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写真は、数日前に撮った、小雨の中の梅です。あと一週間もすれば、一斉に咲き始めるのかなという感じ。

さて、週末にアンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」を観てきました。昨年末から公開されてたので、ようやく、という感じなんだけどね。とにもかくにも、これほどまでに野太く、虚飾のない作品を撮り切った、ワイダ監督の意志と情熱と体力に、まずは拍手。こんな作品、滅多に出会えるものじゃない。

冒頭に、妻が、夫のアンジェイ大佐を尋ね歩く印象的なシーンがある。ようやく探し当てて、妻は夫に向かってこんなことを言う。

どうして行ってしまうの…、もう私を愛してないのね…、家族と国家とどちらが大切なの…、行かないで…。

軍人の夫は、離れ難い思いを抱きつつも、ロシアの捕虜となって黙って列車に乗り込む。女たちにとって大切なのは、国家ではなく、家族なのだが、男たちは、国家というものの幻想に忠誠を尽くし、そして無意味な死を迎える。いつの世も変わらないものなんだねえ、ほんとに。夫の生存を信じる妻は、いつまでも、いつまでも、夫の帰りを待ち続ける。

帰りの電車のなかでメモしたことを、ふたつ。ひとつは、ソ連のスターリンがカティンの森で実行させたこととは、つまり、ポーランドの「優秀な人間」の皆殺しだったんだな、と。これほどの殺戮を躊躇なく行なわせたスターリンの生い立ちとは、どんなものだったんだろうか。もうひとつ、ヨーロッパで信仰心が薄くなったのは、大陸を戦場にした二つの戦争のせいなのかも知れない、ということ。それを示唆するシーンもある。この作品で描かれていることは、現代にもしっかりつながってるんだよね。

それにしても、残された妻たちの、なんと気丈なことか。

エンディングの銃殺シーンのあと、まるでフィルムが切れたかのように画面がパッと白くなる。ほんの数十秒?ほどの間、レクイエムらしき曲の一節が流れる。そのあと画面が黒く反転し音が消える。静かに、黒バックに白抜きのエンドロールだけが、延々と映し出される。これほど静謐なエンディングは、ちょっと記憶にないね。ちなみに、後で調べたところ、このレクイエムは、ペンデレツキという人の「ポーランド・レクイエム」だと知った。ナクソスから出ているようなので、いっぺん全曲通して聴いてみたいものだ。



おまけです。youtubeにワイダ監督の特集TV番組が上がっていたので、リンクをシェアさせてもらいましす。タイトルは「アンジェイ・ワイダ 祖国ポーランドを撮り続けた男」。


by naomemo | 2010-02-15 08:42 | シネマパラダイス

WORLD CLASSICS@CINEMA


新しい試みが始まってる。昨年、UKオペラ@シネマと銘打った企画が展開していたらしい。英国のロイヤルオペラなどで上演されたオペラのライブ映像が、ソニーの仕切りで各地の映画館に配給されていたそうだ。聞いたことがあったような、なかったような…。これまでクラシカルの分野では器楽曲ばかり聴いてきて、ほとんどオペラには縁がなかったんだけど、そろそろいいかもと思い始めていた矢先に、あらま、びっくり、である。これ、僕みたいなオペラ入門希望者にはぴったりかも。

おそらく、昨年の「UKオペラ@シネマ」が好評だったんだろうね、今年はその名も「WORLD CLASSICS@CINEMA」へ脱皮して、中身も充実、規模もぐっと拡大している模様だ。「映画館で楽しむオペラとバレエの世界紀行」となっている。折をみて、観てみようと思う。

正直、この手の企画、以前なら「そんなアホなことを」と思ったに違いない。ライブはライブ、複製は複製でしょ、と。けれど昨年マイケルの「this is it」を映画館で観て、なるほど、こういうカタチもありなんだなと実感しちゃったのだ。実際、映画館に足を運んで、世の中、映画ファンより音楽ファンの方が圧倒的に多いこともあらためて痛感したしね。今では「それ、ありだよ」って思う。

