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クラシカルの分野を聴き始めて、12、3年になる。最初の数年間は、モーツァルト → ハイドン → モーツァルト → ベートーヴェン → モーツァルト → バッハ → モーツァルト → シューベルト→ モーツァルト → ヴィヴァルディ、という具合に、モーツァルトを真ん中において時代を上ったり下ったりして、次から次へとCDを買い漁って聴きまくっていた。

さすがに、モーツァルトを聴きすぎて、ちょっと飽きてしまったのかも知れない。ここ数年ご無沙汰していた。だから、今週は久しぶりにモーツァルトである。レクイエム ニ短調K.626。

聴いているのは、指揮フランス・ブリュッヘン、演奏18世紀オーケストラ、合唱オランダ室内合唱団。1998年東京公演のライヴ版である。1曲目に「フリーメーソンのための葬送音楽」、2曲目に「2本のクラリネットと3本のバセットホルンのためのアダージョ」、それから入祭唱としてグレゴリオ聖歌、本編のレクエイムへ移行という構成になっている。奉献唱のはじめと終わりにもグレゴリオ聖歌が挿入されている。

しっかり抑制が利いている。この世のものとは思えないほど美しい。それにもかかわらず、この演奏と合唱の奥底には、熱いマグマのようなものが流れている。そんな感じがする。なんだろうね、これは。

by naomemo | 2009-08-28 06:00


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日本に長く在住し「ニッポン社会入門」を著したジャーナリストが、07年に渡米した。そして上梓したのが、「アメリカ社会入門」である。

先日、本屋で、目次に目を通した。前書き「アメリカ、この魅力的で奇妙な国」の冒頭を読んでみた。こう書かれている。「成人してから、ぼくはふたつの国に住んだ。いずれも母国イギリスではない。日本とアメリカだ。どちらかの国に、より強い違和感を覚えるかと聞かれたら、ぼくは間違いなくアメリカと答えるだろう。」ふーん、そーなの、だよね。

印象に残ったところがふたつあるので、メモしておく。

ひとつは、アメリカン・ドリームを幻想と言い切っていること。アメリカの社会的流動性は、じつはカナダやデンマークよりも低い、と。もちろん立身出世を成し遂げた人物はいるが、ごく稀なケースであって、それはアメリカだけに特有なものではないという。ようするに、「アメリカン・ドリーム神話」は、アメリカ社会に厳然と横たわる「巨大な貧富の格差」を覆い隠す、ある種の「装置」として機能しているのではないかと、著者は感じているのだ。

もうひとつは、アメリカ人の強い宗教性について。もともとメイフラワー号に乗ってアメリカにやってきた一団は、ピルグリム・ファーザーズであり、彼らが本質的にはキリスト教の狂信的なまでの信者だったことは忘れてはならない、と。世論調査によれば、アメリカ人の80%以上が神の存在を信じており、無神論者は10%にも満たない。さらに、62%の人々が悪魔や地獄の存在を信じている一方で、ダーウィンの進化論を認めている人は42%とか。さらに、半分以上のアメリカ人が自分には守護天使がいて、自分を守ろうと手助けしていると信じているそうだ。

そういえば、最近、アメリカ全土で巨大なアリーナのような教会ができていると聞く。今年観たアメリカの映画「チェンジリング」にも「グラントリノ」にも、牧師がしっかり登場していたし。保守化しているのか、なにかに回帰しようとしているのか。こうした強い宗教性が、アメリカの対外政策にも影を落としているような気がしないでもないな。

by naomemo | 2009-08-27 08:15

米国債を減らした中国

今日は二本目。うっかり忘れるところだったが、やはり日経に気になる記事があった。新興国が外貨準備としてドルを増やしている流れのなかで、中国は米国債の保有残高を大幅に減らしていることが判明したようだ。

この中国の動きは、以前、「中国による米国債のストレステスト?」で取り上げた内容に関連していそうだ。米国と中国との間では、さまざまな交渉が進んでいるのだろうが、中国は、日本のように、米国べったりではないね。しっかりとした距離感をもって交渉に臨んでいるだろうことが、こうした外貨準備の扱いからも伺われる。さて、日本は?そして米国は?

