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金の店頭売買について、ひとつ注意喚起しておきたいことがあります。

金地金の「小分けサービス」なるものを打ち出している業者があります。「小分けサービス」がどのようなものかと云えば、一般個人が1キログラムの金地金を業者へ持ち込むと、例えば100グラムの金地金10本に鋳直してくれる、というサービスです。

この「小分けサービス」が意図していることは、個人の心の中に潜む「将来売却する際に譲渡税を払いたくない」という気持ちを刺激することで、他社の顧客を自社の顧客へとスイッチさせることにあるのだろうと思われます。ある意味、心憎いばかりの戦略と云えないこともありません。

ただし、この「小分けサービス」の本質は、1キログラムで売却した場合に将来発生するかも知れない譲渡税を前もって避ける方策を取っておくことにあると同時に、100グラムに小分けすることで税務当局に個人情報を握られないようにするというところにあります。すでに周知の事実とは思いますが、法律上、200万円以上の売却では、本人確認情報を含む支払調書が店頭から税務署に提出されるため、「小分けサービス」を利用しておくことで、それを避けたいということです。よく云えば節税対策ということですが、いやいやそういうものでもないでしょう。

この「小分けサービス」では、持ち込まれた1キログラムの金地金を業者側は買い取るわけでなく、一時的に預かって「鋳直し(再精錬)」して100グラムの金地金10本にするという体裁を取っているようですが、上記の通り目的が明らかであるだけに、おそらくこれはアウトだろうと思われます。

いや、もしも我が国で金が「法的通貨」としての位置づけにあれば、「小分けサービス」は、云ってみれば一万円札を両替して千円札十枚にすることと同じですから、セーフです。しかし、残念ながら、金には通貨としての側面があるとは云うものの、現在「法的通貨」ではありませんから、両替という論理は持ち込めません。

では、「小分けサービス」はまったくダメなのかと云えば、そうとも云い切れません。次のようなプロセスを取れば問題ありません。業者側が1キログラムをいったん個人から買い取り、代わりに100グラム✕10本を販売するというものです。そこで50万円以上の売却益が発生していれば、譲渡税の申告が必要になります。それなら意味ないという声も聞こえてきそうですが、こればかりは仕方ありません。

残念ながら、1キログラムと100グラム10本では、モノの性質は同じでも形状まで同じとは云えませんから、そのように対処せざるを得ないだろうと思われます。

これは、いつか税務当局の調査が入る可能性が高いと見ています。なにしろ1000兆円もの負債を抱えた我が国のこと、「小分けサービス」について、税務当局が指を加えて見ていると思うのは、あまりにリスク感覚が鈍いと云わざるを得ません。

税務当局の調査が入るとどのようなことが起きるか。あくまでも推測ですが、業者側はまず「小分けサービス」利用客の名簿提出を求められるのではないかと思われます。その際、業者側が取る対応は二つあります。一つは顧客を守るために名簿はないと拒否する。もう一つはおとなしく名簿を出す。

利用者個人に影響が及ぶのは、名簿が出された場合です。譲渡税の申告あるいは修正申告が求められるでしょう。悪質と判断された場合には追徴され、かなりの税金支払いが発生する可能性も捨て切れません。

反対に、業者側にはどのようなペナルティが生じるのか。名簿はないと強弁すれば修正申告を求められる可能性があります。現在「(鋳直し)手数料収入」として計上されている売上は否定され、金地金の一時預かりは「買い取り=仕入れ」として計上し直し、鋳直し後に渡したとされる金地金分は「販売=売上」として計上し直しになることも有り得る話です。

結果として、修正対象は、単年度の決算だけではなく、複数年の決算にまたがり、膨大な金額の納税を迫られることだって覚悟しなくてはならないかも知れません。そうなると、経営サイドは、会社に莫大な不利益を与えたことになり、責任を取らなければならなくなりそうです。

サービス提供側も、利用側も、目先の「節税?」に目を奪われたことで、大きな痛みを負うことになります。両者とも、そのあたりに早く気づいた方がよかろうと思います。一般個人の方々は、くれぐれも、木を見て森を見ないような真似はしない方が良いと思います。くれぐれもお気をつけ下さい。

# by naomemo | 2017-03-24 13:12 | →はじめての金読本


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関口知宏「ヨーロッパ鉄道の旅」はお気に入りの番組で、よく観ている。いつもは各15分の日めくり版を観ているのだけれど、先日、そのイギリス編を90分✕2部構成で放映していた。ブレグジット後の街の声が聞けるかもと思い録画しておいた。しばらく放置してしまっていたのだが、ようやくまとめて観ることができた。

