願いは荒野を駆けめぐる

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昨日、四ッ谷荒木町の小料理屋「くろ田」で、旧友たちと落ち合ってご飯を食べた。じつに愉しいひとときだった。ほろ酔い加減になったころ、友人の一人が久しぶりに海外の山を歩きにいく、と言い出した。

もちろん、Going solo、単独行だという。海外の山を一人で歩くなんて聞いていたら、なんだかこちらまで漂白の思いが募ってきた。でも、なかなかそうも行かない。ま、じつは、それで時折、映画館に足を運んだりして、スクリーンの向こう側の「見知らぬ土地へ」旅をしているのだ。

昨年観た内モンゴルを舞台にした映画の話を切り出したら、その彼がぜひ観てみたいという。酔っていたせいか、タイトルが出てこなかったので、ここに紹介しておこうと思う。

タイトルは「トゥヤーの結婚」。内モンゴルの荒野で、寝たきりの夫と小さな子供を抱え、羊の放牧をし、畑を耕し、毎日数十キロ先の井戸へ水を汲みに通うトゥヤー。信じ難いほどの重労働だが愚痴ひとつこぼすこともない。でも、この過酷な環境で家族を養い続けることは、すでに限界に近づきつつあった。

家族を守るために、どうしたらいいのか。トゥヤーは、我々の常識からは想像もつかない、思いもよらぬ方策を考え出す。そして、そのささやかな願いは、荒れ果てた広大な草原を駆けめぐる。いとおしく、せつなく、不思議な温もりのある一本。ランドスケープの圧倒的な力、映像の美しさは、筆舌に尽くし難い。

by naomemo | 2009-05-30 18:54 | シネマパラダイス

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フランツ・ヨーゼフ・ハイドンは、「交響曲の父」と呼ばれる。個人的には、すこし前の世代のC.P.E.バッハあたりが父じゃないかと思ったりもするのだけど、だからといってハイドンの値打ちが下がるというものでもないだろう。

彼はとにかく多産の作曲家だった。交響曲だけで、じつに104曲も書いている。それだけではない。徹頭徹尾、「祝福の音楽」を書き続けた人なのだ。初期から晩年にいたるまで、年齢に応じて名曲は数々あるけれど、交響曲のなかでは「疾風怒濤期」と呼ばれる時期の作品がとくに好きである。脂が乗り切った時期の作品ということもあるかも知れない。

愛聴盤は、45番(告別)、46番、47番の3曲がカップリングされた一枚。指揮はブルーノ・ヴァイル、演奏はターフェルムジーク・バロック管弦楽団。驚くほど鮮烈な演奏。思わず、背筋が伸びる。耳が立つ。

by naomemo | 2009-05-29 00:05

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イーストウッドの「チェンジリング」を観ていた時、この話って、日本でいえば「神隠し」に当たるものだなあと思っていた。「神隠し」なんて、もはや死語の類いだが、先日、新宿の本屋をぶらぶらしていたら、「神隠しと日本人」という題名の本が目の端に止まった。手招きされた気がした(ほんとかな)。パラパラとページを繰ったあと、そのままレジへ。

著者は小松和彦氏。文化人類学者といえばいいのか、民俗学者というべきなのか分からないが、もし「異界学」なる分野があるとすれば、その方面では第一人者といってよいのではないだろうか。

著者によれば、神隠しが信じられていた時代には、犯人は、天狗だったり、狐だったり、あるいは鬼や鬼婆であったりしたという。しかし、さまざまなケースを丁寧に検証しながら、そのヴェールを剥いでしまえば、じつは夢や幻想の類いだったり、迷子だったり、家出だったり、自殺だったり、誘拐だったり、口減らしだったり、はては人身売買であったりと、さまざまな事実が深層にあったということだ。ちなみに、彼によれば、あの浦島太郎も、神隠し譚としても読めるということになる。

