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No music, no life. いつの頃からか音楽のない生活は考えられなくなった。ここ数年はいつも胸ポケットにiPod。週末に音源を入れ替えている。ただ、音楽と一緒に、落語も入っている。気分や状況に応じて、クラシカル系を聴いたり、ワールド系を聞いたり、落語を聞いたりしている。そしてたまにコンサート会場に足を運び、ライブ演奏を聴く。

ライブで聴くたびに、音楽ってのは身体全体で聴くものなんだなと思う。身体で聴くからか、同じ音楽が、普段とはまるで別物に聴こえることがある。それまでイマイチだなあと思っていた音楽に、突然、揺さぶられることもある。

10年ほど前、CPEバッハのシンフォニアを初めてコンサート会場で聴いた時もそうだった。以来、このJSバッハの次男の音楽に病みつきになった。その割にCDをそれほど持っている訳ではないのだが、とにかくこの2枚組"C.P.E. Bach Symphonies and Cello Concertos"は素晴らしい。何遍聴いたか知れない。それでも飽きることがない。ハイドンの音楽も、モーツァルトの音楽も、この人の果実があったればこそ、と勝手に思っている。

指揮グスタフ・レオンハルト、演奏Orchestra Of The Age Of Enlightenment(啓蒙の時代のオーケストラ)。2枚目に入っているチェロ協奏曲では、アンナー・ビスルマがバロック・チェロを弾いている。このビルスマ爺さん、年齢を重ねるごとに演奏が若返っていくような気がするな。ほんと、不思議な人だ。

by naomemo | 2009-06-30 07:08

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落語で昭和の三大名人といえば、古今亭志ん生、桂文楽、三遊亭円生ということになっている。その後、四天王と呼ばれたのが、古今亭志ん朝、立川談志、三遊亭円楽、春風亭柳朝(あるいは橘屋円蔵)である。なかでも志ん朝と談志は、群を抜いていたこともあって、比較されることが多い。

また、談志ファンは志ん朝も好むが、志ん朝ファンは談志を好まないとも言われている。統計的にどうなのか知らないが、僕自身も志ん朝ファンで、これまで談志は積極的には聴いていない。

なぜか。たとえば、落語のどこが好きかという質問に対する二人の答えを聞けば、その違いは明瞭だと思う。志ん朝には「狐や狸が出てくるところ」と答えて憚らない洒脱さがある。理屈は言わない。すべては高座に表れるとする潔さがあるように感じる。一方の談志は「人間の業を肯定しているところ」と答えるデモーニッシュな理論派である。落語にテーマ性を持ち込んだ、革命児としての顔がある。かたや粋、かたや無骨といっても良いだろう。ようするに落語に対する考え方、姿勢、態度がまるきり違うのだ。

そんなことから、古くからの落語ファンが「談志の迷宮 志ん朝の闇」というタイトルを見たら、こうした事情を思い浮かべながら、この本を手に取るに違いない。しかし、そうなると、おそらく期待外れになるだろう。この本は、談志と志ん朝の違いを深く掘り下げているわけではないからだ。本人が付けたのか、版元が付けたのか知らないが、ひょっとしたら、このタイトルがマイナスになって、評価を下げているかも知れない。

でも、あくまでも落語ネタのエッセイ集、あるいは「落語が僕の先生だった」といった趣きのエッセイ集と思って読めば、それはそれで十分に楽しめる一冊ではある。若い頃から、落語が著者の生活の一部としてあったらしいことも伝わってくるし、著者の落語に対する愛情は本物だろうとも感じるからね。こういう入門書があってもいいんじゃないかとも思う。僕はこの本を読んで、そろそろ談志を聴いてみようかなと思い始めている。

取り上げられている落語ネタは次の通り。文七元結、富久、笠碁、付き馬、試し酒、鰻の幇間、雑俳、明烏、黄金餅、垂乳根、宮戸川、化物使い、馬のす、火事息子、芝浜。

著者は、立川末広。この人、並外れた競馬好きのようでもあります。

by naomemo | 2009-06-24 07:05 | 音楽から落語まで

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これまで、ルネサンス時代の英国の吟遊詩人ジョン・ダウランドの曲を積極的に聴くことはなかった。だいたい僕が聴いているクラシカルは、後期バロック以降なのだ。

この「ラビリンス」というアルバムは発売後しばらく話題になっていた。けれど、いくらお気に入りのスティングが歌っているからといって、なにもいまさらダウランドじゃないでしょう、と、そう思っていたので、なかなか手が伸びなかった。でも、やっぱり聞いてみたくなった。