イギリス編では、イングランドから、スコットランド、北アイルランド、ウェールズ、そしてイングランドに帰ってくる道程。なかでもとくに印象に残った場面がいくつかあり、メモとしていくつか残して置こうと思う。

今回はイングランド北東部の港町ボストンで関口知宏が拾った話。

ボストンは、2016年のEU 残留か離脱かを問う国民投票で、他の都市に比べて最も離脱支持者の割合が最も多かったことで注目を浴びた都市。理由として一般に挙げられているのが、東ヨーロッパからの移民の急増。確かにそれも一理あるけれど、それだけではなさそうだ。ポーランド出身女性を婚約者に持つ息子の父親(離脱を支持)の言葉が心に留まった。彼は、離脱を支持した理由について、こう語っていた。

「移民問題は一端に過ぎない。独立国の一員として民主主義の立場から離脱に投票した。イギリスがEUのほかの国から遠隔的に干渉されるのが嫌なんだ」

イギリスのEU離脱は、移民問題の解決策でもあるけれど、自由あるいは自立の問題でもあるわけだ。ここはけっこう重要なポイントだなと感じた。

画像出典:ヨーロッパ鉄道の旅「イギリス編_第1回


# by naomemo | 2017-03-16 17:59 | いまを読むノート




丸一年ブログをお休みしたけれど、ぼちぼち再開します。

ヨーヨー・マと旅するシルクロード、よかでした。ヨーヨーが立ち上げたシルクロード・プロジェクトの活動を描いたドキュメント。シルクロードゆかりの国々を回って選んだ音楽家たち、異文化を背景に持つ音楽家たちの出会いから生まれるエキゾチックな演奏。世界が内向きになりつつある時代にあって、これからさらに輝きを増していくのだろうと感じた。

気になった音楽家はといえば、イラン出身の音楽家ケイハン(だったかな?)と中国出身のウー・マン。ケイハンが演奏する楽器は中国の胡弓を思わせた。深々と心に染みる演奏。彼のことをヨーヨーは魂の兄弟と呼んでいた。ウーの楽器は中国琵琶。伝統から逸脱した自由でエネルギッシュな演奏だった。

映画館を後にして、友人から紹介されていたお粥の店まで足を運んだけれど、目当てのお店はお休み。これは残念でした。

# by naomemo | 2017-03-06 10:37 | シネマパラダイス

イラン映画3本




先週の土曜日にイラン映画3作品上映会がイラン大使館で開催された。このイベントは現代イスラム研究者の宮田律氏によるプロデュース。3作品とも未見だったこともあり参加し堪能した。

1本目はアッバス・キアロスタミ「風が吹くまま」。アッバス・キアロスタミといえば「オリーブの林を抜けて」「桜桃の味」「トスカーナの贋作」などで知られる、イランを代表する映画作家である。小津安二郎の影響を強く受けているとされる。作品の舞台はクルド人の村。クルド人の老婆の葬儀を撮影できる機会に恵まれ取材に訪れた主人公とクルー(姿は見えないが)。しかし、老婆は元気でいっこうに葬儀には至らない。その間、主人公と村人の間に、たゆたうような時間が流れる。どこか懐かしい感触が残った。なんだろうと思い巡らしていて気づいた。それはおそらく、トルコ、イラン、イラク、シリアの国境に分断されて生きざるを得ないがゆえ生まれたであろうクルドの村人達の諦観のようなものが、国土が複数のプレート上に存在するがゆえに、大地震、火山噴火、津波、河川の氾濫、土砂崩れなどの自然災害に頻繁に見舞われる我々日本人の心象に相通じるところがあるからに違いない。(昼食後の睡魔に襲われ、うつらうつらしながら観たので自信はないけれど、、、。)

2本目はアスガー・ファルハディ「ある過去の行方」。アスガー・ファルハディは、このブログでも以前取り上げているように、縁あって、彼の4作目「彼女が消えた浜辺」、5作目「別離」を観ていた。が、6作目にあたる「ある過去の行方」は見逃していたので楽しみにしていた。前2作から、この映画作家は人間の「嘘」と「秘密」に強い執着を示していると感じていたが、作品を重ねる毎に、深みが増す。ことに今作は「嘘」と「秘密」が織りなす深い森に迷い込んだかのような印象を受けた。見終わってからミステリー仕立てにもなっていることに気づいた。次回作がますます楽しみになった。