「神隠し」は、自分たちの世界の向こう側に「異界」が存在すると信じられていた時代のものだ。現代は、神隠しのヴェールをはぎ取って、その事実だけを白日のもとにさらけ出すけれど、「神隠し」とは、どうやら過酷な現実に「神隠し」というヴェールをかけることで、「隠された」者が戻ってこられるようにしていたものとも考えられるという。ひょっとしたら、過酷な現実を生きるための、それは社会の知恵だったのかも知れない。

by naomemo | 2009-05-28 07:00

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政策金利の引き下げ、景気底割れを防ぐための膨大な財政出動、金融機関救済のための大量の資金供給。これで現在のところ経済も金融も小康状態を保っていると説明されることが多い。たしかにそうかも知れない。とにかくまず止血しなくてはならないだろうし、極度の貧血状態にある身体に大量の血を送り込まないといけないという状態なのだろうとは思う。

しかし、それにしても、ひと昔前までは「世界的な金余り状態」といわれ、それが結局は巨大なバブルを産み、それが弾けて現在があるというのに、ふたたび大量のマネーという血液が注入されている。それでほんとに大丈夫なのだろうか。副作用は起きないのだろうか。正直、なんだかヘンだなあというのが実感である。

考えてみれば、財政出動にしても、資金供給にしても、元手というものが必要だろう。そして、その元手は、おそらく、それぞれの国が債券を発行して、市場に買って貰うことで捻出するほかないだろう。それも大量に、である。しかし、たとえば米国のことを想像してみると、あの瀕死の状態にある米国が発行する国債を、いったい誰が積極的に買うというのだろうか。ひょっとしたら紙くずになるかも知れない債券を、平気で買う人がいるとしたら、それはどういう人なのだろう。

先日も触れたが、中国の金準備増強が、その間の事情を雄弁に物語っているように思える。米国債をこれ以上は買いたくないという、中国の意思表示に見えるからだ。でも、米国としても何とかして買い手を見つけなければならない。どうなるか。利回りは上がらざるをえないだろう。優良な債券は利回りが低くても買い手はつくが、ジャンク債は利回りが高くなければ買われないのが道理だろう。これが現在の長期金利上昇の背景なのだろうと思う。

ここまで書いてきて、「父親たちの星条旗」という米国映画を思い出した。あの映画では、第二次大戦の戦費を捻出するために大量の国債を発行し、それを国民に買ってもらうための一大キャンペーンが張られていた。硫黄島で戦っている若者たちを、むりやり戦争の英雄を仕立て上げてね。GMの破綻も秒読み段階。これから米国はどうなるのだろうか。かならず日本にも及んでくることなので、ちゃんとウォッチしようと思う。




by naomemo | 2009-05-26 07:00 | シネマパラダイス

菊六落語会、ふたたび。

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先週の金曜日は、待ちに待った古今亭菊六の落語会だった。会場は築地のパレットクラブ。収容人数は60名ほどだが、満席。女性客8割、男性客2割くらいだったか。席亭は原田治さん。そう、あのオサムグッズの生みの親である。

菊六の高座を聞いたのは、今年の2月が初めてで、その時は「湯屋番」と「火炎太鼓」を演じていた。今回は、とぼけた味わいのある「あくび指南」と、人情に迫る「子は鎹(かすがい)」。なかなか面白い組み合わせだった。

「あくび指南」の方は小三治師匠のCDで聞いたことがあるが、いまいち乗り切れなかった記憶がある。そのせいか、あまり面白い噺じゃないのだなあと思っていた。ところが、今回、菊六で聞いて、あれれ、こんな面白い噺だったの?という感じ。笑ったし、楽しかったし、見事だった。呼吸がいいというか、抜群に間がいいというか。じつに気持ちよく江戸の街角にある「あくび指南所」に連れて行ってくれた。若いのに風格さえ漂い始めている。恐るべし、古今亭菊六。

次回は7月10日に開催という。もちろんまた来るつもり。

by naomemo | 2009-05-24 23:41 | 音楽から落語まで


インサイトのホンダとプリウスのトヨタ。この2社の競争は面白いので注目している。お互い切磋琢磨してくれることが、景気の刺激にもなっていいなあ、と、岡目八目で応援している。ところが、そんな矢先、新インフルエンザの対応で、政府、地方自治体がこぞって、修学旅行を中止させたり、学校を休校にしたり。それをまたマスコミが追うものだから、音楽イベントなども中止になったりしている。なんだかおかしい。

