カテゴリ:音楽から落語まで( 42 )

映画と落語に飢えている


昨年3月の震災以来、長い間、映画館から足が遠のいていた。でも、ようやく映画が観たい!という気分がふつふつと湧いて来た。かれこれ十ヶ月も空けちまったよ。

そして無性に落語が聞きたくなってきた。いつのまにか真打ちに昇進した菊六も聞きたいけど、これまでなぜか縁がなかった林家彦六を集中的に聞いてみたい気分。なんていうのかな、あの、背筋がスッと伸びた、独特の語り口がいいんだよね。そういえば、彦六って、志ん朝の先生だったかな。志ん朝の方から押し掛けたんだと思うけど。

しばらく聞き倒してから感想を書きます。

by naomemo | 2012-01-31 15:22 | 音楽から落語まで

29年ぶりのキース

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昨晩、渋谷bunkamuraオーチャードホールへ。キースジャレットのソロコンサート。彼のソロコンサートに出かけたのは29年前ぶりのこと。当時の彼は37歳、現在は66歳。

開演時刻の7時を回って15分ほどが過ぎた頃だろうか、舞台左袖からふらりと登場し、ピアノの脇まで来て聴衆の方へ向き直って、両腕をダラリと垂らして会釈した。短く刈り込まれた白髪。サングラス。グリーンのシャツ。黒いズボン。その風貌はまるで職人気質の料理人のようだ。椅子を少し後ろへずらして肩甲骨のあたりをぐにゃぐにゃしたかと思った途端、演奏はもう始まっていた。

一曲目はクラシカル現代音楽ようだった。耳を澄ませていたら、なぜかシェーンベルクの名前が浮かんで来た。聴衆を驚かすようなお茶目な幕開け。でも、驚きはなかった。へえ、こんなところまで来ちゃったのか、という印象を抱きながら聴いた。

じつは、昨年ケルンコンサートをCDで買い直して何度も聴いているうちに、演奏の奥から、うっすらとドビッシーが聴こえて来るようになった。ドビッシー?正直ビックリしたんだけど、でも、そんな経験をしていたから、昨晩の彼の演奏からシェーンベルクが聴こえて来ても驚きはなかった。

左手と足を打楽器のように使ってリズムを刻んでみたり、静かなメロディを紡いでみたり。ジャズあり、ドビッシーあり、シェーンベルクあり、プリミティブな音楽あり。それらがいつのまにか解け合ったりもして。ジャンルの境界を軽やかに超えたピアノ演奏、というか、うなり声という弦楽器と、足+床という打楽器と、ピアノという鍵盤楽器のコラボ演奏だった。で、けっきょくキースの世界になってた。

いつまでも鳴り止まない拍手。アンコールは三度。最後の曲は、スタンダーズの名曲、someday my prince will come.いつか王子様が。 その深々とした余韻にひたりながら会場を後にした。それにしても、キースってバッハの演奏をいっぱいしてるのに、その音楽からはフランスの匂いがするんだよな。意外にお茶目な人だったし。大満足の一夜だった。

by naomemo | 2011-05-29 12:31 | 音楽から落語まで

薄暮のような香りがする

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先日、新宿紀伊国屋に予約しておいたアティーク・ラヒーミー「灰と土」を引き取りに行ったついでに店内をぶらぶらしてたら、二冊の本が目に止まった。ヤスミナ・カドラの「テロル」山田太一の「空也上人がいた」。すぐにも読み始めるつもりだったけど、図書館から借りていた山歩き本に時間を取られて手がつかず。でも、ようやく「空也上人がいた」に手が伸びて一読した。どうも狐につままれたような気分だったので、ゆっくり読み直した。それでもまだ霧が晴れ切らずモヤモヤしてるんだけど、ここでちょっとメモを。

おもな登場人物は、男二名、女一名、そして三毛猫が一匹、空也上人の木彫立像が一体。

中津草介27才、独身。物語の語り手。大学の経済学部を卒業するも折悪しく就職難に遭遇。けっきょくヘルパー2級の資格を取得して特養(特別養護老人ホーム)に介護人として勤務。2年4ヶ月ほど過ぎた頃、介護していた老婆を死なせたことを悔いて辞職するも、ケア・マネジャー重光雅美の計らいで、身寄りのない老人・吉崎征次郎の介護につく。

