巨大な鍋料理

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おそらく時代を反映しているのだろうけれど、欧米の映画には移民がよく登場するようになったような気がする。つい最近では、クリント・イーストウッド監督の「グラントリノ」、ケン・ローチ監督の「この自由なる世界で」が印象に残っている。数え上げたら相当数にのぼるかも知れないけれど、おそらくは移民を受け入れる側の視点から描かれたものが多いんじゃないだろうか。

でも、先日、渋谷シネマライズで観たファティフ・アキン脚本・監督の8作目「ソウルキッチン」は、主人公ギリシャ系ドイツ人の視点から描かれた作品だった。前々作の「そして、私たちは愛に帰る」は監督本人とおなじトルコ系ドイツ人の視点から描かれていた。欧州には中東を初め、さまざまな地域からの移民が増加し、それがエネルギーにもなっている一方、さまざまな軋轢から排斥運動も生んでいるようだけれど、ファティフ・アキンの作品を観ていると、そうした歴史が成熟に向かうプロセスにあるのかなとも思えてきたりする。

さて、肝心の「ソウルキッチン」なんだけど、ドイツは北西部に位置する港湾都市ハンブルグにあるレストラン「ソウルキッチン」を舞台にし、多民族の素材をどっさり入れて煮込んだ鍋料理のような作品だった。

多民族都市ハンブルグの縮図としてソウルキッチンがあり、そこに、さまざまな顔立ちの人物たち(おそらく移民達)が出入りする。主人公ジノス・カザンザキス(ジャンクフード・キッチンのオーナー)、その兄貴イリアス・カザンザキス(仮釈放中の身で大のカードゲーム好き)、職人気質の天才料理人ジェイン・ワイズ(ジノスに雇われる天才料理人だが天使というか触媒のような存在に見えるな)、ジノスの恋人ナディーン(富豪の娘でジャーナリスト志望)、ウエイトレスのルチア(絵描き志望の大酒飲み)、地上げ屋(?)の友人、魅惑的な理学療法士のアンナ、税務署の堅物係官などなど。みなそれぞれの立場で、失敗にもめげることなく、じつにけなげに生きていて、そこがなんともうれしくなる。

キッチンに流れる音楽も、ジャズあり、ロックあり、ソウルあり、ワールドあり。人も音楽も、あらゆるものがごった煮で、めまいがするほどのカオスがここにはある。甘みもあり、苦みもあり、酸っぱみもあり、哀しみもあり、懐かしさもあり、底抜けの笑いもあり、でも漂う香りはじつにモダンという、奇妙な味が味わえる。好きな作品だ。




by naomemo | 2011-02-14 09:10 | シネマパラダイス