不思議な感覚に包まれる。ひとことで言えば、スティングの声をまとったダウランドを聴いているのか、ダウランドの曲をまとったスティングを聴いているのか、まったく判然としないのだ。

それほどまでに、ルネサンス時代の英国の音楽家ジョン・ダウランドと、現代の英国のロックスター、スティングとの相性はいい。400年の時を隔てて、ふたつの魂が共振しているようだ。エディン・カラマーゾフのリュートも素晴らしい。こんなこともあるんだなあ。奇跡の出会いから生まれたんだろうね、このアルバムは。というのが率直な感想である。

by naomemo | 2009-06-23 07:05


一昨日(6月21日)の朝日新聞朝刊に、気になる記事があったので忘れないうちにメモしておく。最近、米国でヘイト・クライム(憎悪犯罪)が増加しているという。とくに黒人やユダヤ人に対する犯罪が多発しているのだという。

こんどの金融危機や経済不況の元凶は、ユダヤ資本であるとする一部の狂信的な主張にミスリードされているところもあるようだ。さらに、オバマ大統領の背後にはユダヤ資本がいるという主張もあるという。たとえそれが事実にしても、ちょっと危険な匂いがしないでもない。

そういえば、2001年の911テロの際には、米国は、国を挙げてヘイト・クライムを犯している。国外ではアフガン空爆、イラク攻撃へと突き進み、国内ではアラブ系アメリカ人に対する犯罪が急増したとされる。あるいは意図されたものなのかも知れないが、集団ヒステリーの類いであることは間違いない。

そういえば、1950年代の米国では、マッカーシー旋風(赤狩り)なるものが吹き荒れた。共和党議員マッカーシーの煽動によって、共産主義者を追放しようという動きが、各役所へ、マスコミへ、ハリウッドへと波及したようだ。同時にユダヤ人追放も進んだようだ。

米国という国は、ときどき果てしなく逆上する。これ以上悪化しなければいいのだけれど。

by naomemo | 2009-06-22 21:30


先週火曜日の6月16日、「筋無力症からサンジャックへの道」というテキストを公開しました。その、7、8年前に筋無力症で1年半ほど入院していた彼女が、日本時間20日午後7時頃に、750キロを一月で歩き切って、目的地サンチャゴにゴールしたという。

21日の朝、友人経由で、本人からのメールとその日の夕日の写真が届いた。それまでの背景の物語を少し聞いているせいもあるだろうが、スペイン最西端の海に沈み込む直前の夕日は、じつに美しい。センチメンタルな気持ちにもなる。

ほんとうはその夕日の写真をここに掲載したいところだが、友人の友人の写真とはいえ、勝手なまねはできない。残念だけど、仕方ないね。機会があれば、本人からいろいろお話を伺いたいものです。

by naomemo | 2009-06-21 07:30



この週末は、映画を二本。まずは金曜日の夜、仕事帰りに世田谷三軒茶屋で途中下車し、三軒茶屋中央劇場へ。

ここは古くからある名画座(旧作二本立て)だし、名前もおよその場所も知ってはいたのだが、これまで足を踏み入れたことはなかった。今回が初めて。座席数262席、いかにも場末の映画館といった風情。この、都心の、世田谷にある場末の映画館って、まるでタイムマシンに乗って何十年も時代をさかのぼったような感じで、なかなかいい。ここで、昨年公開されたが見逃していた、脚本監督ショーンペンの「into the wild(荒野へ)」を観た。映画の感想はそのうちに。

土曜日は、仕事。他に予定もあり、休みというのにけっこう忙しい。で、日曜日、午前中ジムでしっかり汗を流し、午後になって連れ合いと港北のワーナーマイカルへ。そこで「剣岳」を観る予定だったのが、なんと渋滞に巻き込まれて間に合わず、急遽「The reader 愛を読むひと」に切り替える。漠然と予想していたストーリーとは、ずいぶん違っていて、しっかり堪能した。この感想も、ちかぢか。

それにしても残念だったのは、「into the wild(荒野へ)」にしても、「The reader 愛を読むひと」にしても、客の入りが芳しくなかったことだ。著しく。どちらも素晴らしい作品なのに、ガラガラ。その一方、「剣岳」の方は、「僅少」という文字がボードに表示されていた。

邦画に人気が集まるのは、もちろん結構なことだと思う。でも、ここまで洋画人気が低迷しているのは、やはり気になる。しかも、これは、映画だけの話ではない。洋楽マーケットも急速に萎んでいるというし、ひょっとしたら小説などの分野でも同様の傾向が出ているかも知れない。あまりに内向きすぎるのではないだろうか。経済不況が長引けば、この傾向は長引くということか。