重松雅美46才、独身。市の保険公社に所属するケア・マネージャー。申請があった高齢者に、どの程度の支援や介護が必要かを判断したり、施設に割り振ったりする専門員。中津草介が辞職したことを知って、一人暮らしの岩崎老人に介護人として推薦する。老人は過去に二度、女性ヘルパーを追い出しているのだが、中津草介のことは気に入って介護を任せる。

吉崎征次郎81才、妻に先立たれ、身寄りなし。持ち家に独り住まい。これまでに二度、重光が紹介した女性ヘルパーを気に入らず追い出しているが、それは重光にひそかに心を寄せていたたことに原因があるらしい。中堅証券会社勤務していた四十代半ばに、自分の不注意で見知らぬ他人の親子を死に追いやった経験を持つ。それが老いた今でも刺となって残っている。

三毛猫、年齢不詳。雄か雌かも不明。吉崎老人宅の周辺を縄張りにしているようだ。物語に直接関与してくるわけではないが、この三毛猫が登場する場面が三度あり、いずれの場面もそこで空気の流れ変わるように感じる。異界と俗界の境界に住む守り神にも見えるけど、さて、どうなんだろう。

空也上人の木彫立像。京都は東山、そのむかし現世と冥界の境といわた六道の辻ちかくにある六波羅蜜寺に所蔵されている。物語のなかで、中津青年が吉崎の指図で訪ね、吉崎も50代で訪ねている。この立像は、下から見上げると目が厳しい光を放つものらしい。

物語の展開については書かないけれど、読み解くキーワードは、生命、嫉妬、老い、闇、そして異界、かなと感じている。どれも山田太一ワールドではお馴染みなんだけど。そして、若い男、中年の女、老いた男が醸し出す不思議な三角関係を通じて、老いてなお生きることの意味が浮き彫りにされる作品、ということになるだろうか。

ちなみに、僕は以前から山田太一のファンで、その理由のひとつは、彼は男巫(おかんなぎ)ではなかろうかと感じるところがあるからだ。この最新作も、そうした印象が強い。時代が彼の身体を媒介にして物語を伝えたがってるような。ちなみに山田太一は現在77歳だというから、この作品に登場する吉崎老人に近い年齢である。

肯定でもなく、否定でもなく、薄暮のなかを寄り添って歩くように読んだ。

by naomemo | 2011-05-25 09:12 | 音楽から落語まで


昨日、テニス仲間と一緒に、前から行ってみようと思っていた丹沢の大山に出かけてきた。行きは追分から下社までケーブルカーを使い、下社からは、西側のかごや道をてくてく登って、表参道分岐を経て大山山頂へ。そこでゆっくり弁当を食べて、お詣り。下山は山頂から東側の不動尻分岐を経て雷ノ峰尾根を通って見晴台へ、そして二重滝を経て下社まで戻るというルート。下社からはふたたびケーブルカーを使って追分へ、というパターンである。

男女混成10名で休み休み歩いているから、じつにのんびりとしたペース。それでも、翌朝、つまり今朝はふくらはぎが張って筋肉痛に。筋肉をほぐすべく、お昼にゆっくり1時間ほど走ったみたけれど、まだ痛みは抜けてない。ま、心地いい痛みなんだけどね。それに山の空気をしっかり呼吸してリフレッシュしたしね。

