「悲しみを聴く石」、読了。



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中東の映画がちょっとしたマイ・ブームということもあって、このアフガニスタン出身のアティーク・ラヒーミーという亡命作家の本のことが、ちょっと前から気になっていた。「悲しみを聴く石」なんていうタイトルからして、なんだかいいじゃない。そんな折、音楽ライター飯尾さんのブログに、「戦慄」と書かれているのを読んで、ドンッと背中を押された。こういう時は、もう、読むっきゃないんだね。

前につんのめるようにして読み始めたんだけど、でも、ページを繰っていても、いっこうに物語は動き出さない。最初は情景描写が主体ということもあるのか、まるで舞台台本か映画シナリオのト書きを読んでいるような気分。だからなかなか前に進めない。

どうやら舞台は、内戦状態にあるアフガニスタンの「あるところ、ないところ」、つまり架空の場所にある家屋の室内という設定。この物語の証人ともいうべきカメラ的視点は、中庭に面した窓の反対側の壁面、斜め上あたりに固定されている。アングルが上下左右に動いたり、ズームイン、ズームアウトすることはあっても、位置そのものが大きく動くことはない。最初の1ページから最後の衝撃的な結末まで動かない。

やがて、妻=この物語の主人公が、首の後ろを撃たれて植物状態にある夫を前に、自らの秘密を話し始める。いつしか、物語の扉は、ゆっくりと開かれる。部屋全体に生命が宿る。女の呼吸が聞こえる。星々が瞬き、銃声が鳴り響く。

石のように動かない夫を前に、妻は話し始める。「だいたい、考えても見て、ずっと留守にしている夫と一年間婚約、そして三年間結婚しているなんて、簡単なことじゃないわ。あなたの名前と暮らしていたようなものよ。それまで私はあなたを見たことも、声を聞いたことも、身体に触ったこともなかった。」

「私の言いたいこと分かってくれる?結局のところ、私、この話、鶉の話ができてすっきりしたの。みんな話せたから。あなたに言えたおかげ。実際、あなたが病気になってから、私があなたに話すようになってから、あなたにいらつくようになってから、あなたに悪口を言えるようになってから、心の中にしまっておいたことをみんなあなたに話せてから、そしてあなたがそれに何も答えることができなくなってから、私に対して何もすることができなくなってから、私はずっと元気になったし、気持ちも落ち着けたって気がついたの」

「知っているかしら、その石を自分の前において、その前で、自分に起きた不幸とか、苦しみとか、つらさとか、悲惨なこととかを話すの、その石に、心にしまっていたこと、他の人には言えないことをすべて告白するの…」女は点滴を調整する。「石に話したいだけ話すと、石はその話を聞き、その人の言葉や秘密を吸いとる、ある日割れるまで。その時、その石は粉々になるの」女は男の目を拭き、湿らせる。「そしてその日には、すべての苦しみ、悲しみから解放されている…その石のこと、なんて言ったかしら」女はシーツを直す。

昨年観た中東映画「シリアの花嫁」でも「キャラメル」でも感じたことなのだが、この作品も、「男」の神を唯一絶対とする宗教世界に暮らす女の視点から書かれている。そんな桎梏から、遠くへ、遠くへ、羽ばたきたい女たちの声が、はてしなく木霊しているように感じる。

ちなみに、ここに登場する「石」とは、ペルシャの古い言い伝えにある「サンゲ・サブール」(忍耐の石)のこと。それが、この本の原題でもある。今朝、電車のなかで読み終えたのだけれど、もう一度、最初から読もうと思っている。というか、この、言葉で書かれた一編の映画を楽しもうかと。

by naomemo | 2010-02-18 08:37