でも、ま、何事も考えようです。洋画を観て歩くには、とてもよい時代だと考えることにしよう。なにはともあれ、ゆったり楽しめるのだから。

by naomemo | 2009-06-21 07:00 | シネマパラダイス


2009年上期のヒット商品番付が発表された。東の横綱は、ホンダのインサイトとトヨタのプリウス。これは、エコロジー×エコノミー、二つのエコの組み合わせということで、誰しも納得だろう。西の横綱は、ファスト・ファッション。これは若い女性に特化しているし、気になる点はあるのだけれど、まあ、納得でしょう。

大関は、東が990円ジーンズ、西が下取りセール。ここでは、エコノミーが幅を利かせている。下取りセールは、たしかに近頃よく見かける。「下取り」という言葉を、買い替え需要のキッカケに使っているところが多いように感じている。でも、下取りされたものがどうなるのかによって、これは、エコロジーにもなれば、アンチ・エコロジーにもなる。ファスト・ファッションが隆盛になればなるほど、「下取り」の在り方や仕組みの重要性は増すだろう。いまからしっかり考えて置くことが必要だろうね。「迅速×流行×安価」というメリットを取ることが、「品質」や「もったいない」を捨てることになっては困るしね。

そして関脇が、キリンビールのフリーと節約弁当。小結が、バラク・オバマと侍ジャパン。前頭筆頭が、村上春樹「1Q84」と蒸気レスIH炊飯器。以下、ハイボール、ラン&バイク、ウォン旅行、ニンテンドーDSiと続く。

小結のバラク・オバマと侍ジャパンは、「閉塞感の打破」につながるものだろう。そして、前頭筆頭。村上春樹の「1Q84」と蒸気レスIH炊飯器が並んでいるのが、なんだか奇異で面白い。村上春樹の「1Q84」は、そのうちにゆっくり読むつもりです。と、本日は、ちょっとしたメモでありました。

by naomemo | 2009-06-17 07:10

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友人の友人に、数年前、筋無力症で1年半ほど入院治療を受けていた女性がいる。伝え聞くところによれば、彼女は、2年ほど前からスペイン語の猛勉強を始めたという。そして、この5月中旬に、バッグパックをひとつ背負い、サンティアゴ巡礼800キロの旅に出たのだという。

昨晩、友人から届いたメールによれば、ゴールまで100キロを切ったとか。このペースなら、今週末には目指すサンティアゴに到着するだろう。筋無力症だった人が、一月で800キロを踏破するなんて、にわかには信じ難いが、強い思いは、岩をも貫くことがあるということか。ちょっと感動です。

スペイン語の特訓を始めたのが、2年ほど前というから、ひょっとしたら日本でも公開されたフランス映画「サンジャックへの道」がキッカケになったのかも知れない(サンジャックとは、サンティアゴのフランス語読み)。僕も、ピレネー越えの風景が美しいと聞いて、当時、銀座まで観に出かけたのだった。

記憶はおぼろだが、この際だから、ざっと思い起こしてみる。ある日、兄(やり手のビジネスマン)、妹(性格のキツイしっかり者の教師)、弟(アル中気味の無一文)の三人が、弁護士に呼び出される。母親が亡くなり、遺言状を託されているのだという。

それなりの遺産があるようなのだが、彼らが相続する上で条件が一つあるという。聞いてみれば、フランスのル・ピュイから、スペインの西の果てにある聖地サンティアゴまで、1500キロにおよぶ巡礼路を、三人一緒に歩くことだという。一人でも欠けたら、遺産はどこかへ寄贈されることになるという。

ブツブツ文句を言うものの、けっきょくは長期休暇を取り、ガイド付き総勢十名ほどの巡礼グループに加わって、珍道中が始まる。それぞれが、それぞれの思いを抱えながらの巡礼である。

毎日、毎日の長駆に、足の皮は剥がれるは、足に痛みは出てくるは、疲労で文句やら愚痴やらは出てくるは、兄弟ゲンカは始まるは、自我はむき出しになるは、幻想を見るようになるは、もう散々である。しかし、いつしか、世間のアカが落ち、意固地も取れ始め、仲の悪かった三人が、お互いを思いやるようになってくる。毎日、毎日、数十キロの道のりを歩き続けるうちに、浄化作用が生まれてくるということなのだろう。巡礼の意味は、ひょっとしたら、この「歩くこと」そのものにあるのかも知れない。