山中で撮った写真をいくつかメモ代わりに残しておこう。こちらは登りのケーブルカーの車中からの一枚。不動前の駅で下りのケーブルカーを撮ったもの。
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下社の横にあった小さな鳥居。天満宮と書かれてるのが見えるね。
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丹沢山系。遠くの方に雲間から富士山が見えたり隠れたり。山歩きにはもってこいの上天気だった。
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山頂奥の院の、これは右側の狛犬かな?大天狗、小天狗って彫ってあるね。
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下山途中の見晴台に案内標識。こちらのルートは、山頂から下社まで3.65kmなんだ。途中休憩を入れているとはいえ、この倍くらい歩いたような気分だったんだけどね。
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見晴台近くにクマ出没注意の看板があった。雷ノ峰尾根には、数カ所に渡って路の両サイドに長く網のフェンスが張ってあったけど、そういうことなのか?
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こちらは、二重滝近くにあった、クマ看板。大山にはクマが出るんだな、と。そういえば、クマよけの鈴を付けて歩いてた人がいたっけ。
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そしてこちらは、二重滝のところにあった社前に鎮座する龍。大きな口を開けて、何が言いたい?
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二重滝の名前の由来は、上の方で二本に分かれてるから、そう名付けられたってことみたいだね。
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ところで、こうして写真を一枚一枚確認していて、あっ!と気づいたことがある。落語の演目に、「大山詣り」というのがある。僕は志ん朝で何度も聞いているんだけど、この噺、毎年、宿の宴会で酔っ払って喧嘩を売っては、同行の長屋の連中に迷惑をかける男が主人公。そして、その男の名前は「熊」と言うんですよ。噺のなかでは、熊公とか熊さんとか呼ばれているけれどね。

落語に熊さんはよく出て来るけど、「大山詣り」に登場する熊さんは、ちょっと違うかもって思い始めている。何が言いたいかというと、江戸時代の大山では熊がよく出没して、参詣客に被害に与えていたのかも知れないねえということなんだよね。熊被害の話は江戸市中でよく知られていて、大山詣りでは熊に気をつけなくちゃならんぞ、などと言われていたのかも知れない。そんな風に想像してみると、こちらの熊さんは山の神の化身かも知れないと思えてくるから不思議だ。ただ、神といっても荒ぶる神に違いないんだけどさ、もちろん。

最後は最寄り駅に戻って、みんなで中華料理を食べて、気持ちよく酔っぱらって解散したのでした。荒ぶる熊になったものはいなかった。めでたし、めでたし。大勢で山を歩くのも、楽しいね。これから時々やろうかな。

by naomemo | 2010-11-07 19:15 | 音楽から落語まで

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先日、ケーブルTVの番組表をなにげに見ていたら、時代劇専門チャンネルで終日、鬼平犯科帳シリーズを放映することを知った。西尾忠久さんのような特別な存在は別としても、昔から鬼平には絶大なファンがいることは知っている。だから鬼平には興味はあったが、これまで一度も観たこともなければ読んだこともなかった。でも、その日はなぜか観てみたい気分になって、一気に録画してコツコツと観た。そのうちに文春文庫に手が伸びるかも。

でも、今日のメモは、鬼平そのものじゃありません。TVドラマのエンディングで流れる曲が、じつにかっこいいと思ったのだ。すぐさま、その曲が入ったアルバムをアマゾンでポチッ。翌々日には手元に届いた。

いまさらなんだよって気がしないでもないけれど、このジプシー・キングスの「インスピレーション」という曲は、なぜこれほど鬼平ドラマにぴったんこなんだろうか。小気味の良いリズムの奥にある悲しみみたいなものが、マッチしてるのかな。とにもかくにも、ただいま朝焼けランのお伴になっています。まさにヘビー・ローテーション。

ちなみに、ジプシー・キングスは、先日このブログで取り上げたフランスのロマのグループ。いまさらなんだけど、いまだからこそ、でもあるのだよね。

さて、昨日、10月17日開催予定のタートル・マラソン@荒川のナンバーカードが届いた。ウキウキ気分と、ドキドキ気分が、微妙に入り混じってる。これだけ走ってきたから大丈夫という自信と、ほんとに完走できるんだろうかという不安が、くるくる入れ替わる。とても新鮮な気分です。

by naomemo | 2010-09-28 08:38 | 音楽から落語まで

ロマ問題は永遠なのかな

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いつものように5キロのジョギングから戻ってシャワーを浴び、朝食を摂りながらNHKBS1「おはよう世界」を観ていたら、いきなりロマ問題が出て来た。

気持ちの半分は目の前のご飯に、もう半分はテレビにという具合だから、じつにいい加減なんだけど、どうやらフランスの地方警察が、ロマの青年を正当な理由もなく射殺したらしい。同じトラックに乗っていたロマの男性が3日間の雲隠れから一転、警察に出頭して、「理由もなくいきなり発砲してきた」と証言したから、さあ大変なことに。血の気の多い若いロマたちがどんな行動に出るか、だれでも想像できるだろう。

