カテゴリ:音楽から落語まで( 42 )

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カズオ・イシグロ原作の「私を離さないで(Never Let Me Go)」が、映画化されているという。ちょっとググってみたが、どうも情報が錯綜していて、いまどのような段階にあるのか掴み難い。けれど、キーラ・ナイトレイ主演で撮影が進んでいることは確かだ。監督はマーク・ロマネスク。初めて目にする名前だ。私としては、「つぐない」のジョー・ライトでやって欲しかったけど、ま、こればかりは仕方ない。

ときどきお昼をいただいている遊山亭のご主人の話によると、主題曲になるであろう"Never Let Me Go"を誰が歌うのか、ファンの間で話題になっているんだとか。彼の見立てでは、Stacey Kentが最右翼だという。そんな話を聞きながら、先日、食事中に、彼女のNever Let Me Goを聴かせてもらった。初めて聴いたのだけど、とても不思議な声の持ち主だ。

というわけで、アマゾンで同名曲が入ったアルバム"Breakfast on the morning tram"をポチ。昨日届いたので、いま、これを書きながら聴いている。当然、通勤電車の中で「私を離さないで」を読んでいる。ゆっくり、ゆっくり、主人公キャシーの寄宿学校時代の思い出を、横に座って静かに聞いているような感じ。物語は、すこーし微熱を帯び始めたかな。読み終えたら何か書くかも。

by naomemo | 2010-06-03 08:29 | 音楽から落語まで

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昨日の日経朝刊、ゴールドマンサックスに関する記事を読んでて思った。その昔、自由な新世界を求めてメイフラワー号に乗ってやってきたピルグリム・ファーザーズが建国したアメリカの成れの果てだな、と。「自由」の行き着く先は、そこしかなかったのだろうか。米国がふたたび輝きを取り戻すことはできるんだろうか。あれだけ深く強欲ウィルスに汚染されてしまうと、立ち直るのに一世代=30年は掛かるんじゃないだろうか。

もう一本のギリシャ関連の記事。S&Pにしろ、ムーディーズにしろ、米国の格付け会社って何やってんだろうね。いくらギリシャの財政が悪化してるからって、いきなり3段階も格下げしてジャンク扱いにするなんて、信用不安を助長しているとしか思えないね。どういう意図があるのだろうか。ドルを守るためでしょうか?

なんだかなあと思いながら、ゆっくりご飯食べて、いざスロージョグへ。ちょっと多めに走ってみようと思い、どんどん走っているうちに、見慣れた街並みのような、見知らぬ街並みのような場所へ。あれー、などと思いつつ時計を見ると、すでに50分ちかく走ってる。

あーん、迷子になっちゃったん。ここはどこ?あたいはだれ?グスン。おおよその検討を付けながら折り返すも、ほんと迷路に入り込んだような感じに。おかげで、けっきょく90分のジョグ+30分のウォークとなりました。トータル2時間。最後は完全に足が止まって、歩いてました。僕の足はまだ未熟でスロージョグでも90分しか走れない。シャワーを浴びたあとも、足全体だるいし、左の土踏まずがめちゃ痛かった。もう大丈夫だけど。

ちなみに、今回、iPhoneのアプリRunKeeperを初めて使って走ってみた。これは驚き。距離やらペースだけでなく、どこを走ったか地図上で記録されて一目で分かるし、アップダウンも分かるし、消費カロリーも計算される。しかも、このアプリがなんと無料なんだよね。地図などの情報は見せられませんが、トータルの結果だけは下記で見られます。
My RunKeeper Activity

さて、今週の一枚は、その時に走りながら聴いていたアルバム。JSバッハの平均律。演奏はバレンボイム。とてもゆったりした雄大かつロマンチックな演奏。平均律にこんな世界があったなんて。スロージョグのリズムにぴったりだったよ。

by naomemo | 2010-04-30 08:49 | 音楽から落語まで

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今日は夕方から築地のパレットクラブへ。楽しみにしていた古今亭菊六の高座へ足を運んだのだった。ここでの菊六落語会は、年に四回の開催。すでに十一回目を数えるが、わたしは昨年一月の第七回から参加している。

今回は、「長屋の花見」と「井戸の茶碗」の二席。花見ではたっぷり笑わせくれたし、茶碗ではしっとりした気分にさせてくれた。この組み合わせ、なかなか良かったね。どちらも堪能させてもらった。

彼の落語は、その間の良さもさることながら、口調と表情と仕草で人物をしっかり描き分ける独自の芸風。とくにその表情づくりについては、類を見ない。誰も太刀打ちできないんじゃないかな。