それに映画館はすでに供給過剰の状態にあって、いつ整理淘汰が始まっても不思議じゃない。ハコばかり作って来たからだよと非難したい気もするけど、そんなヒマがあったら、出来てるハコを再利用というか有効利用する方が正しき道じゃなかろうか。いや、正しいかどうかは分からない。三歩ゆずって、いまどきの考え方、かな。それと、さっきの「this is it」に話に戻るけど、当の本人マイケルが亡くなって、もう永遠にステージが観られないからという理由があるにせよ、20回、30回と映画館に通いつめたファンも多いのだよね。ここには大きなヒントがあると思うんだよね。

いろいろ考え合わせると、映画館での音楽ライブ映像の放映は、なにもクラシカル分野に限る必要はないし、ポップやロックに間口を広げたら面白いんじゃないのかな、と。演劇まで広げたっていいしね。音響設備の良いところをチョイスして手軽な料金で展開したら、もちろん演し物次第だけど、そそそこ盛り上がるんじゃないのかな。ただ悪ノリすると飽きられるから要注意だけどね。

こういうの、ソニーピクチャーズとソニーミュージックあたりが連携して展開すれば成立するような気がするけどな。あるいは、wowowあたりがやってくれてもいいんだけどさ。どうでしょうね。

by naomemo | 2010-02-10 08:25 | シネマパラダイス

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今年は「3Dテレビ元年」などと言われているそうな。ほんとかな、3Dって、まだテレビの段階じゃなく映画の段階じゃないの、なんて思っていたんだけど、すでに家電業界では3Dテレビの規格をめぐる熾烈な戦いが始まっているようだ。

こちらとしては最近のハリウッド映画には辟易してるし、この手の話にすぐに飛びつく方でもないんだけど、話題の3D作品「アバター」が空前のヒットになっているらしいので、やっぱ観ておくかと、一昨日マイカル港北まで出かけた。事前に、「物語の展開が速いし、3Dでは文字が見づらいから、吹き替え版がいいよ」と知人から聞いていたので、アドバイスに従って吹き替え版で観た。

こういうスペースものというか、アドベンチャーものでは、ド迫力だね。2Dの世界とは臨場感が違う。スクリーンの中に入り込んでいるような錯覚にとらわれる場面もあった。そういう意味では、いっぺん体感しておく価値あり、かな。ただ、お年寄りや心臓の弱い人にはちょっと刺激が強いので、避けた方がいいかも知れない。すぐ目の前まで武器が突き出てきたら、心臓が飛び出しちゃうかも。

肝心のストーリーは、映画館に足を運んで観ていただくのが一番なんだけど、でも、ちょっとだけ。時代設定は地球から緑が失われてしまった22世紀。場所はパンドラという地球から遠く離れた星。そこへ地球人がやってきて貴重な地下資源の確保を目論む。その目的のために先住民ナヴィを迫害することも、生命の森を破壊することも、まったく厭わない。つまり、これ、米国におけるインディアン迫害の歴史をベースにした物語なんである。そこに、いまも世界中で進む資源獲得競争と環境破壊が上手にミックス、じつによく計算された娯楽大作なんである。

でもね、キャメロン監督自身もインタビューで答えているらしいけど、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」から多くをインスパイアーされていることは明白。「大きな影響を受けている」という言い方もできるし、「ここまで真似してもいいもんなの?」という言い方もできる。判断は一人一人がすればいいことだけど、僕は正直なところ後者の「?」の方である。

もうひとつ。「アバター」は中国でも公開されているけれど、いきなり上映館が縮小されたそうだ。政府当局が支援している映画「孔子」の上映館を増やすためとも、地下資源確保をめぐって先住民を迫害する地球人の姿が政府当局にダブルから、とも言われている。さて、どっちでしょう。



by naomemo | 2010-01-25 08:56 | シネマパラダイス

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春先から心待ちにしていた。首が伸びきって折れちまうんじゃないかと心配したほどだ。なにしろ久々のウェイン・ワン監督作品なのである。スケジュールをやりくりして、一昨日、恵比寿ガーデンシネマまで足を運んだ。

それにしても、こんなにも起伏が少ないのに、これほどまで愛おしい作品も珍しい。舞台はアメリカの都市近郊。主要な登場人物は中国人の父と娘、イラン出身の老婦人、ロシア出身の男性の4名。それなのに、まるで古き良き日本映画というか、センスの良い短編の私小説映画を観ているようだった。