by naomemo | 2009-08-25 09:00

コンビニに次なる問題


以前、コンビニの「売れ残り弁当問題」に触れたことがある。それが未解決のところへ、新たな問題が起きて来たので取り上げてみる。

今朝の日経新聞によれば、セブンイレブンのフランチャイズ加盟店経営者10人が、年金、税金などの収納代行業務、24時間営業を強要するのは独禁法違反ということで、セブン側を提訴したという。

おそらくセブン側は、収納代行も24時間営業も利便性を向上させるためのサービスとして導入しているものゆえ、これらの施策について提訴されるとは思ってもみなかっただろう。強要ではなく営業方針ということになるだろう。

しかし、提訴は行われた。なぜだろう。いろいろな背景があるだろうし、店舗側の具体的な言い分を聞いてみないと分からないが、勝手な想像をしてみる。

まず収納代行だが、収納処理にはけっこう時間がかかるようだ。そのために他の顧客を待たせることにもなる。これは実際によく見かける風景である。それがしばしばクレームの対象になりそうなことも容易に想像がつく。なにしろ客ってのは勝手なモノ言いをするものだ。そうなると叱られる店員は、気持ちのやり場がないだろう。この問題で離職する若者が多いのかも知れない。ま、単純に手数料配分でもめていたのかも知れないが。

つぎに24時間営業問題。こちらは、もともと名前が示す通り7時から11時のはずだから、いまさらとは思うものの、加盟店側の言い分はもっともだろう。顧客のニーズに応えたワンストップ・サービスを展開するのがコンビニ業態の要とは分かっているものの、24時間営業がほんとに必要かどうかは立地によって異なるし、売上の低い夜間に店舗を開いておくことによるコスト負担には堪えきれない、あるいは凶悪な犯罪が増えてきたので物騒だ、ということがあるのかも知れない。企業のフレックス勤務体制じゃないけれど、コアタイムを7時から11時にして、あとは店舗にゆだねる。そんなことが議論にならないだろうか。

一連のコンビニ問題は、量販店のPB問題、ひいては価格支配問題、行き過ぎた規制緩和の問題ともつながっていると思うので、引き続き見て行こうと思っている。

by naomemo | 2009-08-25 08:30

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早朝の森のなかは、すでに秋の虫の音でいっぱいである。今年は、残暑とも無縁、ということになるのかも知れないな。

先週土曜日はいつものようにスポーツジムでゆっくり汗を流したり、痛めている肩のリハビリに行ったり、そして夜には連れ合いと久しぶりに多摩川の花火大会を観に行ったりして過ごした。帰りがけに、毎年観に来ているという知り合いとバッタリ会ったが、これほどの人出は初めてだとか。休日を近場で過ごす人が増えているのかも知れない。

日曜日は、新百合ケ丘まで足をのばす。アルテリオ映像館(川崎アートセンター内)で「シリアの花嫁」を観たり、本屋をブラブラしたり、レコード屋でCDを物色したりしたのち、のんびり帰宅。家の中のことをいくつか片付け、来週日曜日の衆議院選挙の期日前投票に出かけ、一票を投じてくる。それにしても、自民か民主か、という二元論になっているのが気になる。「郵政に賛成か反対か」がもたらしたのと、けっきょく同様のことになるのではないかと心配である。小選挙区制度見直しに、もう一票を投じたい気分である。

「シリアの花嫁」の感想は、後日。

ところでアルテリオ映像館に足を運んだのは初めてなのだが、驚いたのは、そこには今村昌平がカンヌ映画祭で貰ったパルムドールの実物が展示してあったことだ。くわしい事情は知らないが、ちょいと調べてみたら、どうやら今村昌平が発起人となってできた日本映画学校が昭和60年に新百合ケ丘に移転、おそらくその流れが起点となって「しんゆり映画祭」が動きだし、やがてアルテリオという単館系の映画上映館の開設へ、ということだったのではないか。それにしても単館系の映画上映館を維持するのは、容易なことではないはずだ。アルテリオの会員になったので、これからときどき足を運ぼうと思う。