そしてもうひとつ。小気味のいいテンポでポンポンポーンと噺を運びながら、視線をサッと移すだけで場面をパッと転換してみせる技は、まるで名人の手品を見せられているようだ。志ん朝のレベルに一歩一歩近づきつつあるね。

一緒に楽しんだ友人は、先代の桂文楽の落語をこよなく愛しているのだが、「文楽の再来だね」なんて言っていた。菊六さん、素晴らしい落語を、ごちそうさまでした。

さて、明日は久しぶりのゴルフ。ちと寒そうなのが気になるけど、遠足を前にした子供の気分なのだ。そろそろ寝なくちゃ。では、おやすみなさい。

画像出典:
http://www.rakugo-kyokai.or.jp/Performers/Details/e5b0b222-71f5-4cb4-954f-35a8570470f6

by naomemo | 2010-03-06 23:22 | 音楽から落語まで


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昨今の欧州では、スレンダーより太めがいいんだとか。へー、そーなのかーと思ったけど、深く考えることもなく、そのまま忘れるに任せていた。去年のことだ。

でも、昨日、「タバコをやめて4ヶ月。すごく体調がいいんだけど、4キロも太ってしまって、困ってる」という知り合いからのメールを読んでたら、この欧州の話が、ふっと蘇ってきた。

どうやら欧州では摂食障害撲滅キャンペーンってのが動いているらしい。これまでスレンダーを推奨してきた流れを変えることで、摂食障害の一因とみられる「痩せなくちゃ」というストレスを取り除いていこう、ということなんだろう。

スレンダーになりたいという願望から喫煙に走ってきた女性も多かったのかも知れない。そういう意味では喫煙習慣を断ち切ることで少しばかり太っても、気持ち的にはラクかもね。そう、その自然な姿がいいんだよ、って言ってあげることは大切なことだし。痩せてる人がいたり、太ってる人がいたりするからいいんで、みんな痩せてたり太ってたりしたら、気持ち悪いし。

ただ気になるのは、この摂食障害撲滅キャンペーンと喫煙撲滅キャンペーンが相互にリンクしている感じもある。すでに喫煙撲滅キャンペーンのあおりを喰って、ロンドンであちこちのパブが潰れてるとか、ウィーンで店仕舞いを余儀なくされる老舗のカフェがあるとも聞く。そうなると、これはもう魔女狩りに近い。喫煙か、禁煙か、それはお店単位で決めさせればいいよね。けっきょくのところ、どの店に入るかなんてことは、客が決めるわけだから。

自由化も行き過ぎると深刻な問題を起こすけれど、規制強化も行き過ぎると社会から生気が失われる。ギスギスして困るよね。でも、世界は規制緩和から規制強化へ動き始めたばかりだから、振り子がほどよい所に戻ってくるまで相当の時間がかかりそう。世の中、ほどほどってところには、なかなか収まらないね。

なんだか今日も長マクラになってしまったけど、今週の一枚。「スレンダーより太めがいい」というトレンドがあることを最初に知ったのは、ここに紹介するアデルを知った頃だったのだ。最初に彼女をブラウン管を通して見た時、たしかに太めだねえ、でも、可愛いじゃん、って思ったのだった。

彼女は、この19歳のデビュー盤で、一気にスターダムへ。とってもいい雰囲気を持ってる。好みのナチュラルなハスキー・ヴォイスでもあるし、なかなか心地よいアルバムです。

by naomemo | 2010-02-26 08:38 | 音楽から落語まで

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食わず嫌いがあってもいいんじゃないか。これまでそう思ってたんだけど、ちょいと気分が変わってきた。先日、談志の「芝浜」をはじめて聴いた。といって、彼のダミ声が好きになったからでも、あの傍若無人な振る舞いが好ましく思えて来たからでもない。晩年の志ん朝をして、「二人会をやるとしたら談志兄さんかな」などと言わしめていた男の噺を一度も聴かないってのも、志ん朝ファンとしてどうなのかなと思うようになったからである。

談志の「芝浜」には、録音がふたつある(いや、もっとあるかも知れないけれど)。今回、若い頃の録音と、年齢を重ねてからの録音、その両方を聴いてみた。正直、驚いた。両者の間には、おそらく20年から30年の隔たりはあろうかと思われるけれど、それにしても年齢を経て、これほどまで変わるものなのかと。飽くことなくリアリティを追い求めてきた成果なんだろうな。