僕は昔からジプシー系の音楽が好きで、ゆえに音楽的にロマの血に少なからず影響を受けているハイドン、モーツァルト、シューベルト、ブラームス、リスト、ドボルザークはお気に入りの音楽家になっている。そんなこともあって、ロマ問題と聞くと、心が騒ぐ。

流浪の民ロマは、けっして過去の存在じゃなく、いまでも欧州を移動し、あるいは半定住し、社会にしっくりとは馴染んでいない。定住を嫌うロマたちは、社会から疎まれるんだね。これはユダヤとロマに共通の現象かも知れないな、なんてこともあらためて思いました。

久しぶりに、リストのアルバムでもamazonでポチするかな。

by naomemo | 2010-07-23 09:18 | 音楽から落語まで

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秋から地方転勤になりそうということで、息子がアパートを引き払って戻ってきた。土曜日から日曜日にかけて荷物がわんさと運び込まれた。一部屋空けるべく、CD棚と本棚とピアノを別の部屋に分散移動しなくてはならないけれど、あいにく腰痛がまだ抜け切っていなかったので、ひとまずCD棚から移動。引き出しを一つ一つ運び出し、さらに未整理だったCDも運び出し、最後に本体を運び出し、久しぶりに整理整頓。ただでさえ整理下手ってこともあるが、それだけで半日も費やしてしまった。

でも、整理してるうちに、あれ、こんなんあったっけとか、なくしたと思ってたのが出て来たりとか、うれしい誤算もあったりして。今回取り上げるCDもそのうちの一枚。ブラームスのハンガリアン舞曲全曲集である。これ、アバド+ウィーン・フィルでも持ってるんだけど、どことなくあざとい演奏で気に入らなかった。だから、こいつが出て来たのは超ラッキー。指揮ヴァルター・ヴェラー、演奏ロイヤル・フィルハーモニー。余計な味付けがまったくなく、じつに軽快な舞曲に仕上がっている。ときどき聞きたくなってたんだよね。ちなみに、これは、1982年録音のデッカ版。ジャケットもなかなかいいでしょ。

というわけで、今週は、これをiPodに入れて、湿気でサウナ状態の朝の中を走りながら聞いている。平日の早朝ランは、おおむね40分ほどなのだが、ちょうど全曲を聞き終える頃に自宅へ戻ってくる。全曲を40分ほどだから、いかに軽快なテンポか分かるでしょ。

(メモ)
今朝の日経一面に、「中国、日本国債の購入拡大」の記事があった。ユーロ不安から、外貨準備を分散中ということだろう。それにしても、国債ばかりか、株式、不動産、森林・水資源にも進出しているね。ある意味、マネーは核兵器より厄介かも知れない。いまのところ抑止力が見えない。

by naomemo | 2010-07-06 08:46 | 音楽から落語まで

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タバコを止めて1年7ヶ月、スロージョグを始めて7ヶ月。寒い冬のあいだはジムのトレッド・ミルの上で、歩く速度のスロージョグを30分から1時間、休日に走っていた。そして温かくなった4月下旬になって、表へ出た。それなりに走る脚は出来てるだろうと思っていたが、イメージと現実とのあいだには大きなギャップがあった。走り始めた途端、脚が重くなった。おかしい、こんなはずでは…、でも、これは現実だ。3、4分ほど走って歩き始めた。落ち着いてから3、4分走って、また歩いた。初日はその繰り返しだった。

今から思えば、当然のことだ。トレッド・ミルは地面が勝手に後ろに動いてくれるけど、実際の地面は動いてくれないのだ。自分の脚で地面を蹴って、身体のチカラだけで前に進まなくてはならないからだ。脚だけでなく身体全体にかかるストレスは、段違いだった。でも、たとえミルの上でも走ってきた事実に変わりはなく、翌週には少し楽になっていた。

そのうちに、どうせ夏時間で早起き鳥の生活をしているので、平日も走るようになった。週3回ほどのペースになった。風を感じたり、匂いを感じたり、季節の花の咲き具合を見たり、鳥の声に耳を傾けたりしながら走るのは気分がいい。屋内でトレッド・ミルの上をハツカネズミのように走るのは止めた。屋内のランは、走り始めには便利でいいけれど、いつまでも利用するもんじゃないね。勝手に動く地面の上を走るのと、動かない地面の上を走るのとでは、ずいぶん違いがあるのだ。