それにしてもパルムドール(黄金のしゅろ)は一見の価値ありですよ。

by naomemo | 2009-08-24 08:30 | シネマパラダイス

見逃している映画


さほど忙しいわけでもないのに、ぜひ観たいと思いつつ見逃した映画が今年もいくつかある。

「ロルナの祈り」。昨年末、恵比寿で予告編を観て、なかなか面白そうじゃんと思ったのにね。でも、たしか来週末から三軒茶屋で上映されるので、見逃さないようにしなくちゃ。



「英国王 給仕人に乾杯」。これについては、じつはチケットが手元にあったにも関わらず、見逃した。ある日、仕事を終えて有楽町の映画館に向かっていたら、バッグのサイドポケットに突っ込んである携帯が震えた。あー、残念。でも、近々、早稲田松竹でやるようなので忘れないようにしないとね。



「四川のうた」。これもどこかで予告編を観て、気になって候補に入れていたのだが、見逃した。



「シリアの花嫁」。これは、明日から2週間、クルマで20分ほどの新百合ケ丘の「アルテリオ・シネマ」で上映が決まっている。ここはまだ行ったことがないから、行ってみよう。



「そして、私たちは愛にかえる」。ロードショウの後、飯田橋のギンレイに回ったようなのだが、見逃した。名画座情報を調べても、いまのところ上映の予定はない。観られないとなると、なおさら気持ちが募るものだな。



それにしても、映画の感想って、ほとんど自動的に「芋づる式」に言葉が出てくる場合もあれば、何度も何度も反芻しないと言葉にならない場合もあるのだよね。映画の善し悪しとは関係ないようなんだけど、なんでだろうなあ。

ずいぶん時間が経っているのに、まだ感想を書いていないものもある。「マンマ・ミーア」、「Into The Wild」、「レスラー」、「ディア・ドクター」、「それでも恋するバルセロナ」。それぞれ面白さはあるのだが、なんとなく手が動かない。なにかきっかけが必要なのかも知れない。 そのうちに、一作品ごとに一行コメントでも書いてみるか。

by naomemo | 2009-08-21 07:15 | シネマパラダイス

21世紀の自動車


新型プリウスの好調に続き、レクサス・ハイブリッドの受注台数も初期目標の20倍に達したという。周辺の産業への波及効果が大きいだろうし、このまま景気回復への追い風になってくれるといいな。

ただ、搭載する電池の生産が、パナソニックと共同出資会社だけでは追いつかないという理由から、トヨタもついに三洋電機からの調達に踏み切るという。しかも、三洋から調達するのはリチウム・イオン電池ということで、これも新たな展開である。

この電池は、従来のニッケル水素電池よりも小型化しやすく、出力も高く、蓄電容量も大幅に増えるというメリットがある反面、熱を持ちやすく、オーバーヒートを起こしやすいことがネックだった。ノートパソコンに搭載したリチウム・イオン電池が発火したというニュースはまだ記憶に新しいが、その問題もクリアされたということなのだろうね。

しかし、21世紀の自動車は、どうなるのだろう。ガソリンと電気のハイブリッドがこのまま主流になるとは、どうも思いにくい。ホンダが研究を続けている水素で発電して動く自動車には夢があるし興味もあるのだが、触媒として大量にプラチナを使うというのでは量産化のメドが立ちにくいな。技術革新がさらに進んで太陽光発電の発電効率が飛躍的に向上してくれれば、太陽エネルギーで動く自動車の量産化も可能になるかもね。

