誰のための自由なのか


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テレビ画面に、JE SUIS CHARLIE=私もシャルリ、と書かれたプラカード群の映像が登場するたびに、血が滾るのではなく、反対に脱力感に襲われる。

表現の自由が暴力によって犯されたことへの抗議は分かる。しかしそもそもシャルリエブドの表現が、なにを目指したものなのかが分からない。

彼らの表現が、意識的か無意識的か知らないが、相手の苛立ちを呼び寄せ、怒りの感情を増幅させ、反撃を唆したことは間違いない。その彼らの表現は自由の名に値するものなのだろうか。

デモの映像がたくさん流れることで、おそらくオランド大統領によるイスラム圏への攻撃はより容易になるだろう。国内のアラブ排斥運動も高まるだろう。

自由とか平等という言葉の近くには、ときに硬直した正義の姿が隠れていたりするものだ。濫用される「表現の自由」に、安易に与することなど出来ない。

by naomemo | 2015-01-10 07:31 | いまを読むノート