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立川志の輔「歓喜の歌」に持っていかれた

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いまをときめく落語家の中でも、その語りの「間」の良さは随一と言われる立川志の輔。その噂がなんとなく気になって、以前、彼の「死神」をCDで聞いたことがある。「そうかなあ、そんなにいいかなあ、そうでもないんじゃないかなあ…」というのが正直な感想だった。そのダミ声も、好みではないし、立川流は口に合わないのかもなあと思ったりもしたものだ。

以来、彼の落語を聞くことはなかったが、昨日WOWOWで、彼の新作落語「歓喜の歌」を聞く機会に恵まれた。パルコ劇場でのライブの録画放映だった。

軽いジャブのようなマクラのあと、いきなりポーンと地方の公民館へ持って行かれた。しがない中年の主任と若手とのやりとりから、年末31日の公民館ホールの貸出しをダブルブッキングしてしまったらしいことが分かる。じつにドジでやる気のないやつらである。さらに、どちらも主婦のコーラスグループだったことから、「どうせ主婦の暇つぶしじゃないか」とタカをくくって対応。そこから、話しは厄介な方向へ展開していく。

しかしそのうちに、ラーメン屋の出前から聞かされたオカミさん(コーラスグループの一員)の頑張りとサービス精神(お昼に注文を間違えたお詫びに餃子を出前に持たせた)に心動かされ、ようやく気持ちがしっかり入って、問題を解決していくという主任たち。

聞いているうちに、いつのまにか好みじゃないダミ声も気にならなくなり、持っていかれました。笑いあり、ペーソスあり、涙あり。まるで落語映画を観ているような気分になっていた。

そう、落語映画なんだよな、たぶん。たとえば古今亭志ん朝の落語は「芝居の回り舞台」を想定して語られている雰囲気があるが、立川志の輔の落語は「映画のスクリーン」が想定されているのではないか。場面展開がじつに映画的なのだ。そこが彼の落語の新しさかも知れない。

落語の後、その映画作品も放映されていたので観たのだが、落語の方が圧倒的に面白かった。映画の方は、原作にない部分を書き込み過ぎたのがアダになったように思う。ようするに語り過ぎということだね。脚本と演出を担当した人には、余白とか省略の意味を知っていただきたいと思う。

by naomemo | 2009-03-16 07:00 | 音楽から落語まで