたいというのが理由のようだ。これはつまり、短期差益のみ求めるファンドなどを相手にしていてはマトモな仕事ができんから、マーケットから撤収しようという決断のようだ。

それとは対照的に、新日本製鉄と住友金属工業は、グローバル市場で戦い抜けるように統合の道を選択したというニュース。この二社の統合は、グローバルな競争に勝ち抜くためという面が強いかも知れないけれど、やはり投機マネーに対する防衛策という意味合いを持っていることは周知の事実だろう。もはや株式を全株取得するとかしないとかのレベルじゃないから、反対にさらに大きくなることでマーケットに対抗しようということだろうね。

そして今朝目に止まったのは、ニューヨーク証券取引所とドイツ取引所が年内合併を目指すというニュース。世界中で国境を超えた取引所の連携が一大ブームになっている観があるね。そう、マネーは軽々と国境を超える時代になったのだ。

「国境を超える」といえば、インターネット。チュニジア、エジプトの政権を倒し、さらにイラン、ヨルダン、バーレーン、イエメン、リビアへと波及している民主化要求デモでは、ツイッターやフェイスブックが情報伝達手段として利用され大きな役割を果たしたと云われる。ツイッターもフェイスブックもソーシャル・メディアと呼ばれているが、「空間を超える、おしゃべりメディア」と言った方が話が早いかも知れない。そのせいか伝播力がきわめて強い。

もうひとつ、ネット関連ではウィキリークスという新しい暴露メディアが気になっていた。ウィキリークスによって暴露された情報は、あっというまに世界を駆け巡る。公開を何より優先するメディアで、内容の是非は二の次になっているように見える。まるで公開処刑を見ているようで寒気がする。なんでもオープンにすればいいってもんじゃないだろう。それにしてもウィキリークスでさえ、もはや古い話題のような気がしてしまうのが恐ろしいところだ。

マーケットとインターネット。かたや1980年代から始まった「規制緩和=自由化」の胎盤から産み落とされ国家をさえ脅かす存在になったマーケット=投機マネーという名のモンスター。かたや東西冷戦が終わった1990年代に米国の軍事技術が解放されて一気に広がり国家をさえ脅かす存在となったインターネットという名のモンスター。この二つは本来まったく別物なんだけど、とても相性が良いように見えるね。まるで双生児のようだ。どちらも肉眼で捉えることができず、どちらも軽々と国境を超えてしまい、どちらも閉じることを赦さない。

自由も民主も、現代人が求めて来たことなんだけど、どうもあるべき領域を遥かに通り過ぎてしまったような気がする。だから、いったん撤収するという選択は、あり、だと思っている。なんだか今日は重い話になってしまったなあ。なにが言いたいのかって?すみません、わたしもよく分からないんで…。

by naomemo | 2011-02-16 09:15

巨大な鍋料理

c0112103_16141069.jpg


おそらく時代を反映しているのだろうけれど、欧米の映画には移民がよく登場するようになったような気がする。つい最近では、クリント・イーストウッド監督の「グラントリノ」、ケン・ローチ監督の「この自由なる世界で」が印象に残っている。数え上げたら相当数にのぼるかも知れないけれど、おそらくは移民を受け入れる側の視点から描かれたものが多いんじゃないだろうか。

でも、先日、渋谷シネマライズで観たファティフ・アキン脚本・監督の8作目「ソウルキッチン」は、主人公ギリシャ系ドイツ人の視点から描かれた作品だった。前々作の「そして、私たちは愛に帰る」は監督本人とおなじトルコ系ドイツ人の視点から描かれていた。欧州には中東を初め、さまざまな地域からの移民が増加し、それがエネルギーにもなっている一方、さまざまな軋轢から排斥運動も生んでいるようだけれど、ファティフ・アキンの作品を観ていると、そうした歴史が成熟に向かうプロセスにあるのかなとも思えてきたりする。

さて、肝心の「ソウルキッチン」なんだけど、ドイツは北西部に位置する港湾都市ハンブルグにあるレストラン「ソウルキッチン」を舞台にし、多民族の素材をどっさり入れて煮込んだ鍋料理のような作品だった。

多民族都市ハンブルグの縮図としてソウルキッチンがあり、そこに、さまざまな顔立ちの人物たち(おそらく移民達)が出入りする。主人公ジノス・カザンザキス(ジャンクフード・キッチンのオーナー)、その兄貴イリアス・カザンザキス(仮釈放中の身で大のカードゲーム好き)、職人気質の天才料理人ジェイン・ワイズ(ジノスに雇われる天才料理人だが天使というか触媒のような存在に見えるな)、ジノスの恋人ナディーン(富豪の娘でジャーナリスト志望)、ウエイトレスのルチア(絵描き志望の大酒飲み)、地上げ屋(?)の友人、魅惑的な理学療法士のアンナ、税務署の堅物係官などなど。みなそれぞれの立場で、失敗にもめげることなく、じつにけなげに生きていて、そこがなんともうれしくなる。