噺家によって細部は異なるけれど、ストーリーの冒頭はおおむねこんなところか。もともと腕のいい魚屋の亭主が、寒い冬の訪れとともに、いつのまにか酒びたりになって仕事をさぼるようになる。時節は、旧暦の年の瀬。いまでいえば2月初旬から中旬ゆえ、一年でいちばん寒い時期だ。魚河岸へ仕入れに出かける時間帯は、日の出前の4時頃かな、5時頃かな。どちらにしても、まことに寒かったろう。そこで、ついつい魚河岸の食堂で酒の力を借りる。最初は一杯で済んだところが、次第に2杯、3杯となり、日に日にだらしなくなる。あげくに仕事をさぼるようになるという寸法。

聴いている方は、頭の片隅でそんな急に仕事をさぼるようになるものかなと訝しい気分もあるんだけれど、ここのところを無類の酒好きだった志ん朝は、自分のことを引き合いに出しながら、あくまでもお酒のせいにして、深入りし過ぎることなく、さりげなく運んで行く。人生、魔がさすことってあるんだよ、という程度にね。こちらも、うん、分かったと。

ところが、談志は、そこのところを曖昧にしない。ずっと気になっていたようで、伝え聞くところによれば、ある年の真冬の高座では、扉をすべて開け放って演じたことがあるらしい。演じる方も寒い。もちろん聴く方も寒いよ。酒に行くのもムリないやね、と。やることが徹底している。そして今回聴いた後年の録音では、魚屋の亭主をもともと酒びたりの乱暴者として描いている。つまり、けして「魔がさす」みたいな解釈には至らない。とにかく、とことんリアリティを追求しているのだ。すべてに因果があるという立ち位置とでも言おうか。彼自身の中にある「どーしよーもない」部分を大きく引き延ばして投影しているような感じにも思えてくる。その迫力が凄い。そこのところが、談志ファンには堪らないんだろうねえ、きっと。

でも、談志を聴いたおかげで、なんだか、あらためて志ん朝が好きになってしまったんだよね。談志が考えているように、古典落語をいまの時代に演じて生命を吹き込むためには、たしかにリアリティの出し方に工夫がいるのだろう。けれど、こちらは、なにも、リアリティだけを求めて落語を聴いてるわけじゃないんだもん。ありそうでなさそう、なさそでありそうな、虚々実々を味わうところ、奥行きの深さみたいなものも、落語を聴く楽しみでもあるんだから。ま、でも、談志の解釈はたしかに一聴に値するし、志ん朝と聴き比べると面白いことは間違いない。

なお、「芝浜」の噺は、その後こんな感じに展開していく。

酒に溺れて日に日にだらしなくなっていく亭主に堪え難くなった妻が、ある年の瀬の早朝、揺り起こして芝の魚河岸へなんとか送り出す。ところが一刻も早く起き出したせいで、まだ魚河岸は開いていない。仕方なく浜へ出かけて煙管を吹かしているうち、ようやく夜が白み始める。酔い覚ましに海水で顔を洗っている時に、大量のお金が入った皮の財布(革袋)を拾うことになる。

大金を手に顛末を話す亭主と、それに調子を合わせる妻。しかし何を思ったのか、妻は、亭主をなだめてお酒を飲ませて床につかせてしまうのだ。やがて目を覚ました亭主、意気揚々と風呂屋へ行き、帰りに横町の連中を引き連れて帰り大盤振る舞い。

翌朝、妻は、やはり亭主を揺り起こす。目覚めた亭主、大金があるから働かないと言い出す始末。当然だろう。でもテキもさるもの、大金ってなんのこと?財布ってなんのこと?と突っぱねる。財布は悪い夢、大盤振る舞いは現実だ、と。さすがに困り果てた亭主、改心し、酒をきっぱりと断ち、腕のいい働き者の魚屋に戻る。いつしか具合の悪い借金はすべて返済し、蓄えまで出来た3年後の大晦日。畳替えをして、夫が風呂から戻るのを待って、妻は意を決して当時の顛末を話し始める…。ほろりとさせてくれる、江戸の人情噺です。

by naomemo | 2010-02-24 08:19 | 音楽から落語まで

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今年の旧正月は2月14日とか。新月のこの日を境に月が満ちて行くわけだ。けれど、旧暦では立春の日を元日とみなすから、その前日にあたる今日2月3日は大晦日ということになる。いまでもこの日に神棚のお札を交換するところがあるという。ま、こちらが本来なのかも知れないけどね。

