「劔岳 ー 点の記」を楽しむ

c0112103_10143815.jpg


以前、渋滞に巻き込まれて「劔岳 — 点の記」を見逃したことを書いたが、やっとありついた。久々に正統派の日本映画を観た気分になった。

なにはさておき、壮大な自然がどんと真ん中にあり、そこに人間のドラマが織り込まれるという作法がいいね。北アルプス立山連峰の映像が、とてつもなく美しい。さすが腕利きのカメラマンが監督しているだけのことはある。その映像に酔いつつ、しかし、あれれ?と訝しく感じたのが、ヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハなどのバロック音楽が使われていることだった。しばらくのあいだ、ミスマッチじゃないの?と気になった。

なかでも何度も登場するヴィヴァルディは、海の都ヴェネツィアが生んだ音楽家である。その音楽のそこかしこには潮の香りが漂っているのだ。それを山の映画に使うとは、という思いがしばらく拭えなかった。けれど、不思議なもので、観ているうちに違和感が薄れて馴染んできた。ヴィヴァルディの「四季」は、潮の香より季節の匂いが勝っているということなんだなと、再認識する機会にもなった。そのように持っていった音楽監督に拍手なのかな。

時代は明治40年(1907年)。日露戦争後、陸軍が国防のために日本地図の完成を急いでいた時期。その日本地図に残された最後の空白地帯、北アルプス立山連峰を埋めるべく、陸軍参謀本部陸地測量部の測量手・柴崎芳太郎に命令が下る。劔岳に登頂し、三角点標識を設置して測量を行うべしと。

しかしことは容易ではない。劔岳はたんなる山ではない。立山修験という山岳信仰の対象であり、ご神体なのだ。そして同時に「地獄の針の山」として畏れられている峻険な山でもある。あだやおそろかに登頂などしてはならないし、登頂できるものでもないのだ。それが「土地の気分」として濃厚に漂う。案内人として協力を惜しまない宇治長次郎などは、村八分のような扱いを受けているように見える。

劔岳への初登頂を目指すライバルとして、創設して間もない日本山岳会が登場する。もちろんメディアが見過ごすはずもない。お決まりのごとく、陸軍が勝つか山岳会が勝つかと騒ぎ立てる。メディアが騒げば騒ぐほど、陸軍サイドは「威信にかけて」初登頂を成し遂げよと測量隊にプレッシャーをかける。メンツというのは恐ろしいものだ。いつのまにか本来の目的や意味が打ち捨てられてしまうのだから。

結果としては、測量隊が初登頂を遂げるのだが、登頂のヒントになったのは、「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ」という千年前から言い伝えられている行者の言葉だった。

ところどころだれる場面が散見された。もう少し冷たく突き放して編集できたのではという気もする。とはいえ、それもこれも、美しい映像と、骨太の物語と、案内人を演ずる香川照之の素晴らしい演技が埋め合わせてくれた。彼の、案内人としての、その話し方、その表情、その仕草、その歩き方は、まあ、みごとというほかない。楽しみました。



by naomemo | 2009-08-15 07:25 | シネマパラダイス