キッチンに流れる音楽も、ジャズあり、ロックあり、ソウルあり、ワールドあり。人も音楽も、あらゆるものがごった煮で、めまいがするほどのカオスがここにはある。甘みもあり、苦みもあり、酸っぱみもあり、哀しみもあり、懐かしさもあり、底抜けの笑いもあり、でも漂う香りはじつにモダンという、奇妙な味が味わえる。好きな作品だ。




by naomemo | 2011-02-14 09:10 | シネマパラダイス

c0112103_1037342.jpg


鬼平犯科帳の面白さには、さまざまな側面がある。ひとことでは言い切れないから、新潮文庫版を一冊読み終えるごとに、感想を綴っている。というか、読み終えるたびに、片っ端から忘れていくので、半ば、じぶん用のメモとして書いているところがある。意図的に小出しにしてるわけじゃないよ。

ここまで読み継いできて、気になっていたことのひとつが、犯科帳に収められた話は、「鬼平チーム vs 盗賊チーム」の戦いというか知恵比べという側面もあるなあということです。盗賊チームも、なかなかやるんだよね。

読了した五冊目の物語は
深川・千鳥橋
乞食坊主
女賊
おしゃべり源八
兇賊
山吹屋お勝
鈍牛

さて、中東本を読んでみたくなったので、今週は鬼平犯科帳はお預け。昨日から読んでいるのは、酒井啓子「<中東>の考え方」 (講談社現代新書)。中東ってほんと分かりにくいところがあるけど、ページを繰っていくごとに、一枚、一枚、「分かりにくさ」の薄皮が剥がれて行くような快感があるね。

by naomemo | 2011-02-09 09:20


大相撲が、昨年7月の野球賭博問題につづいて、こんどは八百長問題で揺れている。前回の野球賭博のときもそうだったけど、またもやマスコミが悪乗りして騒いでいる観が強い。正々堂々の勝負以外は認めないという真面目な人たちも嫌っている印象があるけど、とにかく民放各局はまるで鬼の首を取ったかのごとき騒ぎ方だね。もっと大事なことが他にあるだろうに。その結果、本場所も巡業も中止に追い込まれているけど、どうにも釈然としないねえ。そこまでする理由がまったく分からん。

まず、この情報は野球賭博にかかわった警察関係のリークから始まっている。犯罪の形跡がないにもかかわらず、情報をリークするってのは、問題なんじゃないのかな。個人的にはそれこそ警察の重大な犯罪だと思うから、どうせ騒ぐなら、そっちにスポットを当てたらどうなのさって思うね。

一連の報道をときどき注意して見てるけど、組織の解体的出直しが必要とも思わないし、場所や巡業を中止する必要もないと思う。ただし、こんどの八百長問題は、どうやら現状の給金体系に原因がありそうだ。協会から力士に出る給金は、幕下以下だけ見ると、幕下15万円、三段目10万円、序二段8万円、序ノ口7万円が、場所毎に、つまり年6回、支払われるそうだ。

勝ち星ごとにオプションを支払われるけど、幕下で年90万円、序の口に至っては年42万円。これがつまり基本給みたいなものだ。いくら部屋住みの身とはいえ、学生の小遣いじゃあるまいし、これで我慢しろってのは無理でしょう。詳しいことは知らないけど、無名ボクサーみたいに生活費を他の仕事で稼ぐってことも出来ないでしょう、きっと。そんなことしたら、国技に携わる者がなんたることをしてるのかと、マスコミから袋だたきに会ってしまうだろうね、きっと。

上に厚く下に薄いという相撲界の給金体系は、上昇志向を高めるための体系だろうし、あるいはハングリー精神を養わせるための体系だろう。たしかにそういう考え方がベースになっているんだろうけど、一方でこうした八百長問題がはびこる温床になっているようだから、改める必要がありそうだね。これは個人の問題というより、組織の問題だろう。

少し先走ったけど、あらためて考えるには、相撲は、国技なのか、興行なのか、あるいは国技と興行の両面が分ち難いものなのか、その立ち位置を再確認して、その上で、協会のメンバーにも、理事会の顔ぶれにも、外部の血をふんだんに入れて、部屋制度の在り方をどうするか、給金体系を在り方をどうするか決めていったらいいんじゃないかな。もちろん簡単なことじゃないだろうから、場所も巡業も運営しながらやればいいと思うね。良い伝統は残し、時代に合わせて改良すべきところか改良すればいいと思うね。

