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スラムドッグ$ミリオネアの余韻でというわけでもないのだが、インドつながりで「その名にちなんで」をまた観たくなった。

この映画は、インド西ベンガル州の州都カルカッタ出身の夫婦30年にわたる歴史と、ニューヨークで生まれ育っていく息子の名前をめぐる物語とが、美しい絨毯のように織り込まれた作品だ。原作は未読なので分からないが、物語の軸はタイトルが示す通り、「息子の名前」の方にあるのだろう。でも観終わった印象では、インド移民の夫婦というか家族の物語という色彩が強い。

夫(父)の名はアシュケ。カルカッタに生まれ、ニューヨークに留学し、その地で職につく。教鞭を執っている姿は出て来ないが、どうやら工学系の教授になって成功したようだ。どちらかといえば不器用な男のように見えるが、強い責任感と温かい愛情の持ち主で、勤勉な愛妻家というイメージ。

妻(母)の名はアシマ。カルカッタに生まれ、カルカッタで育つ。伝統音楽の歌手になることを夢みていたようだが、親のすすめる見合いで若くしてアシュケに嫁ぎ、ニューヨークへ。そこで一男一女をもうける。のちのちは東海岸のベンガル人社会が心の支えになっていくのだが、移住当初はずいぶん心細い思いをしたに違いない。

アシマは、夫婦二人の間柄をゆっくり深めようと努めてきただろう。アシュケの愛情に応えることで、心細さを埋めてきたものに違いない。その努力はおおむね実ったといえるだろう。しかし息子と娘については少し事情が異なる。ベンガル人としてベンガル流に育てても、彼らはニューヨークで生まれニューヨークで育っているのだから、世代間のギャップ以上のものを心のどこかに抱えていたとしても不思議ではない。だから物語の最後で、故郷のカルカッタに帰りたいと言い出し、歌をもう一度始めたいと言い出したとしても、驚くにはあたらない。なにしろ彼女はまだ40代半ばだったのだ。

さてさて、肝心の長男の名前だが、ゴーゴリ(映画では「ゴゴール」と聞こえるのだけどね…)。ニューヨークの病院で誕生したのだが、母(アシマ)の実家から来る手筈の名前が遅れたせいで、アシュケとアシマが自分達で名前をつけることになった。ロシアの文豪ニコライ・ゴーゴリにちなんだものだが、それにはアシュケが敬愛する作家の名前という以上の意味がある。そのいわれは物語が進展するにしたがって、ゆっくり姿を現す。さらに、「名づけ」には、「祝福」と同時に「魔除け」の意味があるらしいことも見えて来る。これはベンガル人に限ったことでもないかも知れないな。そういえば、アシマが夫の名前を呼ぶシーンはなかったよなあ。ゴーゴリの彼女に、アシマ、アシュケと名前を呼ばれた時のアシマの表情にも、なにやら複雑な感情が浮かんでいたな。

ところでゴーゴリは、成人になって「その名」を捨て、母方の祖父母から貰ったニキール(本来はその名になるはずだった)を名乗るようになる。しかし、その名は変えても、祝福と魔除けの祈りが込められた「その名」ゴーゴリが、彼の心から消え去ることはないだろう。

アシュケ役はイルファン・カーン。この人、ほんと渋い味を醸し出す。アシマ役はタブー。素敵な女優だ。ゴーゴリー役はカル・ペン。監督ミーラー・ナイール、脚本スーニー・ターラーブルワーラー、音楽ニティン・ソーニー。そして原作は、ジュンパ・ラヒリ。



by naomemo | 2009-04-27 07:05 | シネマパラダイス

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動く水は腐らない、という。腐らないのか、腐りにくいのか定かではないが、たしかにそうかも知れないと思う。そういえば、人間の細胞も、つねに新陳代謝を繰り返しているからこそ、生きていられるのだという。外見からはほとんど分からないが、刻一刻、一刻と変化しているのだという。これを逆さまから見ると、水は淀むと腐り、人間は動くことを止めると急速に衰えていく、ということになる。

長谷川櫂著「『奥の細道』をよむ」を読む。芭蕉45歳(1644年生—1694年没)、弥生3月の終わりから始まる、この東北、北陸への旅は、彼にとって大きな転機になったものだという。そして晩年に生み出された傑作群は、この旅を通して得た人生観「不易流行」「軽み」をベースに生まれたものだという。あまりにも有名だが、書き出しの部分を引き写してみよう。

「月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人也。船の上に生涯を浮かべ、馬の口をとらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風にさそわれて、漂泊の思いやまず、海浜にさすらえて、去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やや年も暮、春立てる霞の空に、白川の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるわせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もも引の破をつづり、笠の緒付かえて、……」

いつの頃からか、切ないほどじりじりと、旅に出たくて出たくて堪らなくなったという気分が、ずんずん伝わってくる。気が狂わんばかりというから、相当なものだ。切れのあるリズムも、その気分をいっそう盛り上げている。ある一定の年齢になると、漂泊の思いが止まなくなるものなんだねえ。当時の45才は、晩年の入口という感覚だったのかも知れないね。

『奥の細道』は、著者の解釈によれば四部構成になっているという。歌仙の連句の形式を踏んでいるのではないかというのだ。たしかに、その四部ごとに俳句のスタイルというか印象が大きく異なることは、私のような素人にも感じられる。さらに、この本は、『奥の細道』という紀行のこと、芭蕉のこと、そして俳句そのものことが、じつによく分かる仕組みにもなっていて、初心者向けの俳句入門書にもなっている。そして、いつのまにやら芭蕉先生のお伴をして旅している気分になってくるから不思議なんだなあ。発句でのお気に入りは。