これって、一方で景気刺激策を打っておきながら、つまりアクセルをふかしておきながら、他方でブレーキを同時に踏んでいるようなものじゃないか。これではスリップするだけで、前には進まない。せっかくの刺激策が無駄になってしまうんじゃないだろうか。どうしてこんなことになるのかな。右向け右で、全員が右向く世の中ってのも、ちょっとこわいしね。

そのうちに「本日は紫外線が強いので休校にします」なんてことになるかも知れない。それはそれで学校嫌いの子供たちには嬉しいことかも知れないが。あるいは「今週は二酸化炭素濃度が高いので、都内全域で自動車の運転を全面禁止にします」なんてことになるかも知れない。今回の政府等の措置は、こんな空想が荒唐無稽と言えないくらいの対応ではないかな。いや、それ以上におかしなことだと思う。

最後にひとつ。「冷静な対応をお願いします」って、どこかの国の首相が言ってるが、冷静になる必要があるのは、あなたたち政府自身じゃないのだろうか。ほんと、ちぐはぐだね。

by naomemo | 2009-05-22 07:00

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長年連れ添った妻に先立たれると、往々にして残された男の方は気弱になるようだ。果てはまるで妻を追いかけるように亡くなるケースもある。ところが、女の方は夫に先立たれても、面倒を見る相手がいなくなるためかどうか知らないが、かえって元気になる人が多いようだ。たとえ経済的な依存関係がどうであろうと、精神的には夫の方が妻に依存しているということなんだろうな。生きる力は、どうも女の方が強いようである。

映画「グラントリノ」に登場する主人公ウォルト・コワルスキーの場合はどうなんだろう。ウォルトも、長年連れ添った妻ドロシーを亡くした。彼は、一本筋が通った男なのだが、有り体にいえば偏屈で頑固で口の悪い爺さんである。一人残されることになって、さらに心が閉ざされたように見える。二人の息子たち家族ともソリが合わない。ご近所との付き合いもほとんどない。見るもの聞くもの気に入らないことばかり。自宅前庭の小さな芝生に他人が入り込むことを毛嫌いする姿などは、なんとなく自閉症を思わせる。そんな親父に、息子たちもほとほと手を焼いている。

彼は、何世代か前にポーランドから米国に移住してきた祖先を持ち、かつて朝鮮戦争に従軍し悪夢のような出来事を体験している。帰国後はフォード・モーターズの工場に勤務し、いまでも72年型フォード・グラントリノの製造に関わったことを誇りとして抱き続けている。ことあるごとに自宅の修繕にいそしみ、毎日のように庭の芝を刈り込み、晴れた日にはときおりグラントリノをガレージから出してはピカピカに磨き上げ、缶ビールを飲みながら日がな一日過ごしている。でも、なぜかグラントリノのハンドルを握ってドライブすることはない。出かけるときは、もう一台のピックアップ・トラックを使う。グラントリノは、宝物のように、大切にガレージにしまい込まれたままなのだ。

ウォルトが住む地域は、デトロイトのベッドタウンのようだが、今ではウォルトの住まいを除いて、どの住まいも手入れされずに荒れ放題、庭の草木も伸び放題である。顔なじみの大半が引っ越ししたり亡くなったりしたあとに、いまでは「新しい移民たち」が住み着いている。かつて光り輝いていたデトロイトの凋落が、そしてまさに今の米国の陰の部分がじつにうまく投影されている。多くを語らない、語りすぎない。説明しなくても伝わるものは伝わる。これはクリント・イーストウッド監督の流儀なのだろう。

そんなウォルトが、ひょんなことから隣に住むモン族の娘スーと弟タオに心を開いていくことになる。ところが、彼らの周辺には同じモン族の不良グループが出没する。どこにもいる類いのワルだが、米国に移民したモン族の第二世代の若者たちで、おそらく米国社会にうまくとけ込めず、さりとてモン族の伝統的な生き方にも馴染めない。それで、安住できる場所をもとめ、仲間を求め、不良グループ化しているのだ。それゆえ自立しようとするモン族の若者を見ると、腹立たしくなってしまう。嫉妬にもいろいろな形があるようだ。そして、ウォルトがスーやタオの盾になればなるほど、不良グループには格好のターゲットになってしまう。やがて悲しい事件が起きる。

