サヨナラおじさんの遺言

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2008年11月11日は、このブログが大海に船出した日です。そして、その10年前の1998年11月11日は、サヨナラおじさん、淀川長治さんが亡くなられた日です。先日、淀川さんのことを書く上で調べものをしていて、あっ、と気づいたのですよ。まったくもって、うかつでした。もちろん偶然です。偶然なんだけど、映画の先生として勝手に私淑している身としては、なにやら縁を感じてしまうのだ。

ということもあって、ご冥福をお祈りしつつ、遅ればせながら未読だった著書生死半半 (幻冬舎文庫)を取り寄せて読みました。サヨナラおじさんが89才でお亡くなりになる3年前に上梓されたものです。ただ、これは、めずらしいことに映画評論ではありません。人生についてのエッセイ集、というか、そうだなあ、公開遺言状のような内容といえばいいでしょうか。

数カ所を抜粋してみましょう。たとえば最初のエッセイ「死を覚悟するとき」は、こんなふうに始まっています。

〈「こんにちは、淀川です。来月の3日に死にます」公演をするとき、よく私はこんな挨拶から始めます。冗談めかしてはいるけれど、実は本気でそう思っているのです。〉

先の太平洋戦争(第二次世界大戦)について言及しているところには、こんな言葉があります。

〈極端にいえば、自分の血筋や家柄を守りたいという気持ちが、人間に戦争を起こさせるのです。自分の家だけを守りたいという気持ちと、自分の国だけを守りたいという気持ちに、大きな違いはありません。自分と自分以外の人のあいだに垣根を作って、向こう側のことはどうでもいいと思っている点では、まったく同じ考え方だといえます。〉

〈たとえば「桃太郎」のようなおとぎ話からして、鬼ヶ島を征服しようとする物語になっている。動物の家来を引き連れて鬼退治に行くというと、まるで正義の味方のように聞こえますが、鬼たちは何も悪いことはしていません。鬼ヶ島の中でふつうに暮らしているだけなのに、勝手に桃太郎たちが戦争を仕掛けてきたわけです。鬼は髪の毛が赤いことになっていますから、たぶん外国人のことなのでしょう。豊臣秀吉の朝鮮出兵から太平洋戦争にいたるまで、どうも日本人には桃太郎的な心が宿っているように思えてしかたありません。〉

若い人たちに向けて、大人たちに向けて、こんな遺言を。

〈自分の人生をすべて捧げても悔いの残らない本当に好きな道を見つけてもらいたい。そして、そんな道を見つけたら、どんな苦労をしてでも真っ直ぐに進んでもらいたい。辛くて、苦しくて、自分がすごく遠回りしているように思えるときもある。でも実はそれが人生を豊かなものにするいちばんの近道です〉

〈若い人だけではありません。前にもお話したように、好きな道を歩き始めるのは、歳をとってからでも決して遅くはないのです。六十歳からでも、七十歳からでも、八十歳からでもいい、諦めずに自分の道を探してもらいたい。〉

そして最後は、こんな言葉で締めくくられています。

〈そのうち何か楽しいことがあるだろう、などと呑気に構えていてはいけません。明日には死んでいるかもしれないのです。人生を楽しむとは、今日この日を楽しむこと。この世に悔いを残さないためには、全力を尽くして今日を生き抜くしかないのです。〉

映画は時代を映す鏡です。だから、昔の映画は良かった、などという繰り言は言わない。いまの映画がいちばんと思って観ている、と。物心ついてから89歳で亡くなるまで、80年という歳月を映画に捧げて生き抜いた人の言葉は、やっぱりすごいや。

by naomemo | 2009-12-03 08:26 | シネマパラダイス