雲の峰 幾つ崩て 月の山

暑き日を 海に入れたり 最上川

でっかいなあ。なんとも言えないでっかさがいいなあ。ちなみに、上の句は月山の頂上で詠んだもの。下の句は酒田にて日が沈む場面を観て詠んだもの。

「暑き日」を読んだとき、なにかが呼応して、記憶の底から、すっかり忘れていた言葉が浮かんで来た。「また見つかった。なにが。永遠が。海と溶け合う太陽が。」19世紀末の若きフランス詩人の言葉だった。

by naomemo | 2009-04-23 07:00


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主人公ジャマールが、クイズ・ミリオネアに出場、最後の一問まで来たところから物語は始まる。最後の問題は、時間切れで翌日に持ち越し。ところが、その奇跡を面白く思わない人物の密告で、ジャマールは警察に連行され、厳しい尋問を受けることになる。スラム出身の野良犬に、難解なクイズを勝ち抜けるだけの知識があろうはずはない、どこかにインチキがあるに違いないという嫌疑が係っているのだ。

警部ととももに、録画された番組を再生しながら、一問、一問、正解が得られた理由やら背景やらがジャマールの口から語られていく。つまり観客は、一回、一回、過去へ回帰していく時間旅行に立会うようなものだ。語られる過去には、飢えあり、貧困あり、誘拐あり、売春あり、麻薬あり、暴力あり、宗教問題あり。それでもじつに逞しく成長していく子供たちの姿。そのなかでスポットが当たるのは、もちろん主人公のジャマール、そして兄のサリーム、ジャマールが一途に恋心を抱き続けるラティカ。長じたラティカ、じつに魅力的だなあ。

それにしても、映像に映るインドのムンバイは、とてつもないエネルギーの坩堝だ。画面から熱風が吹出している。その坩堝のなかで、ジャマールたちは、つねに何らかの選択を迫られている。そして、そのつど何かを選択してきた挙げ句に、現在はある。それはまるで、クイズ・ミリオネアと同じ構造のように見えてくる。しかし、まあ、こんな感想はどうでもいいか。この映画には、旺盛な生命力とスピード感が横溢している。冒険アドベンチャーと、一途な恋物語と、奇跡的なドリームが混然一体となった作品なのだ。ダニー・ボイルたちは、いつどこで、これほど見事な大衆性を獲得したのだろうか。どきどき、わくわく、あっという間の2時間だった。

以下はメモ。原作はヴィカス・スワラップ。この人、現役の外交官だとか。朝日新聞グローブ「著者の窓辺」に登場している。脚本はサイモン・ボーフォイ、監督はダニーボイル、音楽はA.R.ラーマン。(出演)ジャマール役:デブ・パテル、兄サリーム役:マドゥル・ミッタル、恋人ラティカ役:フリーダ・ピント、警部:イルファン・カーン。ところで、警部役のイルファン・カーンって、「その名にちなんで(The namesake)」にも父親役で出ていたが、じつに味わいのある俳優だな。これからが楽しみの注目株。



by naomemo | 2009-04-20 07:00 | シネマパラダイス

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渋谷文化村ルシネマが毎週火曜日サービスデーになってることを知って、さっそく昨晩、仕事を放り出して行ってきた。目当ては、同時上映の「ダウト」ではなく、「ホルテンさんのはじめての冒険」の方である。なんとなく気になっていたのだ。

ベテラン運転士ホルテンさん、アパートで一人暮らし。お弁当と飲み物を用意し、小鳥のかごに覆いをかけて仕事場に向かうシーンから始まる。電車に乗り込んで、やおらパイプに火を付けて出発。しばらくして暗いトンネルを抜けると、そこは一面の雪景色。まるでホルテンさんが運転するベンガル急行に乗り込んでいたかのように、トンネルから抜けた後に飛び込んできた雪景色がじつに眩い。

なんだか川端康成の小説の出だしのようだなあと思う。そしてトンネルに入ったり抜けたりの繰り返しが、なにやら不思議な世界の始まりを暗示するシーンのように印象的。しっかりと脳裏に刻み込まれた。

ホルテンさんは、晴れがましい席を好むタイプではなく、淡々と40年間、電車の運転士として実直に働いてきた人だ。ところが、67才の誕生日で定年を迎える前夜から、奇妙な出来事に次々と遭遇する。送別会の二次会が開かれているアパートに入れなかったり、いつも愛用しているパイプを紛失したり、靴を失って赤いハイヒールを履く羽目になったり…。そしてある老人との出会いをきっかけに、自分を縛っていたものと初めて本気で向き合うことになる。新しい人生を歩むには、やはり何か大きなきっかけが必要ということなんだろうな。やがて、ホルテンさんが独身を通してきた理由も見えてくる。

それにしても、この「ホルテンさん」という映画は不思議な感覚に充ち満ちている。現実と非現実のトワイライトゾーンのような世界とでもいえば良いだろうか。北欧世界の時間と、極東の日本世界の時間とでは、こんなにも違うものなんだねえ。監督、脚本のベント・ハーメルという人、少し気に入りました。そして北欧の映画を、これからも観て行こうと思う。



by naomemo | 2009-04-08 07:00 | シネマパラダイス