ロードムビーといえば米国の専売特許と思っていたが、フランスにもこういう映画があるんだね。思わぬエンディングもあって楽しめる一編となっている。旅行好きなら、きっと歩いてみたくなるだろうね。

by naomemo | 2009-06-16 07:10 | シネマパラダイス

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とくに何かしたい訳でもないのに、街をぶらぶら歩きたくなることがある。仕事が詰まっている、詰まっていないに関わらず、ふと出かけたくなるのだ。好きな頃合いというのがあって、いちばんは夕暮れ時である。照りつける陽光がすこし穏やかになり、張りつめていた昼の空気がちょっと緩み、時間が昼から夜へと移ろっていく、ほんの数十分。魔法のような時間帯である。

いまから4年ほど前だったか、そんな夕暮れ時の少し浮ついたような気分に包まれて、僕は新宿タワーレコードに向かった。何を買おうと決めていたわけではない。視聴コーナーをあちこち回って、なんとなく気になるアルバムを順繰りにツマミ食いしていたのだった。何枚目だったか、いまとなっては記憶も定かではないが、それは、まるで魔法の杖に一振りされたかのように、耳の奥に飛び込んできた。それが、Madeleine Peyrouxの“Dance Me To The End Of Love”だった。

魔法のような時間帯には、不思議な出会いがあるものだ。僕はその場から動けなくなって、全曲を聴き終え、アルバム“Careless Love”をレジへ持ち込んだ。ヘビー・ローテーション・アルバムとなった。しばらく、通勤電車の中で、毎日聴いていた。そののち彼女のアルバムはすべて購入したが、けっきょくこの出会いの一枚に戻ってくる。出会いがしらの初恋みたいなものかも知れない。

by naomemo | 2009-06-15 07:07

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落語には、ときおり幇間(ほうかん)が登場する。幇間という言葉はもはや死語の類いだろうから、「たいこ持ち」と言った方が通りは良いかも知れない。いやいや、幇間という職業そのものが絶滅しかけているのだから、呼び名を変えたところで、ちゃんと伝わるとは思いにくい。じっさい僕自身も、本物に出会ったことはない。あくまでも、本や、映画や、ドラマや、落語のなかで出会うだけだ。

幇間とは、旦那衆のお座敷遊びを盛り上げる、あるいはお客さんをヨイショして気持ちよい時間を過ごしてもらう、という役割を受け持つ職業だろう。つまり遊びのサポート役なのだから、落語でも主役は張りにくい。「愛宕山」に登場する脇役としての存在感くらいが似つかわしいだろう。

まれに主役で登場することもあり、その場合はドジな幇間と相場は決まっている。暑い夏の昼下がりの出来事を描いている「鰻の幇間」は、その代表格といってよいだろう。主人公の幇間は、もともと置屋に籍をおいていたようだが、何かしくじりでもしたか、いまは旦那衆のお宅を訪れて引っぱり出すアナ釣りやら、町を流して旦那衆を捕まえるオカ釣りが専門である。つまり、「野だいこ」ってやつだね。

あっちも留守、こっちも留守。けっきょく町を流し、ようやく捕まえたのが浴衣姿の旦那。どこかで会っているようだが、思い出せない。いろいろ駆け引きしながら情報を探り出そうとするが、テキもさるもの、なかなか尻尾はつかませない。やがて旦那の案内で連れて行かれたのが、見てくれは汚いが鰻は絶品(?)、という店だった。

先に上がってくれと言われて二階が上がってみると、たしかに汚い店。なにやら不安を感じるも、旦那に向かってそんなことは口が裂けても言えない。新香をつまみながら杯をぼちぼち重ね始めるや、もう鰻が運ばれてくる。早すぎるんじゃないか?すると、旦那が、ちょいと厠へと言って席を外す。一人手酌で進めるうち、なかなか戻ってこないことを不審に思って厠へ向かうと、そこはもぬけのから。一杯食わされた。土産に三人前も持ち帰られ、商売道具の上等な下駄まで盗まれ、という始末。

その間の独り言やら、女中とのやりとりがじつに面白いのだが、何度か聞いているうちに、疑問が浮かんでくる。あの旦那はいったい何者なんだろう?落語にワルは登場しないのが定石なんだが、この旦那はクセ者である。主人公を野だいこと知っての悪さに相違ない。ひょっとしたら、同業の野だいこか。はたまた野だいこ狩りか。

野だいこという存在は、その図々しさ、その狡さ、その調子の良さで、庶民から敬遠されていたに違いない。でも、人のいいドジな野だいこが、ここまでやられると、さすがに酷だなあという思いが湧いてくる。そのあたりの機微をそこはかとなく伝えてくれるのが、黒門町こと八代目桂文楽。どことなく哀愁がただよう噺に仕上がっている。

by naomemo | 2009-06-11 07:03 | 音楽から落語まで