荷物がベルトコンベアーに乗って流れている。どうやら空港らしい。父親が娘に会うために北京からやってきたのだ。機内で隣り合ったらしい女性二人と別れの挨拶を交わしている。このワンシーンだけで、彼のプロフィールの一端が垣間見える。こういう見せ方って、ほんと粋だねえ。迎えにきた娘が、スーツケースを二つ、さっと取り上げる。赤いハンカチが目印になっていたようだ。これもまた、さりげない伏線。娘が運転して自宅へ向かう。アパートは娘一人で暮らすには十分な広さの2LDKだ。

父親が北京からやってきたのは、娘が離婚したことを気遣ってのこと。落ち込んでいるんじゃないだろうか…、元気に暮らしているんだろうか…。表向きはアメリカ旅行のついでに寄ったというが、一人娘のことが心配でやって来たのだ。それかあらぬか、話題が核心に触ることはない。父親は、毎晩のように手料理を振る舞う。でも、娘から笑顔がこぼれることはない。細やかな気遣いは見せるものの、父親の話にも、うなづく程度。どうにも心は晴れないようだ。食卓には、ぎこちなさが漂ったままだ。

娘は大学図書館に勤務しているのだが、その間、父親は新聞を読んだり、食料品を買い出しに行ったり、近所を散歩したり。そのうちに公園でイラン出身の老婦人と出会う。かたや中国語とカタコトの英語、かたやペルシャ語とカタコトの英語なのだが、なんとなく心が通うようになる。お互いの身の上を感じ取り、毎日のように公園のベンチで会うようになる。なんとも味わい深いシーンである。

ある日、娘の帰りが遅いのを心配して、バス停まで迎えに出る。でも、最終のバスにも娘の姿はなかった。父親の心配はいかほどか。やがて一台のセダンが近づいてくる。

その晩、父親が静かに問う。娘が重い口を開く。離婚の経緯を、ロシア人男性との関係を語り始める。そしてこんどは娘が父親の過去を問いつめる。その娘の言葉に、頭を垂れて、静かに耳を傾ける父親。

翌朝、父親は、ゲストルームのベッドに座ったまま、壁を隔てたリビングで出かける準備をしている娘に聞こえるように、昨晩の娘の言葉に対する答えを独り言のように語り始める。

父親シー氏:ヘンリー・オー、娘イーラン:フェイ・ユー、イラン出身の老婦人:ヴィダ・ガレマニ、ロシア人男性ボリス:パシャ・リチニコフ。監督:ウェイン・ワン、原作・脚本:イーユン・リー。役者たちも、スタッフも、全員が、ゆっくり、ふかぶかと呼吸しているのが感じられる。特別なことは、何もない。名作スモークから12年目の、小さな奇蹟。間違いなく、2009年海外映画ベスト5に入るだろう。ちなみに、もう一本、姉妹編があるらしい。日本での公開はあるのだろうか。

(追記)
俳優の香川照之、ウェイン・ワン監督、日本人プロデューサーの対談が、日経BPのサイトに載っていた。9ページあるけど、興味のある人はどうぞ。
「スモーク」から「千年の祈り」へ 香川照之がウェイン・ワン監督を直撃



by naomemo | 2009-12-15 08:29 | シネマパラダイス

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以前、「難物だった」と書いて放っぽりだした、ジャームッシュの新作「リミッツ・オブ・コントロール」だけど、シーンが展開していく度に「?」を抱え込んでいくことになった。まるで哲学的な「なぞなぞ」を、いくつも仕掛けられているような気分だった。ここまでワガママやるもんかなあって思いつつ、でも、しばらくフローの状態にしておいたら、なんとなく解けてきた感じ。

ストーリーの骨格そのものは、じつはシンプル。「孤独な男」と呼ばれる殺し屋が、ある組織から、クレオール人、フランス人というコードネームを持つ二人組を通じて、「自分こそ偉大だと思う男を墓場へ送れ」という使命を受け取り、スペインに渡る。行く先々で、ヌード、ブロンド、分子、ヴァイオリン、ギター、メキシコ人、ドライバーといったコードネームを持つ仲間から暗号を受け取り、目的地を目指す。なんだか、螺旋状に動いてるだけのようにも見えるんだけど、ね。