それにしても、ウォルトは、なぜ、あそこまでタオを一人前の男に育てることに精力を費やしたのだろうか。戦争中の苦い思い出からの脱出なのだろうか。家族たちへの償いなのだろうか。天国にいる妻ドロシーを追いたかったのだろうか。それとも、自分の魂をタオに預けたかったのだろうか。そんなことを思いながら、映画館の暗闇で、美しい音楽に身を委ね、エンドロールを眺めていたのだった。

ここまで書いて来て思い出した。スーやタオには父親がいない。映画を観ているときには気づかなかったのだが、彼らの母親が、ウォルトに、子供たちの父親役になってくれることを願っていたように思えて来た。ひょっとしたら、ウォルトも、それを感じていたのかも知れない。前作チェンジリングのテーマを「希望」だとすると、このグラントリノのテーマは「償い」ということになるのかも知れない。

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by naomemo | 2009-05-21 07:00 | シネマパラダイス

Hiroshi Yamada Art Gallery

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一昨日、三重県桑名市在住の友人から久しぶりにメールが届いた。上京するのかと思ったら、予想とは違って地元で開く個展のお知らせだった。ウェブ上にHiroshi-Yamada-Art-Galleryというサイトも開設、そのURLのお知らせもあった。いずれにしても都合がついたら出かけてみようかと思っている。

ついでのように「まだ禁煙は続いていますか」と書いてあった。ブログにときどき目を通してくれていたのか、いつのまにか「禁煙」の文字が消えたので、喫煙が復活したんじゃないかと思っているのかも知れない。

禁煙を始めた最初の3ヶ月ほどは、たしかに毎日カレンダーにチェックを入れて、何日経過、何日経過と、指折り数えていたものだ。このブログも最初の頃は、「禁煙●●日目…」というタイトルが並んでいる。

でも、日数を数えているうちは、時間の流れは亀の歩み。数えるから、時間の流れがよけいに緩やかに感じられるのかも知れない。それでも一日一日と禁煙の達成感が積み重なっていくことは、心の支えではあったのだ。

それが、いつのまにか数えなくなった。いつのまにか半年が経過していた。いまでもアルコールが入った時などに、ちょっと1本、という気持ちにならない訳ではないが、ちょっと我慢するだけで気持ちは鎮まってくれるので、もう大丈夫。ご安心ください。

禁煙を続けるコツは、ただひとつ。その1本を、けっして、口に運ばないこと。それだけ。当たり前のことなのだが、それしかないのだと思う。それにしても勝手なものだ。なぜあんなに身体に悪いものを、いつまでも吸い続けてきたんだろうって思っているんだから。

by naomemo | 2009-05-10 18:34

野町和嘉の「聖地巡礼」

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先月初め、J-WAVEを聴いていたら、写真家の野町和嘉さんがゲストで登場していた。相手役のホストは、たしかレイチェル・チャンだったかな。その会話を聞いていて、なんだか無性に彼の写真が見たくなり、恵比寿の東京都写真美術館に足を運んだ。

もうひと月以上も前のことになるのだが、印象が強烈で、以来、美術館で買い求めた「聖地巡礼」をときおり眺めたりしながら、これまであれこれ余韻を楽しんでいたのだった。でも、結局のところ、うまく言葉にできない。

感じているのは人生は苦難に満ちているということ。ゆえに世界は救いを求める祈りに充ちているということ。そして、神は死んではいなかったということだ。いま世界中が金融経済危機で縮こまっているようだが、この「聖地巡礼」を見ていると、経済危機なんて、とんでもなく阿呆らしいことに思えてくる。

そしてもうひとつ。日本では神あるいは世間知を超えるものが死に絶えてしまっているように思えてくる。無神論の歴史など100年にも満たないし、人間の知性などたかが知れているというのに…。

by naomemo | 2009-05-04 21:26 | 音楽から落語まで