旧暦の大晦日は節分にあたり、昔から「豆まき」なんてことをする。一年のお終いに、まるで煤払いのようにオニはそと、フクはうち、などといいながら、歳の数だけ豆を食べる。我が家にも数日前から豆が用意されている。でも最近では「太まき」がブームのようで。節分の日に「福を巻き込んだ」太まきを、その年に決められた縁起のいい方角(恵方)を向いて、無言で一本丸かじりすると、福があるんだとか。関西っぽい風習だよね。ちなみに今年の恵方は西南西だという。

今晩は、豆まきを楽しむか、太まきを丸かじりするか。

ついでに、この季節にふさわしい落語をひとつ。「芝浜」という歌舞伎にもなっている定番のネタがある。この噺、年の瀬の出来事と、それから3年が経過した大晦日の出来事が対比されて描かれていることから、年末に高座にかかることが多い。でもね、そもそもこの噺の舞台は江戸時代、大晦日とはいっても旧暦のこと。つまり、一年でいちばん寒い今頃の時節の噺なんだよね。こんなことを頭に入れて聴くのと聴かないのとでは、ちょっと印象が違うかもね。

by naomemo | 2010-02-03 08:20 | 音楽から落語まで

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昨晩放映の「坂の上の雲」(第二回)に、正岡子規、夏目漱石、秋山真之ら同級生が「娘義太夫」目当てに、寄席へ繰り出すシーンがありました。そこで高座に上がっていた前座の噺家は、真之らに「下手くそ」だの「引っ込め」だのと野次をとばされ、さんざんな目に遭っていましたね。その前座役ですが、昨年から贔屓にしている古今亭菊六が演じておりました。高座でオタオタする演技も、なかなか良かったなあ。

古今亭菊六は、この10月に「NHK新人演芸大賞」の落語部門で大賞を受賞している縁もあって、今回の前座役で登場となったのでしょう。ついでに、今日は、菊六のことを少し紹介しておきましょうか。

1979年(昭和54年)2月東京生まれ、現在30歳ですね。平成13年に学習院大学を卒業、14年に古今亭円菊に入門。15年正月二之席に前座となっています。前座名は「菊六」。18年5月下席より二ツ目昇進。そして今年10月に、NHK新人演芸大賞受賞で、二ツ目の頂点に立ちました。何度か高座に足を運んでますが、堂々とした話っぷりで、とてもとても30歳とは思えませんよ。

ところで、師匠の古今亭円菊はあまり一般には知られていないようですが、古今亭志ん生の「最後の弟子」です。二ツ目名を「今松」といい、病で倒れて身体の自由が利かなくなった志ん生を背中におぶって寄席に通ったことで知られています。志ん生は、「いままつ、いままつ」と言って可愛がったようです。「背中の志ん生」という著作もあります。苦労人で遅咲きの落語家ですが、いまでは古今亭の総領的な存在といってよいでしょう。

その円菊の末弟子が、菊六なのですね。つまり、菊六は、あの志ん生の孫弟子ってことです。噺もうまいし、集中力も素晴らしいし、声もいいし、様子もいい。そのうちにチケット入手もままならなくなるだろうから、今のうちにセッセと高座に足を運ぼうと思っています。

さて、上の写真は、今朝iPoneで撮影した千駄ヶ谷駅前のイチョウ並木。いつのまにやら冬支度が始まっていました。

by naomemo | 2009-12-07 09:15 | 音楽から落語まで

金と千両みかん

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古典落語に「千両みかん」という演目があります。暑い夏、大店の若旦那が急に患い、明日をも知れぬ重病になるのだけれど、医者の見立てによれば、気の病だという。なにを思い煩っているのかと父親の旦那がいくら尋ねても、ラチがあかない…。

そこで、気心の知れた番頭さんが呼ばれ、若旦那から患いの種を聞き出すことに。ここまでは、ほとんど「崇徳院」と同じような展開なんだけど、ここから先がちと異なる。恋慕う相手というのは、どこそこのお嬢さんじゃなくて、先の暮れに紀州で巡りあった、ハリがあって、ツヤツヤしてて、瑞々しくて、香りのいい「みかん」だというのだ。番頭さん、思わず吹き出しながら、後先を考えず、手に入れてきましょうと安請け合いをしてしまう。

いまでこそ品種改良やら特殊な栽培方法で作られたみかんはあるのだろうけれど、この演目は江戸中期に出来上がったもの。しかも時節は夏の土用と来ている。みかんなど、容易に手に入るものでもない。けれど、そこは落語のお噺、あちこち脚を棒にして探しまわってみると、ある問屋の蔵の奥に、1個だけ腐らずに残っている。値段を聞けば、千両だという。まさか。でも、大店の旦那は、息子の命が助かるなら、千両など安いものよ、と。