しかし、どうなるんだろうという杞憂をよそに、ついに殺すべき相手のアジトに到達する。そしていともたやすく潜入し、目的を果たす。敵が誰だったのかちゃんと分るし、その敵を倒すことが何を意味するかも明らかにされる。911後が描かれていることも伝わってくる。ストーリーとしては、それだけのことなんだけど、とても奇妙な時間が流れているから、なにやらモヤモヤしちゃうんだよね。

たとえば殺し屋は、間の抜けたゴルゴ13みたいだし。お互いを知らない仲間と落ち合う目印が、テーブルの上に置かれるシングルのエスプレッソ2杯だったりするし。それだけじゃなく、お互いの本人確認はダブルチェックになっていて、「スペイン語は話せるか?」「いいや」っていう、妙な合い言葉になってるし。仲間が「孤独な男」に語る言葉に、なにか秘密があるのかと思って聞いていいると、どうもそうでもないらしい。暗号は、マッチ箱に入った紙片に書かれているだけなのだ。

そのうち、ストーリーの流れとほとんど無関係に展開される「孤独な男」とコードネームを持つ仲間たちと交流シーンは、ジャームッシュから愛する俳優ひとりひとりへのオマージュに違いないと気づく。そしてそれぞれのシーンに、つながりがあるような、ないような、ふわふわした感じがするのは、すべてジャームッシュの脳の中の出来事だからなんだと気づく。アジトのコンクリートの堅牢な壁を、誰にも気づかれることなくスルリと抜けられるのも、脳の中のことだからなんだよね、たぶん。

とにもかくにも、ジャームッシュと俳優の間に親密な空気が流れている映画であり、スペインの風景をゆっくり楽しむ映画であり、ジャームッシュの好きな音楽を楽しむ映画であり、それぞれの俳優の空気を楽しむ映画でもある。ジャームッシュの脳の中へ、ようこそ、だね。個人的には白装束の「ブロンド」の姿が目を引いたし、フラメンコ・ダンサーの魔法のような手の動きに酔えた。ひょっとして、これは俳優たちへの遺書なんだろうか。そんな思いさえよぎってきた。



by naomemo | 2009-12-11 09:10 | シネマパラダイス

サヨナラおじさんの遺言

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2008年11月11日は、このブログが大海に船出した日です。そして、その10年前の1998年11月11日は、サヨナラおじさん、淀川長治さんが亡くなられた日です。先日、淀川さんのことを書く上で調べものをしていて、あっ、と気づいたのですよ。まったくもって、うかつでした。もちろん偶然です。偶然なんだけど、映画の先生として勝手に私淑している身としては、なにやら縁を感じてしまうのだ。

ということもあって、ご冥福をお祈りしつつ、遅ればせながら未読だった著書生死半半 (幻冬舎文庫)を取り寄せて読みました。サヨナラおじさんが89才でお亡くなりになる3年前に上梓されたものです。ただ、これは、めずらしいことに映画評論ではありません。人生についてのエッセイ集、というか、そうだなあ、公開遺言状のような内容といえばいいでしょうか。

数カ所を抜粋してみましょう。たとえば最初のエッセイ「死を覚悟するとき」は、こんなふうに始まっています。

〈「こんにちは、淀川です。来月の3日に死にます」公演をするとき、よく私はこんな挨拶から始めます。冗談めかしてはいるけれど、実は本気でそう思っているのです。〉

先の太平洋戦争(第二次世界大戦)について言及しているところには、こんな言葉があります。

〈極端にいえば、自分の血筋や家柄を守りたいという気持ちが、人間に戦争を起こさせるのです。自分の家だけを守りたいという気持ちと、自分の国だけを守りたいという気持ちに、大きな違いはありません。自分と自分以外の人のあいだに垣根を作って、向こう側のことはどうでもいいと思っている点では、まったく同じ考え方だといえます。〉

〈たとえば「桃太郎」のようなおとぎ話からして、鬼ヶ島を征服しようとする物語になっている。動物の家来を引き連れて鬼退治に行くというと、まるで正義の味方のように聞こえますが、鬼たちは何も悪いことはしていません。鬼ヶ島の中でふつうに暮らしているだけなのに、勝手に桃太郎たちが戦争を仕掛けてきたわけです。鬼は髪の毛が赤いことになっていますから、たぶん外国人のことなのでしょう。豊臣秀吉の朝鮮出兵から太平洋戦争にいたるまで、どうも日本人には桃太郎的な心が宿っているように思えてしかたありません。〉