それと、相撲がいくら国技だからって、そこで働いているのは人間なんだし、そこで生活の糧を得ている人たちも多い。人間社会だから、白もあれば黒もあれば灰色だってあるさ。賭博に関わりのない八百長に、なにも大人がメクジラを立てることもないだろうと個人的には思うけど、そんなにイケナイことだっていうなら、起きにくい体制にして、最低限必要なルールを決めて、それでも起きた場合には処罰するということでいいんじゃないの。繰り返すけど、犯罪じゃないし、誰にも迷惑はかかってないよ、こんどの問題は。社会に「善」だけを求めたって、無理っすよ。

by naomemo | 2011-02-07 09:15

優しく温かい眼差し

c0112103_17161787.jpg


ずいぶん前になるのだけれど、渋谷ルシネマで「エリックを探して」を観た。えーと、いつ観たっけなあ、そうそう、1月4日でした。手帖にメモがなければ、忘れてしまうところだ。

と、まあ、こうして記憶の底に沈みかけた断片をまさぐりながら書き始めているんだけど…、「エリックを探して」は思いのほか心地よい映画だった。ポール・ラバティ(脚本)とケン・ローチ(監督)のコンビが作る作品は、アイルランド独立と内戦の狭間で対立していく兄弟を描いた「麦の穂を揺らす風」といい、英国の移民労働問題を背景に労働者階級の家族の絆の有り様を見つめた「この自由なる世界で」といい、背筋がビシッとした苦みのあるものが多いのだけれど、今回はちょっと様子が違った。

これまでのような社会派的な刃は影を潜め、その眼差しは優しく温かい。これは老境を迎えつつある郵便配達人エリック本人の再生の物語であり、家族の再生の物語であり、地域や職場における人の絆を再確認する物語でもあるのだった。そして、ここには、郵便配達人エリックがこよなく愛するマンチェスター・ユナイテッドの往年の名選手エリック・カントナがエリック・カントナ本人として、重要な役回りで登場する。なかなか面白い登場の仕方をしているんだけど、これから観る人の愉しみを奪ってはいけないので、くわしくは書きません。それにしても、この優しさ、この温かさは、どういう心境の変化なんだろう…。そんな思いを胸に抱きながら帰路についた。電車のなかで、こんなことを想像していた。

英国はいま、80年代から政府主導で強力に押し進められてきた規制緩和、自由化の果てに生じた巨大バブル崩壊の真っただ中にいる。なにしろ国の政策として不動産と金融に特化してきたところがあるようだから、その影響は半端じゃないだろう。おそらく1990年代初頭の日本以上に惨憺たる状況に置かれているはずで、英国民たちは呆然としているんじゃないかという気がする。制作者たちの眼差しが優しく温かいのは、おそらくそんな現実を目の当たりにしているからかも知れないと思い至った。つまり、この映画は、彼らから英国庶民たちへの、精一杯の贈り物なんじゃないかと。

ちなみに英国はいまのところマーケットによる攻撃にはさらされていない。しかし、マーケットという自由化の鬼っ子は、まさにこの映画に登場するヤクザのように、英国を標的にするタイミングを虎視眈々と探っているに違いない。制作者たちの目にも、そのカゲはハッキリと映っているはずだ。この二人の映画制作者は、そうした現実から、さらにどんな作品を紡いでいくのか。愉しいことばかりじゃないんだろうけど、でも、ファンとしては、とても愉しみなのである。

なお、郵便配達人エリック(上の写真右)を演じているのは、スティーヴ・エヴェッツ(Steve Evets=回文になってるな)。初めて見た役者だけど、なかなかいい味を出している。若い頃、売春宿に寝泊まりしていたこともあるらしい。その後、ザ・フォールというロックバンドにベーシストとして参加していたこともあるようだ。シブい脇役が似合いそうな役者なので、これからときどき見かけることになるかもね。




by naomemo | 2011-02-05 12:54

c0112103_1094849.jpg


三冊目くらいからだろうか、物語の空気というか文章の雰囲気が少し変わってきた。一冊目二冊目におさめられている物語にはどこか空気がピンと張りつめているところがあったけど、三冊目あたりからそれがふっと弛んできた。

勝手な想像だけど、どこかの時点で、犯科帳を息の長いシリーズにしようと肚が決まったんだろうね。それと関係があるのかも知れない、男と女がむつみ合うシーンがよく登場するようになった。いちだんと深みが出てきた感じ。

読了した四冊目の物語は
霧の七郎
五年目の客
密通
血闘
あばたの新助
おみね徳次郎

夜鷹殺し

話が変わって、注目しているエジプトだけど、とうとう民衆が割れた。大統領の退陣を求める民衆と、大統領を支持する民衆との衝突に発展している。政権サイドが裏で手を回しているという説があるが、真偽のほどは不明。長期政権が倒れると混迷状態が続くのが常だけど(そういえば自民党政権が倒れた後の日本もそうだ)、これからどうなるんだろう、エジプトは。