太陽エネルギーは、化石燃料と違って、環境負荷がとても低い。さらに重要なことは、たぶん世界の誰もが恩恵に預かれることだろう。化石燃料で生きている国にとって大きな打撃になるだろうが、そういう日はきっと来る。意外に早く来るかも知れないと、僕は、かなり楽観的に思っている。あとは蓄電用のリチウムイオン電池の国際標準をどこが奪取するか。キャスティング・ボートは、中国が握ることになるのかも知れないね。

by naomemo | 2009-08-19 08:30

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先週の金曜日、仕事帰りに三軒茶屋で途中下車。三軒茶屋中央劇場に立ち寄り中東レバノンの映画「キャラメル」を観る。最近、中東映画が面白いと聞いていたが、この作品も例外ではなかった。

レバノンといえば「内戦」とか「テロ」という言葉と分ちがたく結びついていて、政治対立や宗教対立の激しい国というイメージがある。それはたしかにひとつの真実だろうが、この映画を観ると、マスコミを通じて知る中東についての情報がいかに偏っているかを、あらためて感じる。

舞台は、首都ベイルートの小さなエステサロン(ヘア&エステ)。女性が「美しさ」を求めて通う場所であるエステサロンが、名作「スモーク」の煙草屋のように、この映画のヘソになっている。ここは、登場人物たちが、自分をさらけ出し、支え合い、許し合える、ある種の避難場所、あるいは公然たる秘密の場所といってもいいかも知れない。

サロンに出入りする常連メンバーは5人の女性。オーナーのラヤール(キリスト教徒・30歳)は妻子ある男性との不倫に揺れ、ヘア担当のニスリン(イスラム教徒・26歳)は結婚を間近に控え婚約者にも実母にも明かせない秘密に揺れ、シャンプー担当のリマ(24歳)は黒髪の女性客に気持ちが揺れ、常連客のジャマル(年齢不詳)は年齢という現実に揺れつつオーディションを受け続け、そしてサロンのご近所で老いた姉を抱えながら仕立屋を営むローズ(60歳)は別の人生への一歩に揺れる。それぞれが、それぞれの問題を抱えながら揺れ動くシーンが、淡々と、美しく、ユーモラスに、親密なまなざしで描かれて行く。大きな事件などは、ひとつもない。

たとえばローズの場合。逢い引きに出かける準備をするシーンで、老いた姉の嫉妬に手を焼き、部屋に閉じ込める。でも、結局出かけるのを諦め、化粧を落とす。鏡に映ったローズの表情は胸に迫るものがある。たとえばニスリンの場合。嫁ぐ前夜、実母が、初夜の心構えや妻としての心構えを伝えるなかで、こんなセリフを言う。「先の人生は神様だけがご存知。メロンと同じで切ってみるまで分からない」。毎度、毎度の内戦やテロの報道の裏に、ささやかだけれど、しかし宝石のような人生の断片があるのだよね。

そうだ、だいじなことをひとつ。物語の終盤に、サロンのオーナーに心を寄せる警官がエステにやってくるシーンがある。彼は「キャラメル」で脱毛され、ヒゲを剃られるのだ。男社会に対する、ナディーン・ラバキーからの優しくも強烈なパンチである。ちなみに、「キャラメル」は、中東では女性の脱毛に使われるものだそうだ。重要な小道具として、たびたび登場する。

監督:ナディーン・ラバキー/脚本:ナディーン・ラバキー、ジハード・ホジェイリー、ロドニー・アル=ハッダード/音楽:ハーレド・ムザンナル/キャスト:(オーナーのラヤール)ナディーン・ラバキー、(ヘア担当のニスリン)ヤスミーン・アル=マスリー、(シャンプー担当のリマ)ジョアンナ・ムカルゼル、(ジャマル)ジゼル・アウワード、(仕立て屋ローズ)シハーム・ハッダード。信じがたいけれど、ニスリン役も、リマ役も、ジャマル役も、ローズ役も、プロの役者ではなく、全員がそれぞれ仕事を持つ素人を起用しているそうだ。きっと役者の生かし方が素晴らしいのだろう。



by naomemo | 2009-08-18 07:55 | シネマパラダイス

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以前、渋滞に巻き込まれて「劔岳 — 点の記」を見逃したことを書いたが、やっとありついた。久々に正統派の日本映画を観た気分になった。

