古今亭菊六を聞く

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古今亭志ん朝が好きである。なにはさておき声がいい。ツヤがあり、ハリがあり、高座でも舞台でもよく通る声だったに違いない。

ポンポンポンポンポーンと刻まれるリズムがまたいい。音楽では当たり前のことだが、リズムってのは落語にとっても重要で、噺を前へ前へと運んでいく推進力の役割を担っているのだ。

そして登場人物の演じ分け。おそらく長年の芝居経験を通じて会得したのだろうが、色っぽい女をやらせても気風のいい職人をやらせても、じつにうまい。もうほとんど独り芝居の域に達していた。稀有の落語家だったと思う。 

そんな志ん朝の再来!と目される二つ目がいるという噂を耳にした。ホントかい?と半信半疑ながらも、心穏やかではいられない。名前を聞くと、菊六だという。師匠は誰かと調べてみたら、円菊とある。「背中の志ん生」の作者ではないか。本を読んだことはあるが、高座を聞いたことはない。CDでもない。志ん生最後の弟子、大器晩成の苦労人という程度の知識しかなかったが、その弟子の菊六が、志ん朝の再来と聞けば、これはもう自分の目と耳で確かめるほかあるまい。

というわけで、先週土曜日の昼下がり築地まで出かけた。前座が寿限無をやって、その後に登場。29才とは思えぬ落ち着いた風情。なかなか色男である。麻生太郎の不甲斐なさやら(大学の先輩に当たるそうな)、三平襲名の場所のことやら、ちと辛辣とも取れるマクラの後、やおら始まったのが「湯屋番」。噺を自分のものにしていて、人物をよく演じ分けていて、愉快であった。もちろん声もいい。

10分の休憩を挟んで、次の出し物は「火焔太鼓」。湯番屋はさておき、火焔太鼓といえば、志ん生の十八番ではなかったか。どうなることか、期待半分、心配半分。本人も相当気合いが入っていたようで、汗びっしょりになって演じていた。好感が持てた。これから機会を見つけて出かけようと思った。

ただ、ひとつだけ気になった。志ん朝は決して見せなかった「毒」のようなものが、かすかに匂ったことだ。そのあたりがどうなっていくのかも見守っていきたい。

by naomemo | 2009-02-16 08:31 | 音楽から落語まで