3本目はモハマッドメディ・アスガルプール「我が家のお客様」。この映画作家の存在はまったく知らなかった。それもそのはずで、おそらく彼の作品はまだ日本国内の映画館では未公開だと思う。唯一、昨年、やはり同じイラン大使館で上映されたのみではなかろうか。将来公開されるかも知れないので少しだけ。画面には映し出されることはないが、おそらく1980年に始まり1988年に停戦を迎えたイラン・イラク戦争が物語の背景にある。その爪痕が、老夫婦の晩年をより悲しく切ないものにしている。心に染みる作品だった。

時折イラン映画を観るようになったのは、そんなに昔のことではない。2009年の5月に恵比寿にある東京都写真美術館で野町和嘉氏の「聖地巡礼」を観たことがキッカケとなった。驚きに満ちあふれた写真の数々のなかに、一枚、イランの女子高生たちと思しきスナップショットがあった。そこに写っていた目がとても印象的で、しばし立ち止まって見入っていた。昨今の日本ではとんとお目にかからない、思慮深く、強い光を湛え、生き生きと輝く目。感動のようなものを覚えた。写真のキャプションに、イランはその昔ペルシャと呼ばれた国で・・・、と書かれていた。その時はじめて、自分が、いつのまにか欧米の色眼鏡を通してしかイランを眺めていなかったことに気づいた。ちょっとしたカルチャーショックだった。

(追記)
お礼の意味もかねて、この感想を宮田さんにお送りしたところ、現代イスラム研究センターのFacebookにリンクを貼ってご紹介頂いた。宮田さん、有り難うございます。
現代イスラム研究センター

# by naomemo | 2016-03-07 17:44 | シネマパラダイス

CO2とNOX


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VW排ガス不正についての空想の続きです。

先日なにげなくTVチャンネルをザッピングしていたら、自動車関連の評論家らしき人たちがコメンテーターとして出演している姿が目に止まった。

ふむふむ、これは、VWの排ガス不正問題がテーマになるなと思い、そのまましばらく見ていたら、案の定。しかも、先日ここで取り上げた清水和夫氏も出演していた。

彼が今回のVW排ガス不正問題にからめて面白いことを云っていたので、忘れないうちにメモを残しておこうと思う。

「日本から米国をみると環境規制のとくべつ厳しい西海岸が輸出上の玄関になる。ところが欧州から米国をみると環境規制の緩い東海岸が玄関になる」。なるほど、欧州の自動車メーカーには、もともと米国の環境規制を甘くみてた背景があったわけね。それにしても、これは卓見だね。

「欧州はCO2(二酸化炭素)コンシャス、米国はNOX(窒素酸化物群)コンシャスなんです」。欧州では、温暖化対策という面から、排ガスに関してCO2削減に対する意識が高い。ところが米国では、生体への影響が大きいNOX削減への意識が強いということか。欧州のディーゼル車が米国市場開拓で苦戦してきた理由はここにあるわけね。

「世界各地域でバランスよく市場占拠率を高めてきたトヨタ、中国での販売台数拡大に依存し米国が手薄だったVW」。この自動車大国、米国市場での不首尾が、今回のVWグループ内の人事抗争の土壌になってたわけね。郷に入れば郷に従うという発想がドイツ民族には薄いのかも知れない。

「BMWは高級車なので排ガス対策にコストがかけられる。でもVWは大衆向け小型車がメインなので排ガス対策にコストがかけにくい」。なるほど。クリーンディーゼルとは云っても、コスト面では厳しいところがあったわけだ。

「創業家であるピエヒ家とポルシェ家の権力抗争」。ドイツには一族支配、家族経営の企業が多いとされるが、VWの今回の不祥事では、もっとも悪い面が出たということかも知れない。しかも、強欲と奢りに彩られている。

そしてもうひとつ。VW排ガス不正関連で見えて来たことは、排ガス試験時は清浄化装置をフル稼働させ、しかし実走行時では清浄化装置を働かなくさせるソフトを組み込んでいたということだ。これもコスト削減の観点から、米国で求められる走行距離に堪えうるだけの排ガス触媒(プラチナ)を搭載していなかった可能性が浮上している。もしその通りだとしたら、詐欺事件と呼ばれても仕方あるまい。


画像出典:ロイター

# by naomemo | 2015-10-09 09:54 | いまを読むノート