2012年 01月 17日 ( 1 )

空也の張り紙

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先週、ご挨拶の手土産に最中(もなか)をと思い、朝イチに銀座並木通りにある「空也」に立ち寄った。年末年始の時期は前もって予約しないと入手できないことは分かっていたが、もうそろそろ大丈夫かもなあと淡い期待を胸に開店時間前に店の前に立った。しかし結果は、うぐぐ~、読みが甘かった。

こんな張り紙があった。寒中見舞いの時期もやはり予約は必須なのね。写真に見る通り、すでにその週の分は売り切れでした。仕方ないので、翌週月曜日つまり昨日の13時受取りで予約して店を後にしたのだった。

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それにしても最中なら、べつに空也@並木通りじゃなくてもいいようなものだけど、ここ一番の時の最中はやっぱり空也みたいね。旨いから。いや、でも、旨さだけなら、他にもあるように思う。うさぎや@上野の最中の方がいいという人だっているに違いない。じゃあ、なぜ空也なのかといえば、それは物づくりの姿勢というかお店経営の姿勢に、江戸の粋を感じるからに違いない。

一日あたりの最中の製造量はせいぜい7000個から8000個だろうと聞く。並木通りの店だけで作って販売しているというのだから、たかが知れている。だからすぐに売り切れてしまうのだが、職人を増やしたり、大量生産に移行したりはしない。ご主人の目の届く範囲で、品質を維持し続けられる範囲で、製造販売することに拘っているからだ。もちろん百貨店からの出店の誘いにも乗らない。日本広しといえど、ここでしか買うことはできない。

欲がないといえば、欲がない。けれど、翻って考えてみると、長く続いている老舗というのは、そこそこのサイズを逸脱していないようにも思える。なぜこんなことを書いているかといえば、すでに右肩下がりの時代に移行している日本において、この空也の経営姿勢、しいては老舗の経営姿勢に、これからの生き方のヒントが隠されているんじゃないかと感じているからだ。前年対比の発想、拡大の発想から、品質をきっちり維持し続けるという発想へ、そろそろシフトチェンジする時だろうと。我が身を振り返りつつ思うこの頃です。

最後に断っておくけど、これはマーケティングの問題とは違うからね。生き方の問題だと思う。だから、形だけ真似ても上手くは行かないんだろうけど。

by naomemo | 2012-01-17 15:43 | ノン・カテゴリー