なにはさておき、壮大な自然がどんと真ん中にあり、そこに人間のドラマが織り込まれるという作法がいいね。北アルプス立山連峰の映像が、とてつもなく美しい。さすが腕利きのカメラマンが監督しているだけのことはある。その映像に酔いつつ、しかし、あれれ?と訝しく感じたのが、ヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハなどのバロック音楽が使われていることだった。しばらくのあいだ、ミスマッチじゃないの?と気になった。

なかでも何度も登場するヴィヴァルディは、海の都ヴェネツィアが生んだ音楽家である。その音楽のそこかしこには潮の香りが漂っているのだ。それを山の映画に使うとは、という思いがしばらく拭えなかった。けれど、不思議なもので、観ているうちに違和感が薄れて馴染んできた。ヴィヴァルディの「四季」は、潮の香より季節の匂いが勝っているということなんだなと、再認識する機会にもなった。そのように持っていった音楽監督に拍手なのかな。

時代は明治40年(1907年)。日露戦争後、陸軍が国防のために日本地図の完成を急いでいた時期。その日本地図に残された最後の空白地帯、北アルプス立山連峰を埋めるべく、陸軍参謀本部陸地測量部の測量手・柴崎芳太郎に命令が下る。劔岳に登頂し、三角点標識を設置して測量を行うべしと。

しかしことは容易ではない。劔岳はたんなる山ではない。立山修験という山岳信仰の対象であり、ご神体なのだ。そして同時に「地獄の針の山」として畏れられている峻険な山でもある。あだやおそろかに登頂などしてはならないし、登頂できるものでもないのだ。それが「土地の気分」として濃厚に漂う。案内人として協力を惜しまない宇治長次郎などは、村八分のような扱いを受けているように見える。

劔岳への初登頂を目指すライバルとして、創設して間もない日本山岳会が登場する。もちろんメディアが見過ごすはずもない。お決まりのごとく、陸軍が勝つか山岳会が勝つかと騒ぎ立てる。メディアが騒げば騒ぐほど、陸軍サイドは「威信にかけて」初登頂を成し遂げよと測量隊にプレッシャーをかける。メンツというのは恐ろしいものだ。いつのまにか本来の目的や意味が打ち捨てられてしまうのだから。

結果としては、測量隊が初登頂を遂げるのだが、登頂のヒントになったのは、「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ」という千年前から言い伝えられている行者の言葉だった。

ところどころだれる場面が散見された。もう少し冷たく突き放して編集できたのではという気もする。とはいえ、それもこれも、美しい映像と、骨太の物語と、案内人を演ずる香川照之の素晴らしい演技が埋め合わせてくれた。彼の、案内人としての、その話し方、その表情、その仕草、その歩き方は、まあ、みごとというほかない。楽しみました。



by naomemo | 2009-08-15 07:25 | シネマパラダイス


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夏になると、なぜか南国の音楽が聴きたくなる。休日の昼下がりに、窓を開け放って、ときおり流れる風を受けながら聴く南国の音楽は、格別です。

ということで、今週の一枚は、ご存知のゴンチチであります。彼らがお気に入りのスタンダード・ナンバーを選び抜き、ギター・デュオ用にアレンジして演奏しているのであります。音楽をこよなく愛するゴンチチからの贈り物、というよりゴンチチを媒介にした音楽の神様からの贈り物ですね、これは。

アルバム・タイトルは、A Magic Wand Of "Standards". スタンダード・ナンバーは魔法の杖、だって。ジャケット・デザインもかっこいい。

Te Quier Di Jieste
Jungle Flower
On The Street Where You Live
Brazil
Love
Strangers In The Night
Sunflower
Deep Purple
Red Roses For A Blue Lady
Night And Day
Norwegian Wood
Tennessee Waltz
Sound Of Music
Menilmontant ~ Mack The Knife
The Syncopated Clock
Smoke Gets In Your Eyes
Asadoya Yunta
Tennessee Waltz〔Vocal Version〕

by naomemo | 2009-08-14 08:15