若い人たちに向けて、大人たちに向けて、こんな遺言を。

〈自分の人生をすべて捧げても悔いの残らない本当に好きな道を見つけてもらいたい。そして、そんな道を見つけたら、どんな苦労をしてでも真っ直ぐに進んでもらいたい。辛くて、苦しくて、自分がすごく遠回りしているように思えるときもある。でも実はそれが人生を豊かなものにするいちばんの近道です〉

〈若い人だけではありません。前にもお話したように、好きな道を歩き始めるのは、歳をとってからでも決して遅くはないのです。六十歳からでも、七十歳からでも、八十歳からでもいい、諦めずに自分の道を探してもらいたい。〉

そして最後は、こんな言葉で締めくくられています。

〈そのうち何か楽しいことがあるだろう、などと呑気に構えていてはいけません。明日には死んでいるかもしれないのです。人生を楽しむとは、今日この日を楽しむこと。この世に悔いを残さないためには、全力を尽くして今日を生き抜くしかないのです。〉

映画は時代を映す鏡です。だから、昔の映画は良かった、などという繰り言は言わない。いまの映画がいちばんと思って観ている、と。物心ついてから89歳で亡くなるまで、80年という歳月を映画に捧げて生き抜いた人の言葉は、やっぱりすごいや。

by naomemo | 2009-12-03 08:26 | シネマパラダイス

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いろいろ野暮用が重なってたけど、昨日、ようやくマイケルのTHIS IS ITにありつきました。

300席ほどの箱が満席の状態。久しぶりに熱気溢れる場所に来たなって感じだった。映画館って、やっぱり、こうじゃなくっちゃね。でも、こうしてみると、映画ファンより、音楽ファンの方が圧倒的に多いってことなんだね。

いやいや、そんなことはどうでもいい。THIS IS ITのどこが素晴らしいって、そこに素のマイケルがいるってことだよね。マイケルといえば、ここ数年は彼の奇行ぶりばかり報道されてきたけれど、ここにはコンサートに全精力を傾けるポップ・スター、マイケルがいる。そして、マイケルとの共演を夢見て世界中から集まったスタッフがいる。通常はけっして人目に触れることがない、リハーサル時の素のマイケルが観られるのだ。これは奇跡ですよ。観なくて、どうする、って感じ。

ダンサー、コーラス、演奏家たちに向けて出す、微妙なテンポやニュアンスの指示。照明へ要望。ステージで合体する映像のチェック。完全主義者と言われるが、選び抜いたスタッフを信じてパワーを注入していく姿は神々しくさえありました。ほんとカッコよかった。もう、ずーっと、観ていたかったなー。

日頃マイケルを好んで聴いているわけではない連れも、感動し、最後は冥福を祈っておりました。コンサート、実現させてあげたかったなー。もう観ることができないから、なおさら気持ちがつのる。ちなみに当の配給会社に長年勤務する友人は、こんなメールを書いて寄越した。「こんなに興奮した公開は、もしかしたら最初で最後かもしれません」だって。



by naomemo | 2009-11-24 09:05 | シネマパラダイス

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先週の土曜日、これまた港北マイカルで、待望だったジャームッシュの新作、THE LIMITS OF CONTROL(リミッツ・オブ・コントロール)を観てきた。夕方一回だけの上映なので、ひょっとして満席になるのだろうかと思ってたら、200席はあろうかという箱で観客はわずかに10名足らず。なんてこった。

本来ならここでレビューに移っていくところなんですが、この作品はちょっと難物です。もう少し反芻しようと思います。つなぎとして、今日は、映画の見方を一変させてくれた一冊の本を紹介しておきます。社会に出たての頃に読んだもので、対談の名手と呼ばれていた小説家吉行淳之介さんの対談集です。いまはもう手元にないので、タイトルはうろ覚えなんだけど、たしか「吉行淳之介の恐怖対談」、当時、新潮文庫から出ていたと思います。間違ってたら、ごめんなさい。そのなかに、映画評論家の淀川長治さんとの対談がありました。それが、もう、なんとも凄かったんです。