今朝NHKBSに登場した中東問題の専門家は、エジプトは女性の社会進出がとても進んでいる国だと言っていた。混迷の果てにできる政権が、イスラムの過激派で牛耳られることはないのではないかという見方を披瀝していた。女性たちが緩衝の役割を果たすに違いないと見ているわけだね。

by naomemo | 2011-02-03 09:14

クラウドは大丈夫か


そろそろ最近観た映画(「ヤコブへの手紙」「ソウルキッチン」)の話でもメモとして残したいのだけれど、まだ身体のなかで消化しきっていないので、今回もエジプトの反政府デモから感じることを。

TVや新聞の報道によると、エジプト国内ではインターネットの接続が遮断されているという。あるいは大きく制限されているとも伝えられている。今回の反政府デモの呼びかけに、twitter、facebookが情報伝達手段として利用され、おおきな役割を果たしてきたことから、政権サイドとしては「遮断」という行為にでているのだろう。

今朝の朝日新聞によれば、ネット回線は遮断あるいは制限されているが、電話回線は生きているので、現在は通信手段として電話回線が使われているという。電話やファックスを使ったり、ダイヤルアップでネット接続してtwitterなどを使って交信しているということだ。

エジプトで起きている事態は、すでにイスラム諸国へ波及しつつあるし、ことによれば中国やロシアにだって波及しないとは限らない。移民を多く抱える米国、そして欧州とて安穏とはしていられないかも知れない。今回のエジプトの反政府デモは、超弩級のリスク要因がとつぜん生まれたようなものだからね。ひょっとすると、1989年に起きたベルリンの壁崩壊以上のインパクトを持つことになるかも知れない。世界はカオスに向かって、ゆっくり突き進み始めた感じ。

うーん、ちょっと風呂敷を広げすぎて収拾がつかなくなりそうだけど、今日は何を言いたいかというと、これです。ここ数年、ITの世界でクラウド市場の成長が著しい。大手IT企業はこぞってクラウド市場に参入しているし、一般企業サイドも自社サーバーの運用コスト削減のために、クラウドの利用に動いている。けれど、そこにリスクはないのだろうかということです。

コスト削減という大義名分は心地良い響きかもしれないけれど、インターネットというのは有事においては一瞬にして遮断されるものということは想定しておく必要があるってことだね。そうなっても混乱しないように、ヘッジとして代替を用意しておくことは、たぶんとても大事なことなんだろうね。誰しも新しいトレンドは気になるものだけれど、万一のヘッジを忘れないようにしたいものです。

おっ、ムバラク大統領が退陣を表明したね。ますます眼が離せなくなってきた。

by naomemo | 2011-02-02 09:22

鬼平、京都へ行く

c0112103_6311519.jpg


今回も鬼平犯科帳メモ。鬼平は、この三冊目で、火付け盗賊改方をいちど解任される。その機会を利用して父親の墓参りに京都に向かう。若い頃、京都奉行職に任じられた父に従って鬼平も2年ほど京都にいて、ずいぶんと遊んだらしい。その地で父が亡くなり、埋葬されているということなのだ。

京都に向かう道中でも鬼平は盗賊との関わりをもつ。盗賊の弟子にもなっている。もちろん京都の地でも盗賊と関わりをもつ。鬼平に平穏は訪れない。それほどに犯罪が多いということでもある。京都から奈良に向かう道中では、十数人の腕の立つ浪人に命を狙われて囲まれる場面もある。あやうし、鬼平。

この三冊目に入っている物語は
麻布ねずみ坂
盗法秘伝
艶婦の毒
兇剣
駿州・宇津谷峠
むかしの男

特有の表現が目につくようになってきた。

たとえば、『麻布ねずみ坂』には、こんな表現がある。
「駕篭わきに侍が一人、小者二人がつきそって来たところを見ると、身分のある武家へ治療におもむいたにちがいない。」

『兇剣』にも、こんな表現もある。
「『おう、猫鳥の伝五郎さんではねえか?』と、低く声をかけた。昨日、若い女を追いかけていたあの男の名は、伝五郎というらしい。」

「ちがいない」とか「いうらしい」とか、これ、なんだろうね。作者、池波正太郎は、自分自身のアタマのなかで映像として展開する物語を観ながら、それを言葉に置き換えていくという作業を行っているのかな。言葉で場面を作っていくという書き方じゃなく、まず最初にシーンのイメージがあって、それを肉付けしていくという順序で書いているような気がする。幼い頃から絵を描くことが好きだったという作者の体質から来るものかもしれないね。見たことがないので確証はないけれど、池波正太郎の生原稿は比較的きれいなんじゃないだろうか。

それにしても、『鬼平』を読んでると、男としての立ち居振る舞いが気になって来るんだよねえ。おい、きちんとしろよ、お前、ってねえ。困るよ。

by naomemo | 2011-02-01 06:44