ありえたかも知れない人生は


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先日、「井上陽水のLIFE」という四夜連続放映のTV番組を観た。彼は、作詞の領域ではボブ・ディランから、生き方の領域で阿佐田哲也(色川武大)から大きな影響を受けたんだねえ。久しぶりに彼のGOLDEN BESTをiPodに入れて、このところ毎日聴いている。

その彼に「人生が二度あれば」という曲がある。そんなん、人生は一回切りに決まってんじゃん、と、長くそう思ってきたが、でも人は神様じゃない。ありえたかも知れない人生への思いは、年齢とともに大きくなるものなのかも知れない。

ジム・ジャームッシュという映画作家のBroken Flowers(ブロークン・フラワーズ)について書こうとしている。米国での公開は2005年だから、まさにバブル全盛の頃の作品といってよい。新作The Limits Of Control(リミッツ・オブ・コントロール)を観る前にと、久しぶりに見直したのだが、ここには、「ありえたかも知れない人生」についての、ジャームッシュの思いが詰まっているように思えてきた。

主人公のドン・ジョンストン(ジョンソンじゃなく、ジョンストン)は、老いた元ドン・ファン(ドン・ジュアン)という設定である。毎日が日曜日のように、フレッド・ペリーのジャージ上下に革靴というスタイルで、長椅子に座ったり、ゴロリと横になったりして過ごしている。昔コンピュータ・ビジネスで大儲けしたらしく、すでに悠々自適の老後。と言えば聞こえは良いが、何もすることがなく、退屈きわまりない生活を送っている。まるで生気が感じられない。そんなわけで、同居している若い彼女シェリーにも愛想を尽かされる。

ピンク色の郵便物が届く。差出人は判らないが、どうやら20年前に別れた女からの手紙のようだ。彼女には現在19歳になる息子がいるという。ドンと別れたあとに妊娠していることが分かったのだけれど、現実を受け入れて生んだのだという。その息子が、先日、旅に出た。おそらく父親を探す旅ではないかと思う。というものだった。

その手紙を隣人のウィンストン(ジェフリー・ライト)に見せたところ、妙に張り切り、ドンに20年前に付き合っていた女のリストを作れという。そして5人の女の居所を探し出し、ご丁寧に飛行機、レンタカー、宿泊場所まで手配し、ドンに差出人を突き止める旅へと誘導していく。なぜ?ウィンストンは、どうしてそんなお節介を焼くんだろう…。彼にはドンの心模様が手に取るように分かるようなんだけど…。狂言回しのようにも見えるし、ドンの分身のようにも見えるし、はたまた映画作者の分身のようにも思えてくる…。

気乗りしないと言いながら、ドンは、ウィンストンのシナリオに乗って、ピンクの花束を抱えて20年前の元カノを一人ずつ順に訪ねる旅に出る。

まず、ローラ(シャロン・ストーン)の娘ロリータの所作にたじろぐことになる。ついでドーラ(フランセス・コンロイ)と夫の関係にさざ波を立てることになり、カルメン(ジェシカ・ラング)の助手になぜか邪険にされ、ペニーの取り巻きには一発お見舞いされる始末。そして、土の下に眠るペペの墓前では涙を流す。なぜこんな旅に出かけて来てしまったのだろうか、自分でも理由がよく判らない。

住まいに戻った後、一人旅をしている青年を自分の息子と思い込んで追いかけるシーンがある。車の中から、ドン(ビル・マーレイ)をじっと見つめる青年が通り過ぎていくシーンがある。どうやらビル・マーレイの実の息子らしいのだけれど、その彼とて息子かも知れないし、息子ではないかも知れない。

結局、差出人は誰なのか。ドンにも、観客にも、分かったのかも知れないし、分からなかったのかも知れない。あるいは手紙の差出人が誰かなんて、最初からどうでもいいことだったのかも知れない。ピンクの手紙と隣人のウィンストンによって、ひょっとしたらありえたかも知れない、もうひとつの人生を探す旅に誘われたのだけれど、ありえたかも知れない人生を見つけることなど最初から出来るはずもなかったのかも知れない。ドンは、ただ、十字路に立ち尽くすほかないのだった。



by naomemo | 2009-10-08 08:33 | シネマパラダイス