それでも、ときに3日ほど続けて走らない日が出来たりする。それくらい大丈夫だろうと思っていたが、そうでもない。3日空けると、脚が走りの感覚を忘れてしまっていて、途端に重くなる。身体が感覚を思い出すのに丸2日はかかることを知った。それに、仮に週30キロを走るにしても、3日×10キロより、6日×5キロの方が、脚の出来上がりは早く、ケガもしにくいに違いないと思うようになった。てなわけで、先週から毎日走るようになった。調子がよければ少しペースを上げて、調子がいまいちであればペースをぐっと落として歩くように走ればいいからね。

今朝はイマイチだったので、歩く速度の超スロージョグで35分。BGMには、久しぶりにRy CooderのManbo Sinuendoをチョイス。これがじつにいい。南国的なのんびりしたリズムが、スロージョグにはお似合いだ。ということで今週の一枚に。しばらく、Ryを聴きながら走ろう、と。

by naomemo | 2010-06-23 08:35 | 音楽から落語まで


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今朝の日経終面の文化欄で知ったのだけど、あの保守的なウィーンフィルのコンサートマスターに女性が就任した。その名をアルベナ・ダナイローヴァという。「私は2008年5月、ウィーン国立歌劇場管弦楽団のオーディションに合格し、当初からコンサートマスターとして入団した」とあるから、ウィーンフィルのコンサートマスター、いやコンサートミストレス就任は規定の路線だったようだ。新しい生命というか息吹を取り込む必要性を考えてのことでしょう。

ウィーンといえば、苛烈な禁煙運動のあおりで、店仕舞を余儀なくされている老舗のカフェもあるという。リーマンショック、ソブリンリスクの拡大で、受難の続く欧州ゆえ、どちらかといえば保守化傾向が強く出てくるかと思っていたけれど、ウィーンフィルは自らを開いていく方向に活路を求めたということになるね。昔からウィーンフィルの音が好きな僕としても、どう変わっていくのか気になるところ。

将来、あの決断は英断だったと言われるようになってもらいたいと思う。

by naomemo | 2010-06-22 09:03 | 音楽から落語まで

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ようやくカズオ・イシグロの「わたしを離さないで(Never Let Me Go)」を読み終えた。公園のベンチで、主人公キャシーによって語られる話にじっくり耳を傾けていたような気分だった。たかだか一冊の小説を読むのに、これほどの時間がかかるとは。

くわしいことは書きにくい内容なので、ごく簡単に。舞台はヘールシャム。英国の寄宿舎を彷彿させるような施設。中心的な登場人物は、キャシー、ルース、そしてトミーの三人。現在三十一歳になり、介護人の仕事をすでに十一年以上続けているキャシーが、ヘールシャムでの思い出を、ゆっくりゆっくり語り始める。

キャシー、ルース、トミー、この三人だけの関係を聞いていると、いかにもありそうな少年少女の生態のように思える。そして実際その通りなのだけれど、なにかが気にかかる。登場してくる大人といえば、寄宿舎ヘールシャムの先生というか保護官たちだけ。子供たちの親は一切登場しない。ヘールシャムは、外界からまったく遮断された、子供たちのために特別に拵えられた、繭のような空間なのだ。何だろう、これは、と思いながら耳を傾けていく。

今朝走っている時も、「ヘールシャムって何を意味してるんだろう」という疑問が浮かんでは消えた。「クローン」というモチーフは何を暗示しているのだろう。英国の寄宿舎生活の特異性を表現したかったのだろうか。現実から隔離された子供時代の比喩として描いているのだろうか。あるいはキブツのような存在を念頭においているのだろうか。

ちなみに、「わたしを離さないで」は映画化の真っ最中である。トミー役に扮しているのは、「BoyーA」で素晴らしい存在感を示していたアンドリュー・ガーフィールド。この作品、個人的に期待値上昇中である。

by naomemo | 2010-06-21 08:01 | 音楽から落語まで