淀川長治さんは、生前、長いこと日曜洋画劇場を担当されていました。いつもそのエンディングで、「さよなら、さよなら、さよーなら」と、小首をかしげながら手を振っていた映像がいまでも浮かんできます。どんな作品でも、どこかしらいいところを探し当ててレビューされていたのですが、正直なところ、もう少しピリリとしたこと言ってほしいなあ、なんだかいい加減じゃないの、なんて思っていたところがありました。そこにどれほどの意味があるのか、じつはよく分っていなかったんです。幼かった。

でも、その対談を読んで、一変しました。淀川長治さんのイメージが根底から覆りました。なになに、このおじさん、映画をそんなふうに観てんの!!!もう、ガーンってやつです。題材に使ってたのは、アランドロン主演の「太陽がいっぱい」。対談の最中に、あれは世界初のホモセクシャルの映画だって発言があったんですよ。ホスト役の吉行淳之介さんも、似顔絵担当としてその場に居合わせていたらしいイラストレーターの和田誠さんも、編集者も口あんぐり状態になってる感じが行間から漂ってきました。

誰も頷く気配がないのを見て、(その場に居合わせたかのように書いちゃいますが)、淀川さん、やおら説明を始めたんです。ひとつひとつシーンの意味を解きほぐしていくんです。えっ、ウソでしょ、それ…。ほんと、おそるべし。あー、でも、でも、残念ながら、ここから先は書けません。忘れた訳じゃありませんよ。もう、何度も繰り返し読んだんだから、忘れる訳ありません。興味がある向きは、ぜひ原本に当たってくださいな。たぶん、映画の見方が大きく変わると思いますよ。というか、映画がもっともっと愉しくなりますよ。

さっき、アマゾンで調べてみたら、いまは講談社文芸文庫から出ている「やわらかい話ー吉行淳之介対談集」の中に収まっているようです。本の画像と一緒にアマゾンへのリンクを貼っておきますね。では、さよなら、さよなら、さよーなら。

by naomemo | 2009-11-13 08:45 | シネマパラダイス

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中年の女性がひとり、遠くから枯れ野を歩いてくる。笑っているようにも見えるし、深い闇のような悲しみを抱えているように見える。やがてゆっくり身体を揺らして踊り始める。いつしかタンゴ音楽が流れ始めている。これ、友人に薦められて先週末に観た韓国映画「母なる証明」(原題:MOTHER)の冒頭シーンである。なんだか奇妙な幕開けでしょ。

ある日、すこし頭のよわい一人息子が少女殺しの容疑者として逮捕される。息子がまだ幼い頃に夫を亡くした彼女は、女手ひとつで息子を育ててきた。そんな彼女にとって息子は溺愛の対象だったに違いない。息子にかぎって、そんな残忍なことをするはずはない、濡れ衣に決まってるじゃないの。怠惰な警察も弁護士も、頼りにはならない。ひょっとしたら、真犯人探しの障害にさえなりかねない。母は、息子の友人のチカラを借りて、真犯人探しに奔走することになる。なんだか分かるよね、こういうの。

やがて、殺された少女の素顔があらわになり、息子の幼い頃の記憶がよみがえり、ある目撃者との出会いがありと、物語は思わぬ展開を見せることになるのだけれど、この映画は、サスペンスの手法を踏襲しつつも、かならずしも「犯人探し」そのものが眼目ではない。これは、犯人探し=真実の追求がついには悲劇につながっていくという物語なのだ。しかもその悲劇は、母なるものが宿命的に持つ二面性=慈愛と自己中心性が、みずから引き寄せたものであるという滑稽さも併せ持っているのだ。

観終わった後、自らの出生の秘密を探し求めるギリシャの若き王の物語が浮かび、この「真実」を追い求める母の姿に重なってきた。血の呪縛が、「真実」を性急に追い求める行為そのものが、ついに悲劇を招いてしまうところまで、じつによく似ている。

原案、脚本、監督、ポン・ジュノ。この人、おそらく確信犯だと思う。母親役に、韓国の母と呼ばれているキム・ヘジャ。なんだか吉行和子さんに似てるんだよなあ、このひと。声質までそっくりなんだから。息子トジュン役にウォンピン。韓国の四天王の一人らしいけど、私はトジュンの悪友役のチン・グが気に入りました。それにしても、ずっしりと堪えました。エンドロールが終わるまで、しばらく席から立ち上がれませんでした。