みかんを、ひとふさずつ、おいしそうに食べる若旦那を眺めながら、番頭さんは考え込んでしまう。将来「のれんわけ」される時にいただける支度金は、はて、さて、三十両だろうか、五十両だろうか。ところがいま目の前にある「みかん」は、ひとふさが百両。番頭さん、何を勘違いしたか、欲に目がくらんだか、「父さんと母さんに」と若旦那が残したふたふさを、ガバと掴んで逃げ出してしまう。

ほんと、バカバカしいお噺なんだけれど、でも笑ってばかりもいられません。これ、いま、実際に世界の金市場で起きつつあることに似ているんですね。桁違いのマネーを運用しているファンドや欧米の富裕層は、いわば大店の旦那です。大量に増発されて価値がどんどん薄まっている通貨の現状を前にして、彼らは、全世界の地上在庫がプール3杯半ほどしかない金の現在の価格をどう見ているでしょうか。

だって、みかん一個が千両ですよ。それを安い物だという旦那がいるんです。これはもちろん落語なんだけれど、おなじ人間の考えること、実際にあっても不思議じゃありません。その結果、下手をすると、数年後、金には、信じられないような高値がつく可能性だってないとは言えません。もちろんバブルの果てのことに違いないだろうけど、その時になって冷静じゃいられなくなるのは果たしてこの番頭さんだけと言い切れるだろうか。

画像出典:
http://www.mikanfarm.com/hinnsyu/kuradasi/kuradasi.html

by naomemo | 2009-11-26 08:33 | 音楽から落語まで

古今亭菊六、二席。

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先週末の金曜日の夜、久しぶりに築地まで出かけて、菊六の高座を堪能した。今回の演題は、「そば清」と「明烏」の二席。

「そば清」は、蕎麦の大食い名人の清兵衛さんと、それと知らずに何枚食べられるか賭けを挑む江戸の町人衆とのユーモラスな駆け引きを描いたお噺。清兵衛さん、最後は未体験ゾーンの50枚に挑戦することになるのだが、そのシュールなエンディングもさることながら、限界を越えて蕎麦を口の中に詰め込んでいく顔の表情も、じつに素晴らしかった。感動しました。

「明烏」は、大店の主人に頼まれて、町の遊び人連中が、超堅物の若旦那を遊郭吉原へ女郎買いに連れ出していくお噺。堅物をだましだまし連れて行くシーンも、手がつけられないほど駄々をこねた堅物の翌朝の豹変ぶりも、みごとだった。ほとんど志ん朝で聞いている気分だったな。

菊六は先月、「NHK新人演芸大賞」の落語部門で大賞を受賞したらしいが、さもありなん。聴くたびに、芸の広がりと深さが増している感じ。とくに今回の「そば清」では、新しい領域を開拓しつつあるなと実感しました。

by naomemo | 2009-11-23 09:16 | 音楽から落語まで

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しばらく前に、モーツァルトのレクエイムを紹介したばかりなので、ちょっと気が引けるんだけど、今回の「今週の一枚」はフォーレのレクイエムです。

いやなに、レクエイムが三度の飯より好きとかいうんじゃありませんよ。じつは昨晩、録りためてある映画でも一本と思い、怖ーい、怖ーいゾンビ映画ということで評判だったダニー・ボイル監督の「28日後…」を観ていたら、なんと、お終いの方で流れ始めたのがフォーレのレクイエムだったんですよ。

あとで久しぶりに手持ちのCDを聞き直してみて、やっぱりいいなあと思ったので、忘れないうちに「今週の一枚」の仲間に入れてあげようと。指揮ミッシェル・コルボ、演奏ベルン交響楽団、昔から名盤の誉れ高いアルバムです。

ちなみに、モーツァルトのレクエイムにもヴェルディのレクイエムにも、「怒りの日」ってものがある。なかなかに激しい場面があったりもするんだけど、フォーレのレクイエムに「怒りの日」はない。フォーレは、人生の最後に「怒り」はふさわしくないと考えていたらしいんですね。

そのおかげもあってか、とても静かな曲です。なんていうか、寒い冬の晩に、純白の雪が、しずかに降り積もっていくような、そんな感じの曲です。秋から冬の季節が似合う一枚でしょうか。

それにしても、レイジ(憤怒)・ウィルスが跋扈する映画に、憤怒がないレクイエムを使うなんて、監督が考えたのか、音楽担当が考えたのか知らないけれど、じつに粋な選択だね。拍手です。

by naomemo | 2009-10-30 07:53 | 音楽から落語まで