読み返したわけじゃないし、勝手な思い込みかも知れないのだけれど、さきほど紹介したギリシャの若き王の物語とは、上に掲載したソポクレスの「オイディプス王」(岩波文庫)。興味がある向きは、映画の後にでも読んでみてください。「母の呪縛」の物語として読み直したら、面白いかも知れない。



by naomemo | 2009-11-06 08:02 | シネマパラダイス

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昨日に引き続いて、ハリウッドつながりで一本。ちょっと前になるんだけど、恵比寿ガーデンシネマで「キャデラック・レコード」を観た。主演はエイドリアン・ブロディ。彼の出演作品を観るのは5作目になる。「戦場のピアニスト」「ヴィレッジ」「ジャケット」「ダージリン急行」、そして「キャデラック・レコード」。なんとなく気になる俳優なんだよね。

さて、エイドリアン・ブロディ扮するレナード・チェスは、実在の人物で、ポーランドからのユダヤ系移民である。チェスの出自に言及されるのは冒頭のワンシーンだけなのだが、おそらく相当な差別の中で成長したのだろうと思わせる。そしてそのことが、後年、音楽ビジネスに邁進する原動力になったように見える。少なくとも、この映画ではそのように暗示されている。

少し寄り道をする。そのレナード・チェス役だが、当初はアイルランド系アメリカ人のマット・ディロンが当てられていたようだ。しかし、理由は定かではないが、降板して、エイドリアン・ブロディに白羽の矢が立ったという。ちょっと出来過ぎの感もあるが、彼自身、ポーランド系ユダヤ人の血を引いていることと無縁ではないだろう。なにしろハリウッドはユダヤ移民が作った街なんだから。いずれにしても、「戦場のピアニスト」といい、今回の「キャデラック・レコード」といい、ポーランド系ユダヤ人といえばエイドリアン・ブロディと相場が決まったかのようだ。

肝心の映画の内容をひとことで言えば、シカゴ・ブルース全盛を作った伝説のレーベル「チェス・レコード」の誕生から衰退までを描いた作品である。タイトルが「キャデラック・レコード」となっているのは、ヒットが出ると、その歌手に豪華なキャデラックが与えられたから。つまり、この映画は、キャデラックという米国を象徴する自動車が光り輝いていた頃の物語でもあるのだ。

チェス・レコードは、チェス兄弟(映画ではレナード・チェスひとりに集約されているが)が、1950年に立ち上げたレーベルである。アフリカ系の黒人たちと契約して、以後20年間にわたってレーベルを発展させた。被差別民族という共通点があったためか、チェス兄弟には黒人への差別意識はきわめて薄かったようだ。というより、まずビジネスありきにとって、差別意識など邪魔ものだったに違いない。

このことはジャズの名門レーベルであるブルーノートの創立者アルフレッド・ライオンがドイツからの移民で、やはり人種差別感情から遠かったことに似ている。ま、そもそも米国は移民の国だったんだけどさ。

かたや、まず商売ありきのレナード・チェスとフィル・チェス兄弟のチェス・レコード。かたや、アメリカ文化とジャズへの憧れが根底にあるアルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフによるブルー・ノート。双方ともレコード史では重要な役割を果たしたが、紆余曲折を経て最終的に残っているのはブルー・ノートの方だ。いまでも往年のジャズの定番として存在しているんだけど、でも、映画になったのは、チェスの方でした。

ずいぶん脱線してしまったが、この映画、ブルース・シンガーたちが放つ熱いオーラと、経営者レナード・チェスが放つ冷たいオーラの対比が際立っていて面白かった。エイドリアン・ブロディの虚空を見つめているような眼が、なんともいえないね。

レナード・チェスにエイドリアン・ブロディ。チェス・レコードの初期を支えたブルースの帝王マディ・ウォータースにジェフリー・ライト、この人ブロークン・フラワーズでもいい味を出していたっけ。エタ・ジェイムスにビヨンセ・ノワルズ。チャック・ベリーにモス・デフ。そしてチェス・レコードの後期を支えたハウリン・ウルフにイーモン・ウォーカー、この役者、救命救急室ERにも何回か出演していたらしいけど、もの凄いド迫力。そのうちに大役をしとめるかも知れないな。脚本、監督にダーネル・マティン。どういう人だか知らない。そして製作総指揮にビヨンセが名を連ねている。



by naomemo | 2009-10-29 